純文学の書評

【小川洋子】『妊娠カレンダー』のあらすじ・内容解説・感想

『妊娠カレンダー』は、妊娠をテーマにしているにもかかわらず、喜びやおめでたさが少しも感じられない物語です。

今回は、小川洋子『妊娠カレンダー』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!

『妊娠カレンダー』の作品概要

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著者小川洋子(おがわ ようこ)
発表年1990年
発表形態雑誌掲載
ジャンル短編小説
テーマ目的のない悪意

『妊娠カレンダー』は、1990年に文芸雑誌『文學界』(9月号)で発表された小川洋子の短編小説です。妊娠中の姉の様子を、妹が観察して日記に記すという物語です。

女性にしか理解できない妊娠をテーマとしており、男性評者からは敬遠されることもありますが、同時に透明度の高い文章が評価されている作品です。

著者:小川洋子について

  • 1962年岡山県生まれ
  • 早稲田大学文学部文芸科卒業
  • 『揚羽蝶が壊れる時』でデビュー
  • 『妊娠カレンダー』で芥川賞受賞

小川洋子は、1962年に生まれた岡山県出身の小説家です。早稲田大学文学部文芸科卒業後、1988年に『揚羽蝶(あげはちょう)が壊れる時』で海燕(かいえん)新人文学賞を受賞しました。

1991年には『妊娠カレンダー』で第104回芥川賞を受賞し、一躍有名作家となりました。同時代作家の吉本ばななと並んで評価されることが多い作家です。

『妊娠カレンダー』のあらすじ

大学生の「わたし」の姉は妊婦です。しかし、姉もわたしも子供が育っていることや、子供が生まれた後の生活をイメージできません。姉のつわりはひどくなり、わたしはそんな姉を懸命に支えます。

登場人物紹介

わたし

主人公の大学生。両親を亡くし、姉と義兄と暮らしている。

姉さん

「わたし」の姉の妊婦。精神に問題を抱えている。

義兄

「姉さん」の夫で歯科技工士。気が弱い。

『妊娠カレンダー』の内容

この先、小川洋子『妊娠カレンダー』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。

一言で言うと

嬉しいばかりが妊娠じゃない

つわり

12月29日月曜日、の妊娠が発覚しました。しかし、姉は意外にもそっけなく、「わたし」の前では義兄とその話をしません。

そして、つわりは唐突に始まりました。姉はグラタンのホワイトソースを内蔵の消化液に例えたり、料理中の匂いに敏感になったりします。

わたしと義兄は、姉が家にいるときは料理をしなかったり、庭で食事をしたりと、姉の体調の悪化を防ぐために細心の注意を払うようになりました。

防かび剤PWH

あるとき、わたしはバイト先のスーパーからグレープフルーツを大量にもらってきます。そして、わたしは以前参加した環境セミナーのパンフレットに「防かび剤PWHは人間の染色体そのものを破壊する」と書いてあったことを思い出しました。

わたしは、「PWHは、胎児の染色体も破壊するのかしら」と思いました。わたしは大量のグレープフルーツでジャムを作ります。つわりが終わった姉は、ジャムをむさぼるように食べました。

いつの間にか、わたしがグレープフルーツのジャムを作ることは習慣になっていました。ジャムを作るとき、わたしは「この中にPWHはどれくらい溶け込んでいるのかしら」と思います。

破壊された赤ん坊

8月11日火曜日、バイトから帰ったわたしは、「陣痛が始まりました。病院に行きます」という義兄からの手紙を目にします。急いで病院に向かうと、かすかに赤ん坊の泣き声が聞こえたような気がしました。

そして、わたしは破壊された赤ん坊に会いに行くため、新生児室に向かいました。

『妊娠カレンダー』の解説

妊娠への嫌悪

この作品の面白いところは、妊娠のおめでたさが全く感じられないところです。新しい家族が増える喜びも、新生活への希望も描かれていません。

例えば、「(姉が)『妊娠』という言葉を、グロテスクな毛虫の名前を口にするように、気味悪そうに発音し」とあったり、「わたし」は赤ちゃんを「染色体」「腫瘍」と捉えたりします。

姉は妊娠から「逃げられない」と言い、膨らんだお腹を幻だと思って「晴れ晴れした気分に」なることがあると言います。

また、わたしは姉の出産を受けて駆けつけた病院で、別の妊婦が「涙を流すときのような」瞬きをしたのを見て、「破壊された姉の赤ん坊」に会いに行きます。

 

さらにつわりの描写が作中に占める割合が多かったりと、徹底的に妊娠へマイナスイメージを付けようとする作者の意図が感じられます。望まない妊娠ではないけれど、100%素直に喜べるわけでもない「プレママの困惑」が描かれていると思いました。

なぜ「日記」ではなく「カレンダー」?

