1人の遊女に命を捧げた画家の青年が描かれる『飈風』。
今回は、『飈風』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!
Contents
『飈風』の作品概要
著者 | 谷崎潤一郎(たにざき じゅんいちろう) |
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発表年 | 1911年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 短編小説 |
テーマ | 魅了し、惑わす女 |
『飈風』は、1911年10月に文芸雑誌『三田文学』で発表された谷崎潤一郎の短編小説です。蠱惑的(こわくてき)な女に惑わされる男の苦しみが描かれています。
Kindle版は無料¥0で読むことができます。
著者:谷崎潤一郎について
- 耽美派作家
- 奥さんを友人に譲るという事件を引き起こす
- 大の美食家
- 生涯で40回の引っ越しをした引っ越し魔
反道徳的なことでも、美のためなら表現するという「唯美主義」の立場を取る耽美派の作家です。社会から外れた作品を書いたので、「悪魔」と評されたこともありました。
しかし、漢文や古文、関西弁を操ったり、技巧的な形式の作品を執筆したりして、今では日本を代表する作家として評価されています。
『飈風』のあらすじ
世間から注目される日本画家の直彦は、率直でからっとした性格の持ち主です。男前であるにもかかわらず女っ気がない直彦でしたが、あるとき吉原で出会った遊女の虜になってしまいます。
その女にかまけるあまり不健康になった直彦は、6カ月間東北を旅することにしました。そして旅立つ前、女は直彦にある約束をさせるのでした。
登場人物紹介
直彦(なおひこ)
24歳の日本画家。世間から注目される俊才で、人々から羨まれる美貌の持ち主。
女
吉原の遊女。名古屋生まれの21歳。賢さと技巧を兼ねそなえている。
『飈風』の内容
この先、谷崎潤一郎『飈風』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。
一言で言うと
支配される男
女との約束
才能と美貌を持った日本画家の直彦は、真面目に絵の勉強をして道楽や恋愛には見向きもしません。友人は、「ああいう男に限って、一度女に嵌ったら、手が附けられなくなるものだ」と、機会があったら一度誘惑してやろうとしていました。
そして、直彦は無理やり連れて行かれた吉原で1人の遊女と出会います。そこで24年守って来た貞操を破った直彦は、徐々に女の虜になっていきました。
女に没頭するあまり体調を崩した直彦は、療養のために半年間東北へ旅行に行くことを決めました。それを聞いた女は、半年間自分以外の女に肌を許さないことを脅すように直彦に約束させるのでした。
試練
福島県・会津の旅館で絵を描きながら過ごしていた直彦は、体調を回復させつつ女に向けて手紙を書きます。
あるとき直彦は、盛岡行の列車で籟病患者の親子3人と乗り合わせました。その中に若く美しい娘がいるのを認めた直彦は、自分を試すようにその家族にしきりに親切にします。宿探しを手伝い、しまいには同じ宿に泊まって一緒に湯に浸かって酒を飲みかわしました。
ついに直彦は娘と一線を超えることなく、その家族と別れます。そして、この自身の狂人のような行動を馬鹿らしく思うのでした。
こうして直彦は、旅先で出会うさまざまな女性の誘惑を断ち切り、女への思いを募らせます。
幸福の絶頂の先
長い冬が終わり、春の兆しが見えてきたころ、欲の抑制と女への恋慕で疲弊しきった直彦は、ついに東京へ帰りました。
日が暮れて夜になり、直彦はきらびやかな楼閣へ向かって女と再会します。直彦は半年会わなかった女の美貌にほれぼれし、彼女の技巧に翻弄され野犬のように振る舞います。
そして直彦は深い眠りに落ちたまま、目を覚ますことはありませんでした。医者は「恐ろしい興奮の結果、脳卒中を起こしたもの」と診断しました。
『飈風』の解説
乱れた風
タイトルの「飈風」とは、つむじ風のことです。しかし、作中には特筆すべき風を思わせるシーンや描写はありません。ここでは、なぜ風が表題になっているかを考察します。
