『センセイの鞄』は、川上弘美の人気に火をつけた決定的な作品です。枯れた老人とアラフォー女性の淡い恋愛が描かれています。
今回は、川上弘美『センセイの鞄』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!
Contents
『センセイの鞄』の作品概要
著者 | 川上弘美(かわかみ ひろみ) |
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発表年 | 1997年~2000年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 長編小説 |
テーマ | 恋愛 |
『センセイの鞄』は、1997年~2000年に雑誌『太陽』(1999年7月号~2000年12月号)で連載された川上弘美の長編小説です。
居酒屋で再会したアラフォー女性と初老の男性が、徐々に距離を縮めていく様子が描かれています。
2001年に第37回谷崎潤一郎賞を受賞し、ベストセラーとなりました。2003年にドラマ化され、同年には小泉今日子さんと柄本明さん主演で映画化されました。
著者:川上弘美について
- 1958年東京生まれ
- お茶の水女子大学理学部生物学科卒業
- 『蛇を踏む』で芥川賞受賞
- 紫綬褒章受章
川上弘美は、1958年生まれ東京都出身の小説家です。お茶の水女子大学理学部生物学科を卒業後、高校の教員を経て小説家となりました。
1996年に『蛇を踏む』で第115回芥川賞を受賞し、その後も中年女性と初老の男性の恋を描いた『センセイの鞄』がベストセラーとなり、数々の文学賞を獲得しました。2019年には、その功績がたたえられて紫綬褒章(しじゅほうしょう)を受章しました。
『センセイの鞄』のあらすじ
37歳のツキコは、駅前の居酒屋で高校時代の国語の教師「センセイ」と再会します。2人は居酒屋で会えば世間話をする仲になり、しだいに露店めぐりやキノコ狩り、お花見などをするようになりました。
そしてツキコは、センセイと仲良くする女性への嫉妬や、言い寄ってくる別の男性への違和感を経て、センセイへの気持ちを自覚するのでした。
登場人物紹介
大町ツキコ
37歳独身。居酒屋でセンセイと居合わせてから、センセイと交流をするようになった。
センセイ
松本春綱(まつもと はるつな)。元国語教師の67歳。15年前、妻に逃げられた。駅前の居酒屋に通っている。
サトルさん
センセイとツキコが通う居酒屋の店主。
小島孝(こじま たかし)
ツキコの高校の同級生。ツキコに気がある。
石野(いしの)先生
50代半ばの美術の先生。ツキコが高校生のとき、生徒から人気があった。
『センセイの鞄』の内容
この先、川上弘美『センセイの鞄』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。
一言で言うと
30歳の年の差恋愛
ツキコの中のセンセイ
数年前に居酒屋で再会してから、ツキコとセンセイの交流が始まりました。センセイは、ツキコの高校時代の国語の先生でした。
2人は約束をせずとも自然とその居酒屋で会い、はしごしたり、ときにはツキコがセンセイの家に行ったりと2人はゆるやかに交流します。そのうち、居酒屋の店主であるサトルさんも会話に交じるようになりました。
それから、ツキコはセンセイに誘われて市に出かけたり、軽いケンカをしたり、サトルさんにキノコ狩りに連れて行ってもらったりします。
そして年が明けたお正月。孤独にふるえていたツキコは、コートを羽織って外に出ました。ツキコはバスを待っていましたが、バスは一向に来る気配がありません。最終のバスはもうすでに出てしまっていたのです。
いよいよ心細くなったツキコは、「センセイ、帰り道が分かりません」とつぶやきました。すると、「ツキコさん」と呼ぶ声が聞こえます。ツキコが振り向くと、そこにはセンセイがいつものように立っていました。
そして2人は並んで歩き、駅前の赤ちょうちんに入ります。酒を飲んで感傷的になり、泣きそうになったツキコは「明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします」と言いました。
センセイは、「ツキコさん、よくご挨拶できましたね。えらいえらい」と笑ってツキコの頭をなでました。
花見
