受験や進路に対する悩み・葛藤が細やかに記される『正義と微笑』。
今回は、太宰治『正義と微笑』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!
Contents
『正義と微笑』の作品概要
著者 | 太宰治(だざい おさむ) |
---|---|
発表年 | 1942年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 長編小説 |
テーマ | 青年期の葛藤 |
『正義と微笑』は、1942年6月に錦城出版社より刊行された太宰治の長編小説です。一高受験の失敗を経た後、俳優になるという目標に向かって歩み出す青年の様子を日記体でつづった小説です。
Kindle版は無料¥0で読むことができます。
著者:太宰治について
- 無頼(ぶらい)派の作家
- 青森の大地主の家に生まれた
- マルキシズムの運動に参加するも挫折
- 自殺を3度失敗
太宰治は、坂口安吾(さかぐち あんご)、伊藤整(いとう せい)と同じ「無頼派」に属する作家です。前期・中期・後期で作風が異なり、特に中期の自由で明るい雰囲気は、前期・後期とは一線を画しています。
青森の地主の家に生まれましたが、農民から搾取した金で生活をすることに罪悪感を覚えます。そして、大学生の時にマルキシズムの運動に参加するも挫折し、最初の自殺を図りました。この自殺を入れて、太宰は人生で3回自殺を失敗しています。
そして、『グッド・バイ』を書きかけたまま、1948年に愛人と入水自殺をして亡くなりました。
『正義と微笑』のあらすじ
登場人物紹介
芹川進(せりかわ すすむ)
一高受験を控えた旧制中学校の四年生。16歳。有閑階級のお坊ちゃま。から日記をつけ始める。心の奥底では映画俳優になりたいという夢を抱いている。
進の兄
4年前、帝大の英文科に入学したものの留年している。毎晩徹夜で小説を書いている。映画俳優になりたいという進に理解を示している。
斉藤市蔵
津田の大学時代の先生。進が演劇の世界に足を踏み入れる手助けをする。
『正義と微笑』の内容
この先、太宰治『正義と微笑』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。
一言で言うと
挫折の克服と未来への希望
進の家族
16歳の芹川進は、寝たきりの母、結婚を控えた姉、帝大に通う兄と暮らしています。
兄は落第したためまだ大学を卒業しておらず、小説を書いて昼夜逆転の生活を送っています。
挫折
翌年に一高受験を控える進は、学校や教師に不満を覚えたり、友人を批判的な目で見たりしながらも、合格に向けて学校に通います。
しかし、進は受験に失敗してしまいました。ショックのあまり兄と衝突し、家出をした進は映画俳優になることを決意します。
演劇の世界へ
その後、一高には落ちてしまったものの R大学に合格した進は晴れてR大生になりました。しかし張り合いのないR大生に失望した進は、本格的に演劇を勉強したくなり、兄に相談します。
そして、兄のドイツ語の先生で小説を書いている津田さん経由で斉藤氏を紹介してもらいました。斉藤氏から「春秋座」という歌舞伎役者が揃っている劇団を紹介してもらい、進は入団試験を受けます。
進は合格者六百人中二人の難関な試験をパスしました。そして進は、大学を休業して劇団に入る決意をします。
進の未来
厳しい稽古を受けながら、進は役者としてのキャリアを歩み始めました。そして志賀直哉の小説「小僧の神様」のラジオ担当を任されるなど、着実に力をつけていきます。
来年18歳になる進は、知らない事は知らないと言い、出来ない事は出来ないと言い、まじめに努力していこうと心に決めるのでした。
『正義と微笑』の解説
『正義と微笑』の素材
『正義と微笑』は、作品発表当時、俳優をしていた堤康久(太宰の弟子・堤重久の弟)の日記を元に執筆されました。
しかし、日記を丸々踏襲したわけではなく、所々太宰によって内容が変えられています。片木氏の論文では堤康久の日記と『正義と微笑』について複数の相違点が挙げられていますが、以下では特に2点をご紹介します。
時間軸のズレ
『正義と微笑』の執筆は、1941年十二月九日、重久が太宰宅を訪れた際に、弟の康久が書いている日記について話したことが契機となっています。
それを聞いた太宰が堤康久の日記に興味を持ち、重久に日記を持ってくるよう依頼したことで、『正義と微笑』の執筆は始まりました。
そして『正義と微笑』は1937、1938年から1941年頃の内容となっていることが予想されていますが、本作の作品内時間は、作者によって1935年頃と解説されています。
この乖離の経緯としては、片木氏は島田昭男氏の論を引用して「1937年頃の社会的背景を踏まえて作中から 戦時色を排除するためであると結論付けている」としています。
つまり、作者は戦時色を作中に波及させないために素材の堤康久の日記から二年ほど前倒しした年代を設定したのです。
片木氏は、発表同時代の青年像とは異なる生き方が描かれている『正義と微笑』は、その意味で特異な青春小説であったと結んでいます。
一高受験
物語前半の進の感心ごとは一高受験です。しかし素材となった日記を書いた堤康久は早稲田第一高等学院を受験していました。
この変更が行われた理由について、片木氏は太宰の実生活との関連を指摘しています。高等学校生時代、太宰は東大への登竜門である一高に強く執着していました。
太宰自身一高受験に失敗し、第二志望の高校に通うもしばらく一高への未練が断ち切れなかったと言われています。こうした太宰の経験が反映されていると考えられます。
片木晶子「太宰治「正義と微笑」の再検討 ―戦時下に置き戻して―」(日本女子大学大学院文学研究科紀要(27)2021年3月)
『正義と微笑』の感想
家族
『正義と微笑』では進の挫折やそれを克服する様子が描かれていますが、家族をめぐる描写も印象的です。特に、進の母親のキャラ設定が秀逸でした。
病気で10年寝たきりという母は、それだけ聞くと病人らしくしおらしい人なのではないかと推測してしまいます。しかし、口が達者でわがままで、姉の代わりに雇った看護婦をすぐに追い返してしまうという強烈なキャラをしています。
お母さんは、ついさっき癇癪を起した。からだを洗う金盥のお湯が熱すぎると言って、金盥をひっくり返してしまったのだそうだ。看護婦の杉野さんは泣く。梅やはどたばた走り廻まわる。たいへんな騒ぎだった。
さらに、進と家族の絆を感じられる描写を以下に引用します。
僕は、ただ、姉さんの幸福を、ひたすら祈っているばかりである。(中略)もし姉さんがいなかったら、僕たちは、どうなったか、分らない。僕は、いまごろは不良少年になっていたかも知れない。姉さんは、弟たちの個性を見抜き、それを温かに育てて下さったのである。
きょうは、兄さんに、ギタを買ってもらった。晩ごはんがすんでから、兄さんと銀座へ散歩に出て、その途中で僕が楽器屋の飾窓をちょっとのぞき込んで、
「木村も、あれと同じのを持ってるよ。」と何気なく言ったら、兄さんは、
「ほしいか?」と言った。
「ほんと?」と僕が、こわいような気がして、兄さんの顔色をうかがったら、兄さんは黙って店へはいって行って買ってくれた。
兄さんは、僕の十倍も淋さびしいのだ。
最後に
今回は、太宰治『正義と微笑』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。
青空文庫にあるのでぜひ読んでみて下さい!
↑Kindle版は無料¥0で読むことができます。