純文学の書評

【川上未映子】『感じる専門家 採用試験』のあらすじと内容解説・感想

人間は、物は、事象はどこから来るのか。哲学的な問答が行われる『感じる専門家 採用試験』。

今回は、川上未映子『感じる専門家 採用試験』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!

『感じる専門家 採用試験』の作品概要

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著者川上未映子(かわかみ みえこ)
発表年2006年
発表形態雑誌掲載
ジャンル短編小説
テーマアイデンティティ

『感じる専門家 採用試験』は、2006年に文芸雑誌『早稲田文学』(11月号)で発表された川上未映子の短編小説です。『わたくし率イン歯ー、または世界』に収録されています。

著者:川上未映子について

  • 1976年大阪府生まれ
  • 『わたくし率イン歯ー、または世界』でデビュー
  • 『乳と卵』で芥川賞受賞
  • メディアを問わず活動中

川上未映子は、1976年生まれ大阪府出身の詩人・小説家です。2007年に『わたくし率イン歯ー、または世界』でデビューし、2008年には『乳と卵』で芥川賞を受賞しました。その後も『ヘヴン』『あこがれ』などの作品を発表し、数々の文学賞を獲得しました。

かつては歌手として活動していたこともあり、ラジオやテレビ、映画など幅広く活動しています。英訳されている作品もあり、海外からの注目も集めている作家です。

川上未映子 公式サイト

『感じる専門家 採用試験』のあらすじ

主婦は、布団にくるまりながら物の〈在る〉を感じています。そしてスーパーに向かった主婦は妊婦に話しかけ、妊娠と出産について妊婦に問うのでした。

登場人物紹介

主婦

年齢不詳。1日1回、夕方4時にスーパーに行くのが日課。

妊婦

主婦と同じマンションに住んでいる。

『感じる専門家 採用試験』の内容

この先、川上未映子『感じる専門家 採用試験』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。

一言で言うと

「私」の所在

生む・有無

冬の夕方、布団の中でゴロゴロしていた主婦は、4時になったのを確認してスーパーに向かいます。

スーパーには、同じマンションに住んでいる妊婦がいました。〈無い〉ところに〈有る〉をつくる妊娠という行為を思いながら、主婦は妊婦を呼び止めて語りました。

「なぜ子供が欲しいのか。子供が欲しいなら孤児を引き取れば良いではないか。あなたは何を生むのです。一度有ってしまえば二度と無かったことにはできない世界を、あなたは作ってしまうのですね。わたしはとても恐ろしい」

「いややわなんなの。あたしが、あたしの子供を産むんです。生まれてくる子供かて、あたしの世界に含まれますから。無いものはもともと有りません。有るものはもともと有るのです。あなたは何が怖いのです」

『感じる専門家 採用試験』の解説

「私」の所在

『感じる専門家 採用試験』は、「筆記試験です」「実技試験です」「試験結果です」の3つのパートからなっています。

印象的だったのは、「筆記試験です」のとき三人称で〈主婦〉であったのに、「試験結果です」では〈わたし〉と一人称になっていた点です。以下は、最終章「試験結果です」における主婦の語りです。

言葉はなかった、問いがないから世界もなかった、生まれたそのとき、わたしは〈母〉しか感じんかった、わたしは〈在る〉しか感じんかった、(中略)1も宇宙もフォークも権利も、主婦もキュウリも頭の中の妊娠も、〈在る〉よりまえにはありえんかった、

主婦という肩書を与えられ、主婦のように振舞いながら自分自身が何者なのかイマイチ理解していない発言をしていた主婦ですが、妊婦との会話を通して自身のアイデンティティを取り戻したように思います。

〈無い〉から〈有る〉が生まれるのではなく、〈在る〉から〈有る〉が生まれることに気づいた主婦が、自分のルーツが〈無い〉ではなく〈在る〉としての母だと知って、自身を主婦でなく確固たる「私」と認識したのではないかと思いました。

