純文学の書評

川上弘美『ニシノユキヒコの恋と冒険』のあらすじ・内容解説・感想

光源氏のごとく、立場・年齢・タイプ関係なしにどんな女性でも虜にしてしまうニシノユキヒコ。しかし彼の欠点は、ひとを愛することができないこと。そのせいで、ニシノはモテにモテるのにもかかわらず、女性から必ず捨てられてしまうのです。

『ニシノユキヒコの恋と冒険』には、器用そうに見えて非常に不器用なニシノの恋愛遍歴が描かれています。

今回は、川上弘美『ニシノユキヒコの恋と冒険』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!

『ニシノユキヒコの恋と冒険』の作品概要

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著者川上弘美(かわかみ ひろみ)
発表年
発表形態雑誌掲載
ジャンル連作小説
テーマ

『ニシノユキヒコの恋と冒険』は、雑誌『小説新潮』で発表された川上弘美の連作小説です。

『ニシノユキヒコの恋と冒険』は、2014年に竹野内豊さん・尾野真千子さん主演で映画化されています。

他にも、木村文乃さんや本田翼さん麻生久美子さんなど豪華な女優が出演しており話題となりました。映画では、7人の女性とニシノユキヒコの恋愛模様が描かれています。

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著者:川上弘美について

  • 1958年東京生まれ
  • お茶の水女子大学理学部生物学科卒業
  • 『蛇を踏む』で芥川賞受賞
  • 紫綬褒章受章

川上弘美は、1958年生まれ東京都出身の小説家です。著名な生物学者の父と文学好きの母を持ち、お茶の水女子大学理学部生物学科を卒業後、高校の教員を経て小説家となりました。

『神様』でデビューしたあと、1996年に『蛇を踏む』で第115回芥川賞を受賞し、中年女性と初老の男性の恋を描いた『センセイの鞄』がベストセラーとなりました。2019年には、その功績がたたえられて紫綬褒章(しじゅほうしょう)を受章しました。

『ニシノユキヒコの恋と冒険』のあらすじ

仕事ができる美男子で、女性から常に求められているニシノユキヒコ。

立場や年齢、タイプ関係なしにどんな女性でも虜にしてしまうニシノでしたが、いつも2番目で決して1番になることはありません。そのため、モテるにもかかわらず必ずニシノの方が振られてしまうのです。

「どうして僕はきちんとひとを愛せないんだろう。」そんな思いを抱いたまま、ニシノは数々の女性と関係を持つのでした。

登場人物紹介

西野幸彦(ニシノユキヒコ)

多くの女性と関係を持つプレイボーイ。

山片しおり(やまがた しおり)

「草の中」の語り手。当時14歳。同級生の田辺徹と付き合っている。

榎本真奈美(えのもと まなみ)

「おやすみ」の語り手。当時30代。ニシノの上司。

エリ子

「しんしん」の語り手。当時40歳。ニシノの隣人。

加瀬愛(かせ あい)

「ぶどう」の語り手。当時大学生。江の島の海の家でアルバイトをしている。

御園のぞみ(みその のぞみ)

「水銀体温時計」の語り手。当時大学3年生。ニシノと同じ大学に通っている。お気に入りの場所は、近所の公園にある土管の中。

『ニシノユキヒコの恋と冒険』の内容

この先、川上弘美『ニシノユキヒコの恋と冒険』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。

一言で言うと

現代版光源氏の女性遍歴

草の中で

しおりは、人けのない空き地にいろいろなものを埋めています。あるとき、しおりはクラスメイトの西野君が空き地に女の人と2人でいるところを見ました。いくつかの言葉をかわし、その日は別れました。

しおりは、西野君はクラスの子には決して感じられない空気をまとっていると感じます。押せば押すほど深みにはまるような、それでいて西野君にはとどかないような、それでも心地よいと思える空気です。

 

その後、しおりは久しぶりに空き地に行って身をひそめます。そこにあの女の人と西野君がやってきて、石の上に座って会話を始めます。女の人はおもむろに胸をさらし、ほとばしる白い液体を西野君に吸わせました。