あるときセンセイは、毎年高校の始業式前に開催されているというお花見にツキコを誘いました。センセイは、石野先生という美術の先生からハガキをもらったのでした。石野先生は、ツキコが高校生のとき30代半ばだった魅力的な先生です。
当日、ツキコは気乗りしませんでしたがセンセイに連れられて土手までやって来ました。しばらくしてから、センセイは石野先生と並んで楽しそうに話し始めます。その手には、いつもは食べないタレの焼き鳥が握られていました。
ツキコは、「こういうところでは融通のきく質なのだな」と胸の中で毒づきます。
そんなとき、小島孝という高校時代の同級生が、ツキコに話しかけてきました。そして、ツキコと小島孝は花見を抜けてバーに向かいます。
2人は夜まで飲みながら言葉を交わします。別れ際、小島孝はツキコにすばやくキスをしました。
告白
それから、ツキコは小島孝に旅行に誘われました。ツキコはあいまいな返事をして、センセイのことを思います。
サトルさんの店でセンセイと会ったツキコは、その日深酒してしまいました。ふと気が付くと、ツキコはセンセイの家にいました。「自分で行きたい行きたいと騒いだじゃありませんか」とセンセイは言います。
そこで、ツキコは「小島孝とは旅行に行きたくない」とはっきり自覚します。それから勢いで「センセイが好きなんだもの」と言ってしまいました。
恋愛を前提に
あるときセンセイは、サトルさんの店から帰っている途中、ツキコに「島にいきませんか」と言います。ツキコは期待に胸をふくらませますが、添い寝止まりで旅行は終わってしまいました。
その後、ツキコはセンセイと美術館で「デート」をしました。その帰り、センセイは「恋愛を前提としたおつきあいをして、いただけますでしょうか」とツキコに告げます。ツキコは、センセイの胸に飛び込みました。
センセイの鞄
「正式なおつきあい」を始めてから3年後、センセイは亡くなりました。ツキコは、センセイの息子からセンセイの鞄を遺品としてもらいます。
天井のあたりからセンセイの声が聞こえてきそうな夜、ツキコは鞄の中に広がるぼんやりとした空間を見つめるのでした。
『センセイの鞄』の解説
センセイと小島孝の違い
センセイと小島孝のツキコとのかかわり方は大きく異なります。以下では、その違いにクローズアップします。
違い①:場所
小島孝は、アイロンのきいたシャツに、黒いギャルソンエプロンをつけたバーテンのいる小洒落(こじゃれ)たバーにツキコを連れて行ったり、映画や旅館に誘ったりします。
一方でセンセイはツキコを市に連れて行ったり、一杯飲み屋で静かに飲んだりと、小島孝とは対照的です。
この時点では、ツキコとセンセイにお互いを意識する感情が表出していなかったというのもありますが、ある程度年を重ねた男女が2人で会う場所ではないように思われます。
違い②:食べ物
小島孝は、バーでチーズ入りのオムレツやチシャのサラダ、カキの燻製(くんせい)などをツキコに食べさせます。そして、そこでは赤ワインやカクテルを飲むのでした。
他方、ツキコとセンセイは居酒屋で塩らっきょやきんぴらレンコン、まぐろ納豆などを食べ、初めてのお出かけでは豚キムチ弁当をほおばり、ときには茶碗に注いだ日本酒をあおったりします。
小島孝と比較すると、センセイはいかに庶民的で、気取らないものを飲み食いしているかが分かります。
違い③:会計
小島孝は、ツキコの知らぬ間に会計をすませるスマートさを持ち合わせています。また、兄がいないのに「兄貴からもらった切符だから、(お金は)いいんだ」と言ったり、器用に立ち回ります。
反対にツキコとセンセイは、きっちり割り勘するのが常です。貸し借りしないフラットでさっぱりした関係を、2人は築いています。
ツキコは最終的に小島孝への違和感を自覚しますが、このように変に男女の関係を構築しようとする小島孝の姿勢にも、ツキコはしっくりきていなかったのではないかと思います。
スピードの違い
小島孝は、とにかく性急なのが特徴です。高校以来に再会したツキコをその場でバーに誘い、腰に手を回し、手をつなぎ、別れ際には奪うようにキスまでしました。それからも、小島孝はツキコを積極的に映画やら旅行やらに連れて行こうとします。
センセイは、ツキコの頭をなでてみたり、1つの傘の中で2人「よりそった」り、ツキコの頬に触れたりと、かすかなスキンシップを重ねます。急ぐことなく、少しずつ距離を縮めていくのです。駆け引きもなく、次に会う約束もしない関係です。
