純文学の書評

【太宰治】『朝』のあらすじと内容解説・感想|朗読音声付き

真夜中、男女の思いが交錯する『朝』。

今回は、太宰治『朝』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!

『朝』の作品概要

著者太宰治(だざい おさむ)
発表年1947年
発表形態雑誌掲載
ジャンル短編小説
テーマ駆け引き

『朝』は、1947年に文芸雑誌『新思潮』(7月号)で発表された太宰治の短編小説です。越えてはいけない一線と分かっていながら、悶々とする男の心情が描かれています。

Kindle版は無料¥0で読むことができます。

著者:太宰治について

  • 無頼(ぶらい)派の作家
  • 青森の大地主の家に生まれた
  • マルキシズムの運動に参加するも挫折
  • 自殺を3度失敗

太宰治は、坂口安吾(さかぐち あんご)、伊藤整(いとう せい)と同じ「無頼派」に属する作家です。前期・中期・後期で作風が異なり、特に中期の自由で明るい雰囲気は、前期・後期とは一線を画しています。

青森の地主の家に生まれましたが、農民から搾取した金で生活をすることに罪悪感を覚えます。そして、大学生の時にマルキシズムの運動に参加するも挫折し、最初の自殺を図りました。この自殺を入れて、太宰は人生で3回自殺を失敗しています。

そして、『グッド・バイ』を書きかけたまま、1948年に愛人と入水自殺をして亡くなりました。

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『朝』のあらすじ

「私」には秘密の仕事部屋があります。そこはキクちゃんという女性の部屋で、彼女が仕事に出ている間、私はそこで仕事をするのでした。

ある夜泥酔した私は、キクちゃんの部屋に行ってしまいます。我に返った私は、キクちゃんと同じこたつに入りながら理性と感情を戦わせます。

登場人物紹介

妻子持ちの男。遊ぶことが好き。ある女性と知り合いで、何かとその娘であるキクちゃんの世話をしている。

キクちゃん

日本橋の銀行に勤めている。「私」に結婚の面倒を見てもらっており、近々結婚する予定。

『朝』の内容

この先、太宰治『朝』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。

一言で言うと

理性よ打ち勝て

秘密の仕事部屋

遊ぶのが好きな「」は、妻や子供に秘密の仕事部屋を持っています。毎朝9時、私は弁当を持ってその仕事場に向かいますが、そこはキクちゃんという若い女の人の部屋でした。

私はキクちゃんの母親と知り合いであるため、キクちゃんの結婚相手について意見するなど何かと面倒を見ていたのでした。

攻防

ある夜、ひどく酔った私は「とめてくれ」と仕事部屋まで行ってしまいます。夜中に目を覚ますと、私はキクちゃんと同じこたつに入って寝ていることに気がつき、自分の過ちを認めました。

私は電燈をつけようとしましたが、停電のせいで電気はつきません。そしてキクちゃんは私に酒をすすめますが、「飲んだらあぶない」と思った私は蝋燭をつけるようキクちゃんに言います。

明かりがついてほっとした私は、キクちゃんからコップ一杯の酒を受け取ります。酒を飲み干した私は「さあ、もう一眠りだ。キクちゃんも、おやすみ」と言いますが、キクちゃんは寝る素振りを見せません。

 

そして蝋燭を見ていた私は、ふとこの短い蠟燭が消えてしまったときのことを考えてぞっとしました。私はもっと長い蝋燭はないのかたずねましたが、キクちゃんは「それだけですの」と言います。

私は、蝋燭が尽きる前に眠ってしまうか、酔いがさめるかしないとキクちゃんの身が危ないと思いました。しかし、一向に眠くならず酔いは回るばかりです。

いよいよ覚悟しかけたとき、私は夜が明けていたことに気づきました。私は、起きて帰る準備をしました。

『朝』の解説

越えなかった「私」

意外な結末

読み進めながら、「太宰が描く男だし、いとも簡単に一線を越えるだろう」と思っていました。しかし、誘うキクちゃんと抑える「私」の攻防の緊迫感が描かれるばかりで、「私」はなかなか手を出しません。

