今回は、小川洋子のおすすめの本を6冊ご紹介します!
小川洋子ってどんな人?
- 1962年岡山県生まれ
- 早稲田大学文学部文芸科卒業
- 『揚羽蝶が壊れる時』でデビュー
- 『妊娠カレンダー』で芥川賞受賞
小川洋子は、1962年に生まれた岡山県出身の小説家です。早稲田大学文学部文芸科卒業後、1988年に『揚羽蝶(あげはちょう)が壊れる時』で海燕(かいえん)新人文学賞を受賞しました。
1991年には『妊娠カレンダー』で第104回芥川賞を受賞し、一躍有名作家となりました。同時代作家の吉本ばななと並んで評価されることが多い作家です。
初級編
「とりあえず、有名な作品をさらっと読みたい!」「話振られたとき困らないように、代表作だけ知っておきたい!」という方向けに、読んでおけば間違いない作品を2冊ご紹介します。
『博士の愛した数式』
著者 | 小川洋子(おがわ ようこ) |
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発表年 | 2003年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 中編小説 |
テーマ | 慈愛 |
『博士の愛した数式』は、2003年に文芸雑誌『新潮社』(7月号)で発表された小川洋子の中編小説です。
数学と野球を通して繋がるシングルマザーの「私」とその息子の「ルート」、記憶が80分しか持続しない元数学教師「博士」の暖かな日常が描かれています。
あらすじ
「私」が家政婦として派遣されたのは、記憶が80分しか持たない数論専門の元大学教師の家でした。変わり者の博士に戸惑いながらも、私と博士は距離を縮めていきます。
そして、博士に言われるままに私は10歳の息子を博士の家に連れて行きます。すると、博士は息子のことを「ルート」と名付け、孫のように可愛がりました。数学や野球の話題を軸に3人は仲を深めますが、幸せな日々は長くは続かないのでした。
感想
数学アレルギーの人にこそ読んでほしい1冊です。私が初めて本作を読んだのは中学生のときで、当時から数学が大嫌いだったため「数式なんか愛せるもんか」と半ば腹を立てながら読んでいました。
ギリシアの哲学者たちは数字に美を見出していますが(黄金比、ピタゴラスの定理など)、私は数字の美しさを全く理解できなかったのです。
しかし博士の説明を聞いて、数式の規律の正しさに心を打たれました。博士は主人公やルートにも分かるようにかみ砕いて数学を説明してくれるので、読みにくさを感じることはなく、むしろ読み終えた後に数学に興味を持つようになりました。
今まで閉じていた扉が開かれるような感覚に陥ったので、ぜひ数学が苦手な人に読んでほしいと思います。
『妊娠カレンダー』
著者 | 小川洋子(おがわ ようこ) |
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発表年 | 1990年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 短編小説 |
テーマ | 目的のない悪意 |
『妊娠カレンダー』は、1990年に文芸雑誌『文學界』(9月号)で発表された小川洋子の短編小説です。妊娠中の姉の様子を、妹が観察して日記に記すという物語です。
あらすじ
大学生の「わたし」の姉は妊婦です。しかし、姉もわたしも子供が育っていることや、子供が生まれた後の生活をイメージできません。姉のつわりはひどくなり、わたしはそんな姉を懸命に支えます。
感想
主人公は、義兄に歯の治療をしてもらっているときに、口を閉じて義兄の指を食いちぎってやろうと思ったり、グレープフルーツに防かび剤がついていることを思いながら、それで作ったジャムを姉に食べさせたりします。
そうした不気味さや不可解さが『妊娠カレンダー』の特異なところです。特に、ジャムを姉に食べさせることで、わたしが間接的に赤ちゃんに毒を盛っているのは狂気です。
しかし、わたしは積極的に赤ちゃんに危害を加えようとしたわけでありません。出来心と言えば少し軽い気もしますが、そういうたぐいの悪意です。
日常生活で、少し凶暴な気分になることがあります(実際に行動に移さなくても、駅のホームの淵ぎりぎりに立っている人いた時、「いま自分が背中を押したら……」と考えるなど)。
振り返ってみると、自分の中にこのような考えがあることを否定できませんでした。他人についても、表情からは読み取れませんが腹の奥に狂気を隠している可能性は十分にあるし、人は実はそういう性質を持っているのかもしれないと思いました。
