純文学の書評

【小川洋子】『ドミトリィ』のあらすじ・内容解説・感想

『ドミトリィ』は、両手と左足がない「先生」が管理する、謎に包まれた学生寮の物語です。

今回は、小川洋子『ドミトリィ』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!

『ドミトリィ』の作品概要

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著者小川洋子(おがわ ようこ)
発表年1990年
発表形態雑誌掲載
ジャンル短編小説
テーマ不穏

『ドミトリィ』は、1990年に文芸雑誌『海燕(かいえん)』(12月号)で発表された小川洋子の短編小説です。

主人公が学生時代に利用していた学生寮を舞台に、不可解なことが起こる様子が描かれています。『妊娠カレンダー』という文庫本に収録されています。

著者:小川洋子について

  • 1962年岡山県生まれ
  • 早稲田大学文学部文芸科卒業
  • 『揚羽蝶が壊れる時』でデビュー
  • 『妊娠カレンダー』で芥川賞受賞

小川洋子は、1962年に生まれた岡山県出身の小説家です。早稲田大学文学部文芸科卒業後、1988年に『揚羽蝶(あげはちょう)が壊れる時』で海燕(かいえん)新人文学賞を受賞しました。

1991年には『妊娠カレンダー』で第104回芥川賞を受賞し、一躍有名作家となりました。同時代作家の吉本ばななと並んで評価されることが多い作家です。

『ドミトリィ』のあらすじ

「わたし」はあるとき上京するいとこから連絡を受け、かつて利用していた学生寮を紹介することになりました。その学生寮は、両手と左足がない「先生」が経営している寮でした。先生は、今の学生寮がいわくつきであることを仄(ほの)めかします。

わたしは、自身が入寮して居た時よりも寮がさびれていることに驚きながらも、先生との再会を喜びました。

いとこへの面会のために、わたしは定期的に寮に訪れるようになります。そこで先生と話すうちに、わたしは寮から学生がいなくなってしまった理由を知るのでした。

登場人物紹介

わたし

20代後半の女性。スウェーデンに単身赴任している夫が準備を整えるまで、日本で待機している。大学時代に利用していた学生寮をいとこに紹介する。

先生

「わたし」が学生時代に利用していた学生寮の経営者。両手と左足がない。

いとこ

「わたし」のいとこ。大学入学のために上京し、わたしに学生寮を紹介してもらう。

『ドミトリィ』の内容

この先、小川洋子『ドミトリィ』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。

一言で言うと

平和の中の不気味な陰

学生寮

わたし」は、あるとき震動や流れ、疼(うず)きのようなある音の存在に気づきます。その音が聞こえる時、わたしは学生時代に利用していた学生寮のことを思い出しているのでした。

ある日、わたしのもとには長いこと会っていなかったいとこから電話が掛かってきます。大学入学を機に上京するため、わたしが入っていた学生寮を紹介してほしいとのことでした。

わたしは、さっそく学生寮の経営者である「先生」に電話を掛けます。すると、先生は「寮の運営はしているけれど、仕組みが変わってしまった。今、複雑で困難な状況にある」と言いました。わたしは訳が分からず、あいまいにうなずきました。

先生

いとこが上京してきて、わたしはいとこと一緒に入寮の手続きをしに学生寮に行きました。学生寮に人の気配はなく、圧倒される静けさがありました。

いとこが先生の部屋のドアをノックすると、両手のない先生は顎と鎖骨の間にドアノブをはさんでドアを開け、わたしといとこを中に案内します。部屋の物は、顎と鎖骨と足が届く位置に配置されていたため、天井にある15センチくらいのしみが目につきました。

庭の花壇には、オレンジ色のチューリップが1列咲いています。わたしたちは少しだけ話をし、帰ることにしました。いとこは、「この寮がとても気に入りました」と言いました。

学生の失踪

大学の入学式が済んでしばらくしてから、わたしはいとこに会いに行きました。しかし、いとこはまだ学校から帰っておらず、わたしは先生と持って来たショートケーキを食べることにしました。

