純文学の書評

【芥川龍之介】『舞踏会』のあらすじと内容解説・感想|論文検索付き

日本人の娘とフランス人海軍将校の、非日常的な一夜が描かれる『舞踏会』。

今回は、芥川龍之介『舞踏会』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!

『舞踏会』の作品概要

著者芥川龍之介(あくたがわ りゅうのすけ)
発表年1920年
発表形態雑誌掲載
ジャンル短編小説
テーマはかない関係

『舞踏会』は、1920年1月に文芸雑誌『新潮』で発表された芥川龍之介の短編小説です。鹿鳴館で出会った男女が過ごす一夜が描かれており、最後の花火のシーンが印象的な作品です。

Kindle版は無料¥0で読むことができます。

著者:芥川龍之介について

  • 夏目漱石に『鼻』を評価され、学生にして文壇デビュー
  • 堀辰雄と出会い、弟子として可愛がった
  • 35歳で自殺
  • 菊池寛は、芥川の死後「芥川賞」を設立

芥川龍之介は、東大在学中に夏目漱石に『鼻』を絶賛され、華々しくデビューしました。芥川は作家の室生犀星(むろう さいせい)から堀辰雄を紹介され、堀の面倒を見ます。堀は、芥川を実父のように慕いました。

しかし晩年は精神を病み、睡眠薬等の薬物を乱用して35歳で自殺してしまいます。

芥川とは学生時代からの友人で、文藝春秋社を設立した菊池寛は、芥川の死後「芥川龍之介賞」を設立しました。芥川の死は、上からの啓蒙をコンセプトとする近代文学の終焉(しゅうえん)と語られることが多いです。

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『舞踏会』のあらすじ

名門の令嬢である17歳の明子は、明治19年11月3日の夜に生まれて初めての舞踏会に出かけます。明子は社交界デビューを果たす愉快さと不安が入り混じった気持ちで鹿鳴館に向かいました。

会場では、すれ違う人が皆が明子の美しさに見とれます。そんなとき、明子はとあるフランスの海軍将校に踊りを申し込まれました。

2人はダンスを楽しみ、その後バルコニーでアイスクリームを味わったり花火を見たりと、夢のような夜を過ごすのでした。

登場人物紹介

明子(あきこ)

17歳の令嬢。明治19年に社交界デビューを果たし、フランスの海軍将校と懇意になる。

フランスの海軍将校

招待された舞踏会で明子を見初め、声をかける。

ある青年小説家

大正7年、H老夫人と汽車に乗り合わせる。夫人が語った過去の出来事に興味を持つ。

『舞踏会』の内容

この先、芥川龍之介『舞踏会』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。

一言で言うと

花火のような一夜

社交界へ

17歳の令嬢・明子は、明治19年11月3日の夜に社交界デビューを果たします。明子は興奮と不安が混じった気持ちで馬車に乗り、父親とともに鹿鳴館へ向かいます。

しかし鹿鳴館に着くや否や明子の不安は払しょくされるのでした。明子は人々が自身の美しさに見とれていることに気づき、そのことが明子の心に余裕をもたらします。そして明子は、とあるフランス人の海軍将校に声をかけられるのでした。

将校に誘われた明子は、ワルツやポルカを踊り続けます。踊り疲れた明子は、ダンスを中断して将校とアイスクリームを食べ、将校との時間を楽しみました。

生(ヴィ)のような花火

1時間後、明子と将校は舞踏室の外にあるバルコニーに立ちます。そしてじきに花火が上がり、人々は歓声を上げました。明子はそこで懇意にしている他の令嬢と会話をしていましたが、ふと将校が郷愁をにじませた表情で夜空を見ていることに気づきます。

明子が「御国の事を思っていらっしゃるのでしょう」と言うと、将校は「私は花火の事を考えていたのです。我々の生(ヴィ)のような花火の事を」と言いました。

将校の正体

大正7年の秋、H老夫人は鎌倉の別荘に汽車で行く途中、知り合いの青年小説家と一緒になりました。夫人は、青年に鹿鳴館の舞踏会のことを話して聞かせます。

夫人が話し終わった後、青年は将校の名前を尋ねました。夫人は「Julien Viaudと仰有る方でございました」と言うと、青年は興奮気味に「ではLotiだったのでございますね。あの『お菊夫人』を書いたピエル・ロテイだったのでございますね」と言います。