中級編
「代表作一通り読んで、もっと他の作品も読んでみたくなった!」「もうにわかは卒業したい!」という方向けに、定番からは少しそれた作品をご紹介します。
『口笛の上手な白雪姫』
著者 | 小川洋子(おがわ ようこ) |
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発表年 | 2018年 |
発表形態 | 単行本 |
ジャンル | 短編小説 |
テーマ | 無償の愛 |
『口笛の上手な白雪姫』は、2018年に幻冬舎より単行本が発行された小川洋子の短編小説です。公衆浴場で母親がゆっくり湯につかれるよう、赤ん坊を預かるサービスをする小母さんの様子が描かれています。
あらすじ
いつの間にか公衆浴場に住み着くようになった小母さんは、脱衣所の定位置で客が来るのを待っています。小母さんの客は赤ん坊を連れた母親で、彼女たちが入浴中に赤ん坊の面倒を見るのが小母さんの仕事です。
小母さんは不愛想なうえに見なりに無頓着でしたが、口笛を操り赤ん坊を落ち着かせることができました。そのサービスは簡単に真似できず、わざわざ遠い町からやってくる母親がいるほどです。
そんなとき、6歳の女の子が行方不明になるというニュースが町中に駆けめぐります。女の子は夜になっても見つからず、浴場も営業を中止して捜索に参加することになりましたが、その女の子は思わぬところで発見されるのでした。
感想
小母さんは料金を取らず、ひたすら赤ん坊を預かり面倒を見ています。母親たちの多様な要求に応え、果汁を水で割ったものを飲ませ、耳掃除をし、屈伸運動やマッサージを施し、あせもに天花粉をはたきます。
これだけ手間と時間がかかることを、なぜ血のつながらない子どもに対して行えるのか不思議に思いました。この疑問については、リンク先の記事で踏み込んで考えているので、ぜひご覧ください。
『ドミトリィ』
著者 | 小川洋子(おがわ ようこ) |
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発表年 | 1990年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 短編小説 |
テーマ | 不穏 |
『ドミトリィ』は、1990年に文芸雑誌『海燕(かいえん)』(12月号)で発表された小川洋子の短編小説です。
主人公が学生時代に利用していた、両手と左足がない「先生」が管理する学生寮を舞台に、不可解なことが起こる様子が描かれています。
あらすじ
「わたし」はあるとき上京するいとこから連絡を受け、かつて利用していた学生寮を紹介することになりました。その学生寮は、両手と左足がない「先生」が経営している寮でした。先生は、今の学生寮がいわくつきであることをほのめかします。
わたしは、自身が入寮して居た時よりも寮がさびれていることに驚きながらも、先生との再会を喜びました。
いとこへの面会のために、わたしは定期的に寮に訪れるようになります。そこで先生と話すうちに、わたしは寮から学生がいなくなってしまった理由を知るのでした。
感想
『ドミトリィ』を読んで最初に抱いた感想は、「無声映画みたい」というものでした。もちろん、先生と主人公の会話が軸になっているので、全く無声映画の要素はありません。
私がそう感じたのは、1つ1つの画面が印象的だからだと思いました。失踪した大学生の長くてしなやかな左指や、先生の美しい右足は、思わず見とれてしまうくらいまざまざと目の前に浮かんできます。
また、天井のしみやチューリップの光景が、事実を淡々と述べるように繰り返し描写されていて、文字の羅列としての小説ではなく映像らしさを感じたというのもあると思います。
小川作品は、堀辰雄の小説のようなどこか異国の物語という印象を受けますが、『ドミトリィ』も現実から離れた作品だと思いました。
上級編
最後に上級編として、「まだ物足りない!」「もっと小川洋子の描く世界を知りたい!」という方向けに2冊ご紹介します。
『先回りローバ』
著者 | 小川洋子(おがわ ようこ) |
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発表年 | – |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 短編小説 |
テーマ | イマジナリーフレンド |