女の人が去ったあと、西野君はしおりに気づきます。あの女性は西野君の年の離れた姉で、彼女は生後6か月の子供を亡くしたのばかりなのだと言います。しおりは、西野君とその姉の間に、恋人とも肉親ともつかない空気があるのを感じました。

西野君は、「山片って、田辺とつきあってるのか」としおりにたずねました。しおりが肯定すると、「僕も山片のこと、ちょっと好きだったんだよな」と言いながら、西野君はしおりの口をふさぎました。

 

空き地は、その年の冬にならされて売り地になりました。しおりは、中学を卒業して会うことが無くなっても、人生の局面で西野君を何度も思い出すにちがいないと思いました。

おやすみ

真奈美は、優雅に、凶暴に、ユキヒコにとらえられました。ユキヒコは真奈美の部下で、会社の会議室で迫られて心を許したのでした。初めは真奈美の方がユキヒコに夢中でしたが、そのうちユキヒコの方が真奈美に傾斜するようになります。

真奈美は、ユキヒコにぎくしゃくしたものを感じていました。「生まれつき、ぎくしゃくしてるんだ、僕は」「うまれつき」「脳の一部か、腎臓か肝臓の一部あたりが、つくりものなのかもしれない」2人はこんな言葉を交わします。

そしてユキヒコは、「両親や姉はつくりものの自分をかわいそうに思って、自分を愛してくれていたのかもしれない」と言いました。

 

あるとき真奈美は、ユキヒコが自分に飽きてしまったと感じます。そして、なお甘い言葉をささやくユキヒコに別れを告げました。ユキヒコは、「どうして僕はきちんとひとを愛せないんだろう」と嘆きます。

真奈美はかわいそうなユキヒコを残して、ユキヒコの部屋を出ました。

しんしん

いつかの夏から、エリ子の部屋のベランダに猫のナウがやって来るようになりました。ナウがベランダにするっと入ってきたのと同じように、ごく自然にエリ子の部屋に入って来たのは、隣に住んでいるニシノくんでした。

ナウにとって、エリ子は「恋人」。ニシノくんは「いいお友達」。エリ子とニシノくんは、たびたびそんなことを話します。2人は、ナウをきっかけに仲を深めました。

しかし、転機は突然訪れます。ニシノくんが転勤することになったのです。ニシノくんは「僕と、結婚しない」と言いましたが、エリ子は笑っただけで何も答えませんでした。

ニシノくんが去ったあと、ナウも姿を見せなくなってしまいました。「恋人にも、いいお友達にも、去られたね。」エリ子はそんなひとりごとをつぶやくのでした。

ぶどう

海の家でアルバイトをしていたは、あるとき西野さんと出会います。西野さんは、今まで出会ってきた女の子と愛は、何かがちがうのだと言います。愛は、西野さんを全く恋しく思っていなかったのです。

一方、西野さんは愛にひどく夢中で、会社を抜け出して会いに来るほど。その後も愛に心中することを迫るなど、西野さんの愛への執着は加速していきます。しまいには「愛が逃げるといけないから」と言って、西野さんは愛に足かせをつける始末です。

あるとき、西野さんから電話がかかってきました。西野さんは唐突に「事故にあった。たぶん、おれ、死ぬよ」と言いました。

西野さんの葬式で、愛は「西野さん、あたしは、やっぱり西野さんのこと、愛せなかった。ごめんなさい」と語りかけたのでした。

水銀体温時計

のぞみは、大学の裏庭の芝生に寝そべっているとき、西野くんに声をかけられました。

西野くんとはその後、公園の土管の中で再会します。西野くんは、「土管は、僕も好きなんだ」と言いました。そして、自身の姉とのぞみが似ているから、なつかしい女性だと話します。

西野くんには、12歳離れた姉がいました。姉は西野くんが中学生のときに出産しましたが、子供は急死してしまいます。それから姉夫婦は離婚し、姉は自殺しました。西野くんは、自分が姉を異性として愛していたのではないかと疑うようになったのだと言います。