まとめると、良く言えばかっこよく、悪く言えばありがちな恋愛ルールに則っているのが小島孝です。一方で、自然体で気取らないのがセンセイです。この姿勢の違いが、ツキコにセンセイを選ばせる理由となったのでした。
いつも小島孝と「バーまえだ」にくると、この場所に自分がいるべきではないような気がする。しぼった音で流れるスタンダードジャズ。きれいにみがきあげられたカウンター。一点のくもりもないグラス。かすかなたばこの匂い。ほどよいざわめき。非のうちどころがない。それがわたしを居心地悪くさせる。
この語りは、ツキコが小島孝といるときのおさまりの悪さを端的に表しています。
なぜセンセイを選んだのか
「だだっ子ですから」というツキコのセリフが表しているように、ツキコは実に未熟で不完全な大人です。
年齢と、それにあいふさわしい言動。小島孝の時間は均等に流れ、小島孝のからだも心も均等に成長した。
いっぽうのわたしは、たぶん、いまだにきちんとした「大人」になっていない。小学校のころ、わたしはずいぶんと大人だった。しかし、中学、高校、と時間が進むにつれて、はんたいに大人でなくなっていった。さらに時間が経つと、すっかり子供じみた人間になってしまった。
また、センセイは水たまりの道をひょいひょい進んでいくのに、ツキコはあちこちにふらふらしながら進むなど、ツキコの不器用で子供らしい行動・言動が見え隠れするシーンは他にもたくさんあります。
ツキコのこの子供らしさが、彼女がセンセイに惹かれた要因なのではないかと思います。
ツキコはセンセイと小島孝の間で揺れていました。しかし、ツキコは最終的にセンセイを選びました。
その理由は、センセイが大人で、かつツキコが素をさらけ出せる存在だったからだと考えられます。小島孝もたしかにツキコの言う「大人」でしたが、決定的な違いは両者を前にしたときのツキコの落ち着き具合です。
ツキコは小島孝の前では固くなり、常に違和感や居心地の悪さを感じています。一方、センセイと一緒にいるときのツキコは、怒ったり泣いたりだだをこねたりと、感情を放出させています。このことに関して、以下の引用部で詳細に語られています。
どうしてセンセイと話をするときにわたしはすぐに憮然としたり憤慨したり妙に涙もろくなったりするのだろう。もともとわたしは感情をあらわにする方ではないのに。
感情を自由に表現でき、さらにそれを受け止めてくれるセンセイの包容力に、ツキコは惹かれたのだと思います。
センセイもセンセイで、ツキコを子供扱いしている部分があります。最初のスキンシップは頭をなでることであったし、その後も言葉の端々にツキコを親目線で見ていることがにじみ出ています。
「子供」であるツキコには、「大人」である保護者的な存在が必要です。その役割にぴったりだったのがセンセイだったのではないかと思います。
描かれないセンセイの鞄
タイトルとなっているセンセイの鞄は、作中にほとんど登場しません。
振り向くと、センセイが立っていた。軽くてあたたかそうなコートを着て、いつもの鞄を提げて、姿勢よく立っていた。
部屋の隅にはセンセイの鞄が置いてある。いつもの、鞄である。
センセイの鞄は遺品ということで、作品にとって重要なアイテムなのです。しかも、センセイは「鞄をツキコに」という旨(むね)の遺言にわざわざ書き残していたので、鞄には相当思い入れがあることが読み取れます。
しかし、センセイの鞄がツキコによって語られる回数は、なぜか少ないのです。
ポイントは、「いつもの」というように形容されている点だと思います。このことから、語られていないだけでセンセイは常にその鞄を持っていることが分かります。鞄は「いつも」センセイの隣にあったのです。
鞄がセンセイの隣にあることがあまりにも当たり前だったため、ツキコは鞄を語らなかったのではないかと考えました。
幻想を作り出す工夫
川上弘美の作品は、幻想的でぼんやりとした雰囲気をまとっているのが特徴です。そしてツキコやセンセイの情報が非公開であることが、この現実離れした感じを演出しているのだと思います。
ツキコとセンセイの私生活は、ほとんど明かされていません。センセイは普段なにをしているのか語られませんし、ツキコもどこかの会社に勤めているOLであるということしか分かりません。
では、なぜ私生活に関する情報を排除すると、浮世離れした感じをかもしだせるのでしょうか。それは、俗っぽい(現実味のある)情報が、アンニュイでふわふわした世界観をジャマしてしまうものだからです。
