まるで女性に憑依したような太宰の女性独白体は、彼の最大の特徴です。『おさん』は、16篇書かれた女性独白体小説のうちの15篇目の作品です。
今回は、太宰治『おさん』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!
Contents
『おさん』の作品概要
著者 | 太宰治(だざい おさむ) |
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発表年 | 1947年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 短編小説 |
テーマ | 恋と革命 |
『おさん』は、1947年に雑誌『改造』(10月号)で発表された太宰治の短編小説です。夫の浮気を黙認しつつ、夫への恋心の間で揺れている女性が描かれています。Kindle版は無料¥0で読むことができます。
雄山荘(ゆうざんそう)は、太宰と入水自殺をした太田静子が、戦中に疎開をした別荘です。太宰は、このときに静子が書いた日記をもとに『斜陽』を執筆しました。そのため、雄山荘は「『斜陽』の家」として知られています。
著者:太宰治について
- 無頼(ぶらい)派の作家
- 青森の大地主の家に生まれた
- マルキシズムの運動に参加するも挫折
- 自殺を3度失敗
太宰治は、坂口安吾(さかぐち あんご)、伊藤整(いとう せい)と同じ「無頼派」に属する作家です。前期・中期・後期で作風が異なり、特に中期の自由で明るい雰囲気は、前期・後期とは一線を画しています。
青森の地主の家に生まれましたが、農民から搾取した金で生活をすることに罪悪感を覚えます。そして、大学生の時にマルキシズムの運動に参加するも挫折し、最初の自殺を図りました。この自殺を入れて、太宰は人生で3回自殺を失敗しています。
そして、『グッド・バイ』を書きかけたまま、1948年に愛人と入水自殺をして亡くなりました。
『おさん』のあらすじ
結婚8年目の「私」は、終戦後に疎開先から帰ってきたとき夫の浮気に気づきます。しかし私はそれをとがめず、平和な家庭を築こうと努めます。
ところが、そんな平凡な日々を打ち壊す事件が起きてしまい、私は気丈な対応を迫られるのでした。
登場人物紹介
私(妻)
8年前に夫と結婚し、3人の子供を育てている女性。
夫
神田の有名な雑誌社に10年勤めたのち、妻と結婚した。
『おさん』の内容
この先、太宰治『おさん』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。
一言で言うと
家庭から逃げる夫
無気力な夫
「私」の夫は、幽霊のようなもの悲しい雰囲気をまとって出かけていきます。私は、そんな夫の後ろ姿を台所の窓から見ました。
私と夫は10年前に結婚しました。戦時中、私と子供たちは青森市に疎開しましたが、夫だけは東京に残って仕事を続けていました。疎開先から帰った私は、夫が浮気をしていることにうすうす気づき始めます。
戦後は夫の勤務先である雑誌社がつぶれてしまい、夫は新しく出版社を立ちあげます。しかし、経営が上手くいかなかったため夫は借金を背負うことになりました。その返済が済んでも、夫は無気力なままで今に至ります。
縁側でタバコを吸っていたかと思うと、幽霊のようにどこかへ出かけてしまい、数日家に帰らないこともあるのでした。
恋と革命
翌日、昼前に夫が家に帰って来ました。ラジオで今日がフランスの革命記念日だと思いだした夫は、革命の話をして涙します。
フランス革命はロマンチックな王朝を、家庭における恋は平和な家庭を犠牲にする点で似ていると思いながら、私は自身と紙治(かみじ)のおさんの嘆きを重ねました。
情死
あるとき、夫は温泉に行きたいと言い出しました。さっそく準備に取りかかった私は、夫のよそ行きの服が見当たらないことに気づきます。
聞けば、夫はその服を売ってしまったのだと言います。私は、相手の女性にお金を用意するために服を売ったのだと思いました。
3日後、諏訪湖で起きた心中事件の記事が新聞に掲載されました。夫は、相手の女性と心中を図ったのです。
相手は夫が以前勤めていた雑誌社の女性記者だと、私は後から知りました。私と子供が疎開している間に、夫はやはり女性記者と懇意になっていたのです。
夫の遺書には、「自分がこの女の人と死ぬのは、恋のためではない」とありました。私は、それを読んで「ばかげている」と思います。
私は、夫の遺体を引き取りに行くのに3人の子供と乗った汽車の中で、あきれ返ってばかばかしさを感じるのでした。
『おさん』の解説
「おさん」とは?