 

その後しばらくして、西野くんがのぞみの家にやって来ました。「これ、さしあげます」と言って西野くんが差し出したのは、姉が使っていたという水銀体温時計です。

のぞみはときおり意味もなく熱を測ってみますが、そのたびに西野くんの人生を思わずにはいられないのでした。

『ニシノユキヒコの恋と冒険』の解説

ニシノユキヒコという人

『ニシノユキヒコの恋と冒険』は、連作小説です。連作小説とは短編小説の集まりのことで、それぞれの物語は独立しておらず関連しているのが特徴です。

本作は、ニシノユキヒコと関係を持った10人の女性たちが、その思い出を回想する形で進みます。ニシノユキヒコが語り手になることはなく、女性たちがニシノユキヒコを語ることで、彼の人物像が浮かび上がってくるという形式です。

ここでは、ニシノユキヒコがどんな人物なのか簡単に確認します。

容姿

「豊かな髪。角ばっているけれど張りすぎていない顎。たっぷりとした黒目。」(「おやすみ」)

女性の髪の美しさを表現することはよくありますが、男性の髪について言うのはなかなかないなと思いました。それだけインパクトがあったのだと思います。

「たっぷりとした黒目」で、赤ちゃんの目を想像しました。愛らしい印象を与える目です。輪郭は、男性らしくもゆるやかなようです。

総じて、ニシノは雄々しいというよりは、少し女性のような可愛らしさがあるような感じなのだと予想できます。

「幸彦の顔は甘い。」(「ドキドキしちゃう」)

甘いマスクの正統派イケメン、という感じでしょうか。『ニシノユキヒコの恋と冒険』の10篇の物語で、ニシノと同い年の女性は2人、年下は3人、年上は5人です。

ニシノは年齢問わずさまざまな女性を引き付けますが、得意分野は年上の女性のようです。この甘い顔も、彼女たちを魅了する要因と考えられます。「たっぷりとした黒目」や可愛らしさのある輪郭も、それを助長しています。

人柄・雰囲気

「信頼される部下。気のおけない同僚。飲みに連れて行ってもらいたい先輩。」(「おやすみ」)

ニシノの3歳年上の上司・真奈美の発言です。女性だけに好かれて男性からは煙たがれているのではなく、男性の方でも年齢や立場問わず多くの人の心をつかんでいます。非常に上手く立ち回っている様子が想像できます。

「30もとっくに過ぎているだろうに、「ニシノくん」と、くんづけで呼びたくなるような、妙な若々しさが、ニシノくんにはあった。」(「しんしん」)

独身だからこその若々しさなのか、ニシノ特有の若々しさなのか分かりませんが、おそらく後者なのだと思います。甘い顔と若々しさが、年を重ねても女性を魅了し続けた秘訣なのかもしれません。

「ユキヒコはいつもほほえんでいる」(「おやすみ」)

10篇の小説の中で、ニシノが感情を荒げる場面はありません。本当に「いつもほほえんで」いて、それ以外の感情を放出させることがないのです。

ごくたまに「凶暴」になったり(「おやすみ」)、狂気を見せたりもしますが(「ぶどう」)、基本的にはすべての感情を笑顔の裏に隠しているという印象です。

そのため、腹の中が見えてこないのがニシノの特徴です。「草の中で」の語り手のしおりは、「いくら押しても、空気の向こうにある西野君には決して届かないのだ」と言っていました。ほほえみに巧妙に隠されたニシノの本心を探るのは、至難の業だと思います。

社会的地位

「こんな昼なかに。会社を抜け出して来ていらっしゃるの?」
この明らかに無礼な質問にも、ニシノくんは礼儀正しく答えた。自分の勤務している商社での現在の自分の部署は、ヨーロッパ製の鍋や釜をとり扱っていること。(「まりも」)