この間見たときよりも一回り大きくなっている天井のしみに、庭のチューリップの間を飛んでいた蜜蜂が止まりました。チューリップは、前とは違ってえんじ色の花をつけています。その日、わたしは結局いとこには会えませんでした。

 

10日ほどたってから、わたしはまたいとこに会いに学生寮に行きます。人身事故で電車が遅れたため、わたしはまたしてもいとこに会えませんでした。そして、先生は以前電話で話していた「複雑で困難な状況」について話始めます。

実は、その年の2月に1人の大学生が突然失踪してしまったのでした。事件か事故かもわからず、いつしか先生が疑われてしまい、学生は1人また1人と寮を去って行ってしまいました。

先生は、失踪した学生が左利きだったことや、数学を教えてくれたことを懐かしそうに話しました。また、先生はときおり体を折って苦しそうに咳をしました。

蜂の巣

それから10日ほど経って、わたしは先生のお見舞いに行きます。いとこは、部活の合宿で留守でした。先生は、自分の肋骨が変形して肺や心臓を圧迫していることをわたしに告げ、「もう、手遅れでしょうね」と言いました。

庭では、雨が降っているにも関わらず、蜜蜂がチューリップの間を飛んでいます。チューリップは、薄紫の花をつけていました。蜜蜂は、もう無視できないほど大きくなった天井のしみに止まりました。

それから、わたしは先生の看病のために、毎日お菓子のお土産を持って学生寮を訪れました。先生は見る見るうちに衰えていきます。その日はまた雨が降っていて、庭のチューリップは紺色の花をつけていました。

 

夕闇が部屋を包み、先生は眠り始めます。そのとき、わたしの足元にしずくが落ちてきました。それは、天井のしみからこぼれていました。粘り気のある液体で、わたしは「これは血かもしれない」と思いました。

天井裏を見に行ったわたしは、そこで蜂の巣を発見します。蜂の巣のひび割れからは、血液のように濃い蜂蜜が静かに流れていました。

わたしは、先生と失踪した学生、いとこのことを思い、蜂の巣に手を伸ばします。巣からは、はちみつがいつまでも流れていました。

『ドミトリィ』の解説

なんか変

『ドミトリィ』は不穏な雰囲気に包まれている作品です。以下では、その不穏を感じさせるものを挙げていきます。

  • 振動、流れ、疼き
  • 天井のしみ
  • 「わたし」がいとこに会えないこと
  • 学生が失踪したこと
  • 先生の体調が悪くなること
  • 先生・いとこ・失踪した学生が「左」で繋がっていること
  • 蜜蜂の羽音
  • パッチワーク
  • チューリップ

まずは、冒頭に登場する音です。「わたし」は、これを音というよりも「振動、流れ、疼き」のようなものと捉えており、さらにその音が聞こえてくるのは学生寮のことを思い出している時だと言います。

ここから分かるのは、正体不明(不安を与えるもの)の音と、学生寮が結びついているということです。

 

また、幾度となく出てくる天井のしみは、「忍び寄る陰」のようなものを表していると思いました。しみはどんどん広がっていって、先生の部屋の天井を浸食しているからです。先生の病状の悪化と同期していると見ることもできます。

何度訪問しても、わたしがいとこには会えないことも不可解です。理由はいくつかありましたが、そのうちの1つが人身事故であり、そこに不吉なものを感じました。男子学生が蒸発するように消えてしまったのも奇妙です。

さらに、学生が失踪したことに関して先生が疑われてしまい、その影響で寮から学生がいなくなって寮はさびれてしまいました。それに呼応するように、先生の体調が悪くなります。ここで、負の連鎖が起こっていることが示されています。

 

また、先生には左足がありません。失踪した学生は左利きで、学生の左手は特別なものとして作中で丁寧に描写されています。同時に、わたしのいとこの微笑み方は独特です。左手の人差し指でめがねに触れて、うつむき加減で微笑むという特徴があります。