おさんは、『心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)』という近松門左衛門の人形浄瑠璃に登場する女性です。
『心中天網島』は、治兵衛(じへえ)と遊女の小春の心中がモチーフとなっています。おさんは治兵衛の妻です。おさんは治兵衛のことを思いながらも、小春へ思いを募らせる治兵衛に同情しています。
「私」は夫の浮気に気づきながらも、「私だって夫に恋をしているのだ」と夫への恋心を明らかにしています。この点で、おさんと私は共通しています。
さらに、『心中天網島』で治兵衛は最終的に小春を選んで心中するため、おさんは捨てられることになります。私も結果的に夫に捨てられたため、1人残されるという境遇も同じです。
『おさん』において、『心中天網島』は物語に厚みを持たせるために使われたと言うことができます。
ちぐはぐな夫婦
『おさん』は、「一般的には夫と妻の齟齬(そご)の物語」(②関根論)とされています。夫は「私」の言葉をかわし、真っ向から向き合おうとせず、逃げてばかりいるからです。
たとえば、夜遅くに私が夫の蚊帳の中に入って「(浮気のことを)いいのよ。なんとも思ってやしないわよ」と切り出しても、夫は「エキスキュウズ、ミイ」と冗談めかしに言います。
私は対話をしようとしているのに、夫はそれを避けているのです。夫が本音を言わず、核心に触れないようのらりくらりしているため、2人はいつまでたってもかみ合いません。
また、私が夫に歩み寄っていかないのも、齟齬が生まれている原因だと考えられます。私は、夫の遺書を読んで「本当につまらない馬鹿げた事」と一蹴したのが良い例です。
さらに、夫が革命を破壊ととらえているのに対し、私は革命を「ひとが楽に生きるために行うもの」としています。こうした考え方の違いも、すれ違いが起こった要因だと考えられます。
『おさん』は、このようなかみ合わない歯がゆさ・妙な気まずさなどがリアルに表現されている作品です。
①孫才喜「太宰治『フォスフォレッスセンス』・『おさん』論ー夫の語りと妻の語り」(『人文論究』50(2・3) 2000年12月)
②関根順子「太宰治「おさん」論 : 夫をめぐる語り」(『大学院紀要』50 2013年)
『おさん』の感想
『ヴィヨンの妻』との比較
『ヴィヨンの妻』は、『おさん』と同じ年に発表されたことや、妻の視点から夫が語られる点で似ていることが引き合いに出され、『おさん』と比較されることがある作品です。
名前のない妻と夫
『おさん』を読んで、妻と夫はのっぺらぼうだと思いました。2人の子供には「マサ子」「義太郎」というように名前が与えられているにもかかわらず、肝心の妻と夫には名前がないからです。
『桜桃』でもそうですが、太宰は子供を「親に勝るもの」として描く傾向があります。もしかしたら、妻と夫の名を無くすことで大人の影を薄くし、子供には名前を与えて存在感を強めるという意図があったのかもしれません。
一方で、『ヴィヨンの妻』の場合は妻にはさっちゃん、夫には大谷という名前が与えられています。
夫の人物像
『おさん』の語り手は妻なので、妻がどういう性格でどんな考えの持ち主かは大体わかります。しかし、妻は家の外に出て行かないため、家の中で起こっていることしか描かれません。
つまり、夫については家庭内の姿しか語られないということです。幽霊のように出かけて、「つんのめりながら玄関にはいって」来る夫しか描かれないのです。
玄関の外の夫が相手の女性のところに行くのか、散歩に行くのか、仕事に行くのか読者には分からず、夫の外の顔が明かされることはありません。
その点、『ヴィヨンの妻』の語り手・さっちゃんは外に働きに出て活発に動くため、家の外で大谷と会ったりします。大谷の外での様子もそこで語られるため、語り手でない夫・大谷の人物像が自然と浮かび上がってくる仕組みになっています。
これらの「名前の有無」「夫の人物像の詳しさ」などが、『おさん』と『ヴィヨンの妻』の相違点だと思いました。
以上では2作品の相違点に触れましたが、『おさん』と『ヴィヨンの妻』は「予備知識がないとピンと来ない」という点で共通しています。
『おさん』の場合は『心中天網島』の知識が、『ヴィヨンの妻』の場合はフランソワ・ヴィヨンという人物についての知識が必要になります。
前提を知らなくても読めますが、深い理解はできません。逆に言うと、最初に読んだときと2回目に知識有りで読んだときとで違う感想が持てるということです。こう考えると、『おさん』は2度おいしい小説と言えるかもしれません。
最後に
今回は、太宰治『おさん』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。
『おさん』は、戦後のベストセラーとなった『斜陽』発表直後に書かれた作品で、テーマが重なる部分があるため一緒に読んでみることをおすすめします。
↑Kindle版は無料¥0で読むことができます。