恋愛ばかりに長けているかと思いきやそうではなく、商社勤務で「まりも」の語り手・ササキサユリからは「37歳独身。魅惑の会社員。」という評価を受けています。

ニシノは、35歳のときに出会ったエリ子(「しんしん」)とは自身の転勤が理由で別れています。商社勤務の転勤は当たり前なので、納得できます。

ただ、27歳~30歳にかけて勤めていた会社と同じかどうかは分かりません。上司の真奈美と関係を持った上に破局したからです(「おやすみ」)。

しかし天性の浮気性のニシノが、同じ会社に元カノがいることに気まずさを感じるとは思えません。そのため、新卒からずっと同じところに勤めているの可能性が高いと思われます。

「こんなことなら、会社なんか起こさなきゃよかった」(「ぶどう」)

「ぶどう」でのニシノの発言です。このときニシノは50代半ばなので、それよりも前に起業してたことになります。ただ、37歳の時点で会社員なので(「まりも」)、少し遅めの起業ということになります。

会社員として人生を終えるのではなく独立しており、社会的にも成功を収めているようです。

なぜニシノは女性遍歴を重ねるのか

彼氏持ちのクラスメイトの唇を奪い(「草の中で」)、上司を口説いたかと思いきや(「おやすみ」)、その裏で元カノと旅行に出かけ、(「ドキドキしちゃう」)、夜は女の子からひっきりなしにかかってくる電話に対応(「しんしん」)するニシノ。

大学生や専業主婦、人妻、隣人など、ニシノは年齢や立場関係なく女性と関係を持っています。ただの女たらしと言ってしまえばそれまでですが、ニシノのこのような行動にはなにか理由があるのではないでしょうか。

 

結論から言うと、ニシノは負のループにおちいってしまったのではないかと思うのです。

女性から振られてしまい、その寂しさを紛らわせるために他の女性を求め、それが女性たちからは軽率な行動ととらえられてしまい、結果的にまた振られてしまう、というループです。

では、なぜニシノは人をきちんと愛すことができないのか。その理由を以下で考えます。

①つくりものの人間

ニシノは、自身のことを「つくりもののの人間」と表現しています。これは、ニシノに絶妙に人間味がなく、ニシノが不自然な存在であることを示していると考えられます。

「父親も母親も姉も僕をかわいがった。かわいがりすぎるほどだった。あれは、僕がつくりもののの人間だから、かわいそうに思ってのことだったのかもしれない」(「おやすみ」)

ニシノは、自分が「つくりもののの人間(人間らしくない人間)」であることを自覚しています。そして、自身のそうした性質に同情した両親が、自分をかわいがってくれたと発言しています。

つまり、ニシノは本心から他人に愛された経験がないと思っているのです。ニシノが他人を上手く愛せないのは、本心から純粋に愛された感覚を持っていないからだと考えられないでしょうか。

②姉の死

ニシノには、12歳年の離れた姉がいました。姉はニシノが中学生のときに妊娠し、死産したあとに自殺を図(はか)りました。ニシノはいくつかの話の中で姉のことを語っており、姉はニシノにとって特別な存在であったことが推測できます。

ニシノと姉の関係を端的に表しているのは、「草の中で」のしおりの語りです。空き地にいるニシノと姉を、しおりは次のように表現しています。

西野君とお姉さんの間にあった、あの空気は、恋愛をしている者どうしの持つ空気とはちょっと違っていたが、肉親どうしの持つ空気とも、あきらかに違っていた。(「草の中で」)

さらに大学生になったニシノは、自分が姉を異性として愛していたのではないかと疑うようになったと語ります(「水銀体温時計」)。

 

異性として愛していたかもしれない、姉の死。これが、それ以降のニシノの女性遍歴に大きな影響を与えていると考えられます。

ニシノは一見淡々としているように見えますが、実は弱くて寂しがり屋で、なにかをおそれている節があります。ニシノがおそれているのは、「愛する人を失ったときに自分が傷つくこと」ではないでしょうか。

ニシノは最愛の姉を亡くした経験を経て、「誰か1人に愛する人を決めてしまったら、それを失ったときに代わりがいなくてつらい思いをする」ということを学びました。

 