それを聞いた夫人は、「いえ,ロティと仰有る方ではございませんよ。ジュリアン・ヴィオと仰有る方でございますよ」と答えるのでした。

『舞踏会』の解説

聡明な女性から無知な女へ

ピエール・ロティ(本名:ルイ=マリ=ジュリアン・ヴィオー)は、海軍軍人でありながら文筆活動をしていた人物です。長崎を訪れて『お菊さん』や『秋の日本』で日本の印象を記しました。

そして『舞踏会』は、1886年11月3日の鹿鳴館におけるロティの舞踏会の経験を記した、ロティの短編『江戸の舞踏会』を典拠とした作品です。

ただし、原文ではなく高瀬俊郎(たかせ としろう)が意訳した『日本印象記』を主に参照したとされています。(参考:吉田 城「ある文明開化のまなざし――芥川竜之介「舞踏会」とピエール・ロティ」)

 

吉田氏は、初稿と改稿を比較したときの相違を挙げて論を展開しています。初出では、H老夫人はロティが著名な詩人であることを知っていました。しかし決定稿では、H老夫人はロティを知らない人物として描かれています。

この操作について、「老夫人が青年将校をペンネームでなく本名としてだけ覚えている、というその事実こそが、鹿鳴館の個人的な鮮やかな記憶を支えているのである」としています。

つまり、著名な詩人・ロティではなく、あくまでフランス人の海軍将校・ジュリアン・ヴィオーとの美しい一夜の思い出を守るために、芥川は改稿したのではないかと吉田氏は指摘しています。

吉田 城「ある文明開化のまなざし――芥川竜之介「舞踏会」とピエール・ロティ」(「仏文研究(29)」1998年)

『舞踏会』の感想

驕慢(きょうまん)な少女

本作を読んでいて印象的だったのは、「人一倍感じの鋭い彼女は、」という語りからも分かる通り明子の観察力の鋭さです。

しかし明子はその間にも、相手の仏蘭西の海軍将校の眼が、彼女の一挙一動に注意しているのを知っていた。

仏蘭西の海軍将校は、明子と食卓の一つへ行って、一しよにアイスクリイムの匙を取った。彼女はその間も相手の眼が、折々彼女の手や髪や水色のリボンを掛けた頸へ注がれているのに気がついた。

上記の引用部からは、自身が他人からどのような視線を受けているかということに敏感な少女・明子の人物像が浮かび上がって来ます。

 

また下記の引用部には、とある夫人の視線に気づいたうえで、さらにその夫人と自身を比較する驕慢な明子が描かれています。

が、その暇にも権高な伯爵夫人の顔だちに、一点下品な気があるのを感づくだけの余裕があつた。

社交界デビューするまでは閉じた空間で生きていた明子は、他者との比較を通して自身の美しさを理解し、高貴な伯爵夫人に下品さを見出すのでした。いわば相対評価になったことで、明子は自分の立ち位置を把握したと言えます。

本文を読む限り、謙虚でおしとやかな令嬢・明子像が浮かんできます。しかし、自身の市場価値の高さを理解していることや、内心他の女性を見下していることを鑑みると、明子はしずしずとしたおだやかなお嬢様では決してないと私は思います。

『舞踏会』の論文

『舞踏会』の研究論文は、以下のリンクから確認できます。表示されている論文の情報を開いた後、「機関リポジトリ」「DOI」「J-STAGE」と書かれているボタンをクリックすると論文にアクセスできます。

CiNii 論文

最後に

今回は、芥川龍之介『舞踏会』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。

ぜひ読んでみて下さい!

↑Kindle版は無料¥0で読むことができます。

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yuka
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「純文学を身近なものに」がモットーの社会人。谷崎潤一郎と出会ってから食への興味が倍増し、江戸川乱歩と出会ってから推理小説嫌いを克服。将来の夢は本棚に住むこと!
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