『先回りローバ』は、2018年1月に幻冬舎から刊行された短編集『口笛の上手白雪姫』に収録された小川洋子の短編小説です。吃音の7歳の少年が、不思議なローバと出会った記憶がつづられています。
あらすじ
吃音持ちの主人公は、自分の名前を名乗ることを最も苦手としていました。そしてこの吃音の原因は、両親が主人公の誕生日を実際より6日後に届けたからだと主人公は信じています。
その日は〈集会〉の主宰者の誕生日か何かで、両親は何としてもその日を息子の誕生日にしたかったのです。
主人公の小さな楽しみは両親が留守の間に時報を聞くことです。よどみなく、つまることなく淡々と時刻を告げる時報のお姉さんは、主人公に答えを求ないため安心して時報を聞いていられるのでした。
そんなとき、主人公はふと小さなお婆さんの存在に気づきます。そして彼女といるときだけ不思議と一度もつっかえずに話すことができました。主人公は彼女とのおしゃべりを楽しみますが、いずれ別れがやって来るのでした。
感想
『先回りローバ』は、終始モノクロな物語だったと読み終えて思いました。普段、小説は情景をイメージしながら読むのですが、その情景が白・黒・グレーで構成されていました。
このモノクロの要因は、語り手が必要最低限の情報しか読者に提供しないからです。主人公や両親の容姿や身辺に関することなどパーソナルな情報は読者に知らされません。
しかし、物語の核となるローバや電話、時報に関する語りは散見されます。
特に印象的だったのは主人公が初めて電話を見た時の描写です。黒電話を実際に使ったことはありませんが、確かに日常的に使うものであるにもかかわらずあまり実用的ではない見た目というか絶妙に魅力的なフォルムだと思います。
形容詞がたい丸み、暗号めいたダイヤル、耳にフィットするよう計算された受話器のカーブ、可愛らしげにクルクルとカールするコード。そうした何もかもがどこかしたおもちゃめいていたが、僕は最初からそれが、ただものではないことにちゃんと気づいていた。
登場人物の心の支えとして、人間ではなく機械的に単調に時を告げる時報がピックアップされるのが、意外であり興味深いと思いました。
『夕暮れの給食室と雨とプール』
著者 | 小川洋子(おがわ ようこ) |
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発表年 | 1991年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 短編小説 |
テーマ | 思い出 |
『夕暮れの給食室と雨とプール』は、1991年に文芸雑誌『文學界』(3月号)で発表された小川洋子の短編小説です。
海沿いの町に引っ越してきた主人公と、自宅にやってきた宗教勧誘員の交流が描かれています。『妊娠カレンダー』という文庫本に収録されています。
あらすじ
結婚間近の「わたし」は、1人で新居の片づけをしていました。そこへ、宗教勧誘をする父と子がやってきます。わたしは、2人の不思議な雰囲気に惹かれつつも、彼らに帰ってもらいました。
後日、ジュジュの散歩をしていたわたしは、小学校で親子と再会します。2人は、学校の給食室をのぞいているのだと言います。そして、男は給食室をのぞいている理由を話し始めました。
感想
『夕暮れの給食室と雨とプール』は、霧や雨などの湿り気を帯びたイメージに包まれています。主人公が海沿いの町に引っ越してきたのは、「霧に包まれた冬の朝」です。
ここから、梅雨の時期のじめじめしてまとわりつくような霧ではなく、皮膚をなでていくようなさらさらした霧であることが分かります。このように、湿り気はありつつも、すがすがしい気候であることが冒頭部で示されています。
一方で、マイナスのイメージを付与されているのは、雨です。
男は「雨が降ると、プールの風景は救いようがなくなってしまいます」と言い、プールサイドに残った雨粒の染みが残っていることや、プールの水面が雨で波打ち、魚がエサを求めてうごめいているようだと話します。
そして、男の中でそのプールの不気味さと給食室は結びついていきます。霧と雨が、作中で付与されるイメージには差がありますが、両者に共通しているのは「湿り気」です。
前半に霧が、後半に雨が登場することで、作品全体がしっとりとした雰囲気になり、タイトルの「雨」のイメージをより濃いものにしているのではないかと思いました。
最後に
今回は、小川洋子のおすすめの本を6冊ご紹介しました。
ぜひ読んでみて下さい!