だからこそ、ニシノは愛されたいという思いを持ちつつも、無意識のうちに誰のものになること(誰か1人を決めて愛すること)を拒否しています。そうした矛盾した思いが、ニシノに多くの女性と関係を持つという行動に走らせています。

言いかえれば、ニシノは愛することをおそれているせいで、他者から愛されないのだと思います。

なぜニシノは本命になれないのか

ニシノの女の子との付き合いは、長くて半年、短くて2週間しか続かないのだと言います(「まりも」)。そして、ありえないくらいモテるのにもかかわらず、必ずニシノが振られてしまうのです。

ニシノが誰の1番でもない存在であることが、以下の会話から読み取れます。

「ほんとうに、ナウが一番なの」
「私にはナウが一番、ナウにも私が一番」
「じゃあ、僕はエリ子さんにとってだけでなく、ナウにとっても、ただのいいお友達、なわけだ」(「しんしん」)

ナウは野良猫のことです。ここではナウとエリ子という女性が相思相愛で、ニシノは「ただのいいお友達」以上のなにものでもないということが示唆されています。ニシノは、猫を相手にしても女性の本命になれなかったのです。

 

そんな現状に反して、ニシノ自身は結婚願望を持っています。

「ほんとうは、僕は、結婚をしたいんだ」
「したいんなら、結婚すれば」
「夏美さん結婚してくれるの」(「パフェ―」)

「ねえ、僕と結婚しようよ」
「ばか」(「おやすみ」)

「エリ子さん、僕と、結婚しない」(「しんしん」)

結婚することで永遠の愛を手に入れたいニシノと、ニシノに近づいても結婚の一線を決して越えようとしない女性たち。『ニシノユキヒコの恋と冒険』は、両者のジレンマを描いた作品と言えると思います。

以下では、ニシノが女性たちの本命に選ばれない理由を考えます。

①女性の影

ニシノには、いつも多くの女性の影がさしています。ニシノに惹かれる女性たちはその影を敏感に感じ取り、「この人は本気で愛しちゃいけない人」というレッテルを貼るのだと思います。

「夏の終りの王国」の例子は、以下のように語っています。

西野くんを愛することができるほど強くて優しい女の子なんて、この世に存在するんだろうか、とわたしは心の中で思った。いないだろう。たぶん。(「夏の終りの王国」)

これは、「ニシノの浮気を許せるほど、強くて優しい女の子だけがニシノを愛せる」という意味なのだと思います。

愛されるためには、誰か1人に的を絞らなくてはなりません。しかし、たった1人を愛したときの捨てられる恐怖から逃れられないニシノは、1人を集中して愛することができません。

そのため、ニシノはリスク回避をするかのように多くの女性と関係を結びます。結果として、その事実を知った女性たちはニシノから離れて行ってしまいます。1番を決められないニシノは、誰の1番にもなることができないのです。

②相思相愛ができない

ニシノは、蛙化現象を起こしてしまうタイプの人です。どの物語でも、ニシノと相手の女性の温度差が同じときはなく、一方が熱狂的なとき一方は冷めています。ニシノは女性に興味を向けられると、とたんに女性への好意を失ってしまうのです。

逆に、女性の方がニシノにのめりこんでいないと、ニシノは熱狂的になります。たとえば「ぶどう」の語り手・愛は、終始ニシノには冷めた態度で接していました。

それはニシノが一番燃えるシチュエーションです。そして会社を抜け出して愛に会いに行ったり、最終的に愛に足かせをさせたりと、独占欲の権化(ごんげ)と化しました。

このバランスの悪さが、女性に「この人といても幸せになれない」という思いを抱かせてしまい、それが破局につながってしまうのです。

③人間らしくない

ニシノは良くも悪くも人間らしくなく、つかみどころのない人です。こうした性質が、人を惹きつけて同時に悩ませる要素です。

西野君のまわりには、不思議な空気が漂っている。(中略)その空気を、どこまで押していってもとめどがないという気が、あたしはしていた。(中略)いくら押しても、空気の向こうにある西野君には決して届かないのだ。」(「草の中で」)