偶然かもしれませんが、この3人が「左」を通して繋がっているのは、なんとなく不気味です。

要所要所で登場する蜜蜂は、最後に物語のキーになっている事が分かりました。蜜蜂の羽音は、ハエのように一瞬で過ぎ去るものではなく、「ぶーーん」と長めに聞こえます。

この低い唸りのような耳障りな羽音は、冒頭の「音」と対応しているように思われます。つまり、蜜蜂の羽音は不安をかき立てるものとして機能していると考えられます。

 

加えて、わたしはひたすらパッチワークをして日々を過ごしています。パッチワークは、小さな布を縫って繋げて一枚の大きな布にしていくもので、端を延々と縫い繋げばどこまでも広がっていくものです。

言い換えれば、本人が終わらせようとしなければ永遠に続いていくということです。終わりがないというのは、漠然と不安を感じることだと思います。

わたしがパッチワークをするという設定は、「ゴールのない道をさまよう不安」のようなものを表しているのではないかと思いました。

オレンジ、えんじ、薄紫、紺と1列ずつ色を変えながら咲くおかしなチューリップも、不穏な空気を演出するために配置されたものだと考えられます。

 

興味深いのはこれらの膨大な負の暗号が、和やかな日常の中に描かれていることです。「わたし」は夫のいるスウェーデンに行くことを待ちながら、日本でパッチワークをする静かな日々を送っていて、いとこも礼儀正しく健康的で健全な大学生です。

先生の人柄も穏やかで、わたしと先生の会話は取るに足らない小さなことです。『ドミトリィ』で描かれている日々は、徹底的に凪(な)いでいます。

しかし、そんな日々を波立たせるのが、上で見た負の暗号です。「姿は見えないけれど、何かよくないものが漂っていて、それが日常を狂わせていく」という構図です。

 

負の暗号は、どこにでもある天井のしみであり、チューリップであり、パッチワークです。これらと「負」が結びつかないからこそ、「負」の正体が分からないため、わたしや読者は恐怖を感じます。

平和な情景と負の暗号が組み合わさることで、その不気味さが引き立つという効果もあります。

 

この不安の描き方は、芥川龍之介の遺作『歯車』と似ていると思いました。『歯車』は、平和な日常の中に現れた死の符合に、主人公が追い詰められる作品です。

半紙に落とした墨汁がじわじわと広がっていくように、物語に陰がさしていくところに怖さを感じます。

この作品が目指したのは、日常の何でもない事象が実は必然的に繋がっている「不安」を描くことなのではないでしょうか。正体不明の不気味な暗号が作中にちりばめられていたのは、この不安を描くための準備なのではないかと思いました。

『ドミトリィ』の感想

無声映画みたい

『ドミトリィ』を読んで最初に抱いた感想は、「無声映画みたい」というものでした。もちろん、先生と主人公の会話が軸になっているので、全く無声映画の要素はありません。

私がそう感じたのは、1つ1つの画面が印象的だからだと思いました。失踪した大学生の長くてしなやかな左指や、先生の美しい右足は、思わず見とれてしまうくらいまざまざと目の前に浮かんできます。

また、天井のしみやチューリップの光景が、事実を淡々と述べるように繰り返し描写されていて、文字の羅列としての小説ではなく映像らしさを感じたというのもあると思います。

小川作品は、堀辰雄の小説のようなどこか異国の物語という印象を受けますが、『ドミトリィ』も現実から離れた作品だと思いました。

最後に

今回は、『ドミトリィ』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。

少し前に、『ミッド・サマー』という映画が「明るいホラー」として話題になりましたが、『ドミトリィ』はまさにそれに当てはまると思います。捉えどころのない不思議な作品で、解釈の余地がたくさんある作品です。ぜひ読んでみて下さい!

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yuka
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「純文学を身近なものに」がモットーの社会人。谷崎潤一郎と出会ってから食への興味が倍増し、江戸川乱歩と出会ってから推理小説嫌いを克服。将来の夢は本棚に住むこと!
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