『妊娠カレンダー』を読み始めて1番引っかかったのは、タイトルが「カレンダー」となっている点です。

理由は、「カレンダーは特筆すべきことがあるときだけに書き込むという特性があるから」「カレンダーと妊娠は終わりがあるという点で共通しているから」と考えられます。

 

わたしは妊婦の姉の記録をしているので、日記のように起こったことを毎日書かなくても、姉の身体に異変が起きた時や、特筆すべきことがあるときだけ記録すれば大丈夫です。

そのため、予定があるときにだけ書き込むカレンダーと、姉の記録を重ねたのではないかと思いました。

また、「カレンダーと妊娠は終わりがあるという点で共通しているから」という論があります。日記は、基本的に毎日書き続けるもので、書いている本人が止めようと思うまでは続いていくものです。

一方、カレンダーは1年ごとに新しいものになります。1年間だけ使われる限定的なものです。妊娠も、トツキトオカ過ぎれば終わりを迎えます。このように、カレンダーと妊娠は本質的に似ているため、日記ではなくカレンダーをタイトルにしたということです。

 

さらに、日記体の小説は1日ごとに記録されることが多いですが、『妊娠カレンダー』は1月3日/1月8日/1月13日/1月28日……という風に飛び飛びで書かれています。

これに関して、読者は日付ではなく妊娠週数に注目すべきなのではないかと思いました。妹の記録には、「12月30日(火) 6週+1日」という風に、日付のあとに妊娠週数が記載されています。日付はそれに伴うおまけのようなものなのかもしれません。

高根沢紀子「小川洋子「妊娠カレンダー」論」(『上武大学経営情報学部紀要』2003年12月)

『妊娠カレンダー』の感想

目的のない悪意

わたしは、義兄に歯の治療をしてもらっているときに、口を閉じて義兄の指を食いちぎってやろうと思ったり、グレープフルーツに防かび剤がついていることを思いながら、それで作ったジャムを姉に食べさせたりします。

そうした不気味さや不可解さが『妊娠カレンダー』の特異なところです。特に、ジャムを姉に食べさせることで、わたしが間接的に赤ちゃんに毒を盛っているのは狂気です。

 

しかし、わたしは積極的に赤ちゃんに危害を加えようとしたわけでありません。出来心と言えば少し軽い気もしますが、そういうたぐいの悪意です。

日常生活で、少し凶暴な気分になることがあります(実際に行動に移さなくても、駅のホームの淵ぎりぎりに立っている人いた時、「いま自分が背中を押したら……」と考えるなど)。

振り返ってみると、自分の中にこのような考えがあることを否定できませんでした。他人についても、表情からは読み取れませんが腹の奥に狂気を隠している可能性は十分にあるし、人は実はそういう性質を持っているのかもしれないと思いました。

時間の流れを感じる

最初に抱いた感想は、「トツキトオカはこんなに長いのか」というものでした。

作中では、年末から始まって、いつの間にか外で食事ができるくらい暖かくなって、じめじめとした梅雨が終わった後、真夏のじっとりした暑さが身に応える季節に移り変わる様子が描かれていました。

解説の「なぜ『日記』ではなく『カレンダー』?」に繋がりますが、そうした子を宿している期間の長さを、四季を通して感じさせるために月ごとにめくる「カレンダー」が選ばれたのではないかと思いました。

胎児への殺意

私自身は、妊娠や出産を絶対的に聖なるもの/尊いものと捉えることには抵抗があります。だからこそ、妊娠を美化しない『妊娠カレンダー』に好感を持ちました。

わたしがグレープフルーツのジャムを作り続けたのは、これまでの姉や義兄との生活が消えることへの対抗だったのかもしれません。同時に、姉は子供を宿しながらも、子供を異物とみなしています。

もしかしたら、姉はグレープフルーツのジャムに防かび剤が入っていることを知りながら、それを摂取していたのかもしれないと思いました。

最後に

今回は、小川洋子『妊娠カレンダー』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。

生々しい文章に嫌悪感を感じる人もいるようですが、私はこの質感のある文章が好きだと思いました。文学賞の中で最も権威のある芥川賞を受賞した作品なので、ぜひ読んでみて下さい!

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yuka
「純文学を身近なものに」がモットーの社会人。谷崎潤一郎と出会ってから食への興味が倍増し、江戸川乱歩と出会ってから推理小説嫌いを克服。将来の夢は本棚に住むこと!
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