ユキヒコは、いつもどこかぎくしゃくしていた。おこないや言葉や動作は、あんなになめらかなのに。(「おやすみ」)

つくりものだって、いいじゃない」
「よくない」
「いいわよ、ユキヒコがつくりものだって、わたしは大好きよ」
「いいや、よくない」
「どうして」
「だって僕はつくりものだから、いつかマナミのことが好きじゃなくなる」(「おやすみ」)

女性たちが言っているように、ニシノはどこか不自然です。現実味がない不確実なところが不安要素となり、女性が離れて行ってしまうのではないかと思いました。

以上の考察を経て感じたのは、「器用そうに見えて、とんでもなく不器用な男。それがニシノユキヒコ」ということです。

『ニシノユキヒコの恋と冒険』の感想

ニシノと似てるキャラクター

『ニシノユキヒコの恋と冒険』を読んで、ニシノと似ていると感じた人物をご紹介します。

光源氏(『源氏物語』)

母の面影を求めて、幼女から人妻までを相手にした稀代の色男・光源氏。ニシノは、「パフェー」の語り手・夏美だけでなく、その娘のみなみにも「(みなみが)大きくなったらデートしたい」と言って冗談めかしに色目を使っています。

どんな女性でも虜(とりこ)にしてしまう美貌とテクニックの持ち主という点で、2人は似ていると感じました。

葉蔵(『人間失格』)

太宰治『人間失格』の登場人物・葉蔵(ようぞう)には、人間という生き物がなにを考え、なにに苦しみ、どんなことを幸福と感じるのかがまるでわかりません。空腹感というものがどういう感覚なのかもわからず、「自分は人間ではないなにかである」という思いを抱いています。

この葉蔵の人間らしくないところと、ニシノの「僕はつくりもの」という発言が似ていると思いました。彼らは、人間なら当然のように自然に行えることができず、「自分は人間の営みから外れた人間だ」という意識を強く持っているのです。

 

また、性格にも共通点があります。ニシノも葉蔵も、外ではキザでクールでのらりくらり
としていて余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)なたたずまいです。

しかし、中身は弱く空虚な感じがあり、世の中に疲れたような雰囲気をかもし出しています。また、「自分は人外だ」という意識からか、自分で自分を持て余してる感じもあります。

このような、飄々(ひょうひょう)としているのに実はデリケートで繊細という両面性が、2人の性格の特徴です。

ハウル(「ハウルの動く城」)

蛙化現象を引き起こすという点で、「ハウルの動く城」のハウルに似ていると思いました。

ハウルはその美貌で女性の心を奪う魔法使いですが、彼の目的は心臓を奪うことです。ハウルは心臓を持っていないため、心臓を求めています。その手段として女性を利用するため、女性の興味が自分に向けられると、冷めてしまうのです。

また、感情をあまり表に出さないで淡々としているのに、実は怖がりなところが非常に似ていると感じました。

キャッチーなタイトル

『ニシノユキヒコの恋と冒険』というタイトルを初めて見たとき、「きっと愉快な小説なんだろう」と思いました。しかしいざ読んでみると、悲しくて寂しいという印象を受けました。

では、なぜこのようなコミカルでキャッチ―なタイトルが、こんなに切なくて苦しくて重い物語についたのか。「恋」はそのまま「ニシノの恋の物語」なので、「冒険」の要素について考えました。

 

群がる女性を1人1人相手にし、攻略していくのは、モンスターを倒してレベルアップし、先に進む「冒険」と似てなくもないような気がします。もっとも、数々の恋愛をこなしてもニシノは全然成長しておらず、むしろ路頭に迷ってる感じはありますが。

愛を求めてさまよう姿も、「冒険」をほうふつとさせます。目的があって、それを求めていくのが「冒険」だからです。

 

また、小説内で流れる時間もポイントだと思います。ニシノは1970年のよど号ハイジャック事件の年に生まれたとのことでした。

そして、物語には14歳のニシノ(「草の中で」)から50代半ばのニシノ(「ぶどう」)が登場するので、『ニシノユキヒコの恋と冒険』には1984年~2025年くらいまでの時間が流れていることになります。