本作では、蠱惑的(こわくてき)な女に惑わされる直彦がもだえ苦しむ様子が描かれています。下記に、女がいかに直彦の心を支配しているかが分かるシーンを引用します。
↓旅先で一線を超えそうになった遊郭の女について、東京で待っている女のことを思い出し、一時でも身体を許そうとした自分に嫌悪感を抱いている場面です。
酒の力を借りて、煩悩の狂うが儘になり行きを自然にまかせ、恋しい恋しい東京の人より外には冒させなかった大事な肌を、危く許そうとした昨夜の女はどうであったか。
↓また、直彦が女との約束を再度胸に焼き付け、会える日を心待ちにしている場面です。
必ず必ず六月の間は辛抱して見せよう。そうして一日々々と、恋人に会える時節の近づくのを、憧れて待って居よう。
↓あふれ出る欲を女との約束が抑え込み、直彦が獣のように常軌を逸した行為をしている場面です。
隙さえあれば、邪念の芽を吹こうとする、放埓な、懶惰な筋肉に、彼は暫くの弛みをも与えることは出来なかった。そうして橇にも乗らず、新しい雪の面を、鼬(いたち)のように駆けって進んだ。どうかすると、我から雪の中へ身を転がして、外套も帽子も真白になる程、狂人のように犬搔きをした。
ここで、「つむじ風」の正体を考えます。つむじ風とは「渦を巻いて吹き上がる風」です。つむじ風は真っすぐに吹く普通の風とは違い、巻き込んたものを上下左右に揺さぶります。
つむじ風によってくるくると舞い上がる木の葉を想像すると分かりやすいでしょう。つむじ風(飈風)を女としたときに、木の葉は直彦のメタファーになります。
つまり、直彦の心をかき乱す女を荒れ狂う風に見立て、だからこそ風の描写がないにもかかわらず表題に「飈風」を選んだのではないかと考えます。
『飈風』の感想
魅惑の悪女
直彦を惑わし、虜にし、谷崎潤一郎『刺青』の言葉を借りるなら「男を肥やしにしている」女。
直彦が女への愛を深めるばかりに体調を崩し、東北行を決めたことを明かしたとき「きっといい奥様でも出来たんじゃないの」「北国には別品がいるそうだから、旅先が案じられるわ」などとわざといじらしく言うところには、天性の悪女性を感じます。
唯あまりに卒直な、あまりに熱心な、男の惚れ方の可笑しさに、ややともすれば、其の感情を弄んで高い所から見下ろそうとする興味の方へ誘われて了い、(中略)如何にも気の弱い、人の好さそうな態度を見ると、本気になるのが馬鹿らしくなり、迷った上にも迷わせて、悶えさせて、思うさま操ってやりたいような心になった。
上記の引用からは、自分に惚れた男を翻弄したいという女の欲があふれています。
事実、「六月の間辛抱して居たか居ないか、嘘をついたって其の時には私にちゃんと判りますから」という女の発言は直彦の胸に深く刻まれ、女を焦れさせ、爆発しそうな欲を封じ込める甚大な力がありました。
これにより直彦は苦しみますが、女はこの発言で直彦が長い旅行中に自分のことを忘れずにいることを想像して微笑むのです。この残忍で美しい笑みを見せる女は、まさに悪女と呼ぶにふさわしいでしょう。
『刺青』の遊女、『痴人の愛』のナオミ、『卍』の光子、『悪魔』の照子…真っすぐな青年直彦を情欲に狂わせた女は、今挙げた谷崎作品に登場する女性たちに肩を並べる麗しい毒婦です。
主人公の座につくのは
本作は、直彦の東北での体験がベースとなっています。女が発話しているのは直彦が東北へ行く前と帰ってきた後のみで、全体に占める女の登場シーンは微々たるものです。
しかし、この物語での女の存在感の大きさと言ったら、主人公は直彦ではなく女なのでは?と思うほどです。直接登場せずとも、女は実体がそこにあるかのように感じます。
なぜかというと、何をするにつけても男の頭の中には常に女がいるからです。女に宛てて手紙を書いて恋慕の情を湧かせ、東北の女に身体を許しかけて激しく後悔するとともに女の美しさを再認識し、欲にほだされそうになるたびに女を想って必死に堪える……
解説で考察した通り「飈風=女」であれば、なぜタイトルが主人公・直彦を思い起こさせる言葉ではないかが納得できます。
最後に
今回は、谷崎潤一郎『飈風』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。
ぜひ読んでみて下さい!