「この男はかなり健闘している…」と思ったのもつかの間、「しらじらと夜が明けていたのである」の一文で「私」の理性の勝利が告げられました。

「私は遊ぶ事が何よりも好きなので」という冒頭からも察することができるように、「私」はいろんな意味で遊び人です。この文は「私」の感情を抑えることの難しさが強調されてると読むことができます。だからこそ、結末に意外性を感じました。

理性を失わなかったワケ

ではなぜ「私」がここまでキクちゃんに手を出すことを渋ったのかということになりますが、1つ家族の存在が挙げられます。しかし、妻子というのは太宰が描く男にとっては抑止力になりません。

たとえば、『おさん』の夫は妻子がいるにもかかわらず平気でキスマークをつけて帰ってくるし、『ヴィヨンの妻』の大谷は2歳の息子を(内縁の)妻に任せきりで自分は他の女性と飲み歩いているし、『桜桃』の夫は育児を放棄した上に生活費を持って酒場の「女友達」に会いに行ったりします。

 

やはり「私」がこうもキクちゃんと関係を持つことに渋った理由が分からなくなりましたが、私は「私」とキクちゃん、その母親の関係に着目しました。

キクちゃんの縁談の世話をしているくらいなので、「私」とキクちゃんは年が離れている(親と子くらい?)ことが分かります。ということは、「私」とキクちゃんの母親は大体同じ年なのではないかと推測できます。

もっと言うと、「私」とキクちゃんの母親は過去に関係を持っていたのでは?と考えられてしまいます。このように仮定すると、「さすがに母娘両方を関係を持つのは…」とためらう「私」の気持ちも理解できます。

『朝』の感想

蝋燭、ではなくて朝

この物語で印象的なのは、越えてはいけない一線を越えるか・越えないかの瀬戸際で揺れる「私」の心情が、蝋燭の明かりで表現されている点です。

蝋燭の炎は伸びたり縮んだり、暗くなったり、身悶えするように左右に動いたり、かと思ったら一瞬大きくなったり……安定せず、常に揺らいでいます。

心情が緻密に蝋燭に投影されているので、タイトルは蝋燭でもいいはずです。しかし、太宰は過程(蝋燭)ではなく、結果(朝)をタイトルに選びました。理性が感情に勝った朝は、それほど印象的なものなのでしょうか。

大胆なキクちゃん

「しかし、いまではそのお母さんよりも、娘さんのほうが、よけいに私を信頼しているように、どうも、そうらしく私には思われて来た」という「私」のキクちゃんに関する語りから推測できるように、キクちゃんは「私」に好意を抱いています。

酔っている「私」に酒をすすめたり、「足袋をおぬぎになったら?」と発言したり、キクちゃんはしきりに「私」を誘います。

 

さらに「この蝋燭は短いね。もうすぐ、なくなるよ。もっと長い蝋燭が無いのかね」という「私」の質問に対してキクちゃんは「それだけですの」と答えていますが、それはウソなのでは?と思ってしまいます。

もっと言うと、そもそも電気が付かないのは「停電しているから」です。本作が執筆された1947年はどうか分かりませんが、少なくとも今ならブレーカーを落とせばスイッチをひねっても電気はつきません。

 

キクちゃんはなんらかの手口で停電を装ったのではないかと思いましたが、その考えは「私」の窓からの放尿シーンでボツになります。

「私」はカーテンを開けて窓から放尿しているので、そのときに他の家の明かりがついているかついていないかを確認できます。もし他の家の電気がついていたら実は停電していないことに気づくはずです。

いずれにせよ、ベストなタイミングで停電にめぐり合ったキクちゃんは強運の持ち主だと思います。

『朝』の朗読音声

『朝』の朗読音声はYouTubeで聴くことができます。

最後に

今回は、太宰治『朝』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。

青空文庫にあるので、ぜひ読んでみて下さい!

↑Kindle版は無料¥0で読むことができます。

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yuka
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「純文学を身近なものに」がモットーの社会人。谷崎潤一郎と出会ってから食への興味が倍増し、江戸川乱歩と出会ってから推理小説嫌いを克服。将来の夢は本棚に住むこと!
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