これだけの膨大な時間を追っていくことになるので、読者からしたらこれは立派な「冒険」だと思いました。

にくいひと

悪い男、女たらし、ろくでなし……ニシノの行動を表面的に評価するのであれば、これらの言葉がぴったりです。しかし、作品を読む中でニシノにはニシノなりの葛藤があると思ったので、彼を「ただの女たらし」でひとくくりにしたくはないと思いました。

なぜなら、ニシノは女性を侍(はべ)らせて喜んでいるわけでは決してないからです。寂しさを紛らわせるため、自分が傷つく可能性を少しでも抑えるために、ニシノは女性遍歴を重ねています。

ニシノと関係を持つ女性たちは、ニシノのそういう根っからの浮気性に悩まされながらも、どこかで可哀想に思い、同時に愛着を湧かせています。

 

この状況を上手く言語化していると思うのが、太宰治『おさん』のあるセリフです。『おさん』の語り手は、浮気を隠している夫を「にくいひと」と言って笑いました。

これは、浮気中の夫と妻が久しぶりに語らったときの妻の言葉ですが、そこには不思議と「憎い」という負の感情はあまり感じられません。にくいけれど、なんとなく憎めない。ニシノはまさにそういう人だと思いました。

モテの秘密

女性を魅了するニシノの魅力は、その容姿やテクニックです。しかしそれだけではなく、ニシノの内面や持って生まれた能力も深く関係しています。ニシノがこれほどまでにモテる理由を、掘り下げて考えてみました。

①悲壮感

ニシノの周りはどことなく陰っており、いつも寂しそうな雰囲気がただよっています。それが、女性を引き付けたのではないかと思いました。

人のぬくもりを求めて、ニシノは女性をあさっています。しかし、誰も本気では愛してくれないためニシノは満たされません。その悲しい雰囲気が、また別の女性を引き付けるのです。

悲しさ・弱さ・不幸そうな印象など、ニシノの持つ負のオーラが女性たちの母性をくすぐったのではないかと思いました。

②呼び方

ニシノは、敬称の有無はどうであれ、女性を必ず下の名前で呼びます。

「わたしの名前を、ユキヒコが知っていることに、衝撃をおぼえた。(中略)ユキヒコにはじめて呼ばれたわたし名前がすでにして甘く溶けだしていることに、衝撃をおぼえた。」(「おやすみ」)

「あ、ササキサユリさん」(中略)早百合、という私の名前を知っていたことに、驚いていた。(「まりも」)

下の名前など知らないそぶりを見せ、ふとしたときに口にするのがニシノのやり方です。その不意打ちの「下の名前攻撃」に、つい心を許してしまう女性が多いようです。

③「分かってる」

女性の望むことを、望まないことを察知する力に長(た)けているのが、ニシノユキヒコという人物です。

「女自身も知らない女の望みを、いつの間にか女の奥からすくいあげ、かなえてやる男。それがニシノくんだった。(中略)望む時間に電話をかける。望む頻度で電話をかける。望む語彙で褒める。望む甘え方をする。望むように叱らせる。なんでもないことであるがゆえに、どんな男でも上首尾には行えないこと。それらのことを、ニシノくんはやすやすと行った。(「まりも」)

「パフェ―」の語り手・夏美は既婚者ですが、夫が家にいるときにニシノが電話をかけてくることはほとんどなかったのだと言います。

ニシノの配慮・察する能力は、もはや天性のものと言うべきです。

最後に

今回は、川上弘美『ニシノユキヒコの恋と冒険』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。

空虚な愛に絶望するニシノに、共感する人もいるのではないかと思います。ぜひ読んでみて下さい!

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「純文学を身近なものに」がモットーの社会人。谷崎潤一郎と出会ってから食への興味が倍増し、江戸川乱歩と出会ってから推理小説嫌いを克服。将来の夢は本棚に住むこと!
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