戦う専門家

『感じる専門家 採用試験』は、川上未映子さんのデビュー作『わたくし率イン歯ー、または世界』の文庫版に収録されている作品です。

わたくし率イン歯ー、または世界』にも『感じる専門家 採用試験』にも、対極の意見を持つ2人の人物が意見をぶつけ合う描写があります。そして、一方はマジョリティの考え方で、もう一方はマイノリティの考え方をしています。

今回の場合、子供を産みたいと願う妊婦がマジョリティで、妊娠・出産を否定する主婦がマイノリティです。

正義と正義の戦い

彼女の作品の面白いところは、マジョリティ・マイノリティ問わず両者に平等に発言の権利が与えられていることです。『感じる専門家 採用試験』にも、主婦と妊婦の両方が自分の意見をぶちまけるパートがしっかり設けられています。

川上未映子による初の長編小説『ヘヴン』にも、同じ構図が採用されています。『ヘヴン』は、いじめをテーマに善悪の根源を問う作品で、物語の後半では「いじめる方が悪いのか」「いじめられる方が悪いのか」という議論が行われました。

道徳的に正しいのは前者(マジョリティ)だけれど、後者(マイノリティ)も一理ある。作者は両方に発言の権利を与えて、平等に論を戦わせました。しかし、結局明確な答えが出ないまま議論は終わってしまいました。

 

『感じる専門家 採用試験』でも、主婦と妊婦の議論の結果は出ていません。なぜなら、両方正しいからです。主婦の世界に生きる人は主婦の意見が正しいと思うし、妊婦の世界に生きる人は妊婦の意見が正しいと思います。

主婦は、「子供を生んだら世界が1つ増えてしまう、だから出産は恐ろしい」としています。一方で妊婦は、「生まれてくる子供は自分の世界の中にいるから、世界は1つ」と主張します。前提が異なるため、議論に決着がつきません。

 

では、現実では正義と正義の戦いにどのように折り合いをつけてるのか?という疑問が湧いてきます。いくら正しくても、お互いが主張し合っているだけでは現実の世界は破綻してしまいます。

そのため、現実では「譲歩」とか「意見のすり合わせ」ということが行われます。片方が片方の世界に足を踏み入れる(折れる)ことで、上手く着地点を見つけているのです。

 

川上未映子の作品では、この譲歩が全く無視されています。というか、譲歩して結果を出すことが目的ではなく、意見を戦わせることを目的としているのではないかと思うのです。

相手を受け入れる姿勢を一切見せず、自身を基準に論を展開する清々しさ。

彼女の作品で繰り広げ破られる論戦を見るたびに、意見をぶつけて一つの結論を出すことがいかに難しいかを感じます。

『感じる専門家 採用試験』の感想

何がそんなに意味めくの

出産に対して「なぜ」「どうして」と問い続ける主婦に向かって、妊婦が放った「何がそんなに意味めくの」という言葉が印象的でした。

なぜ?どうして?と問うことは、理由を求めているということです。理由を求めているのは、そこに何かしらの意味があると思っているからです。妊婦が何を生むのか、なぜ子供を生むのか、その意味を追求するべく主婦は妊婦に質問を投げます。

しかし、妊婦はそんなことにまで意味を見出そうとはしません。自分の子供が欲しいから孕む、ただそれだけです。こうした認識の差が、主婦と妊婦の間にあるのだと思いました。

 

何よりもかによりも、ほんまに無事に生まれてきて欲しいなってもうそれだけやわ。(中略)ちゃんと生まれてきて欲しい。あたしはマジでもうそれだけ。

難しいことをごちゃごちゃ考えず、ただ単に無事に子供が生まれることだけを願う妊婦のこの語りが、主婦との思考の違いをより明確にしています。

最後に

今回は、川上未映子『感じる専門家 採用試験』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。

ぜひ読んでみて下さい!

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yuka
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「純文学を身近なものに」がモットーの社会人。谷崎潤一郎と出会ってから食への興味が倍増し、江戸川乱歩と出会ってから推理小説嫌いを克服。将来の夢は本棚に住むこと!
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