たとえば、仮にセンセイが年金暮らしであるということが明かされたとします。すると、読者は嫌でも「どれくらいもらっているのか」「年金暮らしだったら、生活水準はこれくらいだろうか」とか、勝手なことを想像してしまうでしょう。
またツキコの職場のことが語られた場合は、「ツキコは職場でどのような立ち位置なのか」「小島孝のほかにも、ツキコに言い寄っていた人がいたかもしれない」などと、物語に関係ない余計なことまで考えてしまいます。
作者はそうした俗な情報によって、作品世界の非現実的な雰囲気が壊れないように、あえて読者に提示する情報を絞ったのではないかと思いました。
『センセイの鞄』には、ツキコとセンセイの会話や、旅行、デートしか描かれていません。物語は、2人の行方を追いかけることだけに特化しているのです。
つまり、読者はツキコとセンセイを俯瞰(ふかん)して客観的に冷めた目で見ることはできず、2人の間の甘い空気にひたることになります。だからこそ、読者はさほど違和感なく、アラフォー女性と初老男性の恋を受け入れられるのではないでしょうか。
浮世離れしていてつかみどころがないという特徴は、『風花』の語り手・のゆりや『ニシノユキヒコの恋と冒険』で女性を魅了し続けたニシノユキヒコにも見られます。
彼らもまた、現実からは少し距離を置いた不思議な存在です。冷静沈着で感情をあまり表に出さず、どこか退廃的な雰囲気をまとっています。現実の世界を舞台にしているのに、どこかズレている妙な世界を描くのが、川上弘美という作家です。
『センセイの鞄』の感想
酒がすすむ
『センセイの鞄』では、サトルさんが経営する一杯飲み屋を中心に食事の場面が展開されます。
そして、そこではおしゃれさやハイセンスさとはかけ離れているものの、庶民的で親しみやすい料理が提供されます。枝豆に湯豆腐、焼きナスにたこわさなど、お酒が飲みたくなる居酒屋メニューが勢ぞろいです。
小島孝とセンセイの比較にもつながりますが、ここでは見かけの良さと好みは比例しないということが示されているように思われます。
真っ白でピカピカの陶器の皿の真ん中に、料理がうやうやしく乗せられているフレンチだけでなく、大皿に無秩序に盛られた生活感あふれるチープで大衆的な料理もいいよね、という作者の声が聞こえてくるようです。
「ツキコさん、うまそうな食べ方をしてますな」豚キムチの残り汁をご飯にまぶして食べているわたしを見ながら、センセイはうらやましそうに言った。センセイはすでに食べ終えている。
「行儀悪でごめんなさい」
「たしかに行儀はなっとらんです。でもうまそうだ」
きれいでおしゃれなのと美味しいのは違うということが、示されている会話です。
和歌のように上品な恋
ツキコとセンセイは、ゆるやかに流れる時間の中でのんびりとした恋愛をします。センセイが国語教師だったということで、たびたび登場する詩や句も風流さを増させています。
以下では、特におもむき深いと感じた箇所や文をご紹介します。
月
『センセイの鞄』は月の描写が多いのが特徴です。
「月が、ずいぶん傾いてきましたね」
月がふたたび暈をまといはじめていた。
月が、明るい。靄をまとっていても、明るい。
思えば、語り手の名前も「ツキコ(月子)」です。和歌によく詠まれた月は、日本人の美意識に深く入り込んでいるモチーフであり、幽玄(ゆうげん)の世界へいざなう装置でもあります。
ツキコとセンセイの静かな恋愛に月が入り込むことで、それがより高尚(こうしょう)で優美なものであるというイメージが付けられました。
死
『センセイの鞄』で最後まで意識されなかったのは、死の存在です。それまで気にならなかったセンセイの口元の老いを感じ、センセイが風邪に倒れたことを知ったツキコは、ようやく「いつだって、死はわたしたちのまわりに漂っている」と認識するのです。
そして、同時に読者もセンセイの死を意識します。そこから結末に至るまで、最期まで楽しもうとするツキコの意志が感じられて、切なさが倍増しました。
恋愛と死、それから連想される別れも、古典をほうふつとさせるわびしさに包まれています。これもまた、雅(みやび)な空気を演出しています。
最後に
今回は、川上弘美『センセイの鞄』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。
ぜひ読んでみて下さい!