件(くだん)という化け物になってしまった、主人公の苦悩が語られる『件』。
今回は、内田百閒『件』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!
Contents
『件』の作品概要
著者 | 内田百閒(うちだ ひゃっけん) |
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発表年 | 1921年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 短編小説 |
テーマ | 期待される苦痛 |
『件』は、1921年に文芸雑誌『新小説』(1月号)で発表された内田百閒の短編小説です。初出は『新小説』で、「冥途」「山東京傳」「花火」「土手」「豹」とともに、「冥途」という題で発表されました。(※参考)
化け物に姿を変えた語り手が、人々から予言を迫られて困惑する様子が描かれています。
片岡懋「内田百閒「件」を読んで」(『駒澤國文』(25) 1988年2月)
著者:内田百閒について
- 1889年岡山県生まれ
- 夏目漱石の弟子
- 法政大学教授
- 代表作は『阿房列車』
内田百閒は、1889年生まれ岡山県出身の小説家です。夏目漱石の弟子で、川上弘美に影響を与えた幻想的な世界観が特徴。
31歳のときに法政大学の教授に就任しました。大阪旅行を題材にしたエッセイ『阿房列車』は、代表作となりました。
『件』のあらすじ
件という化け物になった「私」は、3日以内に未来のことを予言しなければなりません。しかし、私は予言する方法を知りませんでした。
そんなこととはつゆ知らず、人間は件の予言を聞きに集まってきました。しかし、私はずっと予言をできずにいます。しびれを切らした人間は件を殺そうとしましたが、そのとき思いがけないことが起こるのでした。
登場人物紹介
私
件をという化け物になってしまった元人間。
群衆
件の予言を聞こうと、件を取り囲む人間たち。
『件』の内容
この先、内田百閒『件』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。
一言で言うと
滑稽な物語
件になった私
夜なのか朝なのかわからない空が広がる広野に、私は立っていました。私のしっぽからはしずくが垂れています。私は、顔が人間で体が牛の「件」という化け物になってしまったのでした。
人間だったころ話に聞いていた件は、生まれて3日で死に、その間に人間の言葉で未来の吉凶を予言する生き物でした。しかし、私には何をどう予言すれば良いのか検討もつきません。
「殺してしまえ」
そうこうしているうちに、人間が集まってきました。皆、私の予言を心待ちにしています。人間は私に水をやりますが、私は何も予言することができません。
人間たちは、「この様子だとよほど重大な予言をするんだ」「大した予言をするに違いない」と口々に言いました。
すると1人が、「もう予言を聞くのが恐ろしくなった。この様子では、件はどんな予言をするかわからない」と言います。そして、なにも予言をしないうちに件を殺してしまおう、ということになりました。
その声の主が、自分の息子だと知った私は驚きます。息子の姿を一目見ようと私が前足を上げると、人々は「今予言するんだ」と言って逃げ去ってしまいました。私はほっとし、死にそうな気がしないと思うのでした。
『件』の解説
件と百閒の共通点
『件』は、「受け身な一般人への批判」であると解釈することができます。片岡氏(※参考)は、「私」の周りに集まっている人間が、「私」の親類や昔教えていた学生に似ていることを指摘しています。
さらに片岡氏は、百閒に対して行われた「今年は何を書くか」というインタビューを引用しています。そこで百閒は、「一寸先は闇」「曖昧」などと発言しており、先行きが不透明なことが読み取れます。
ここから言えることは、件と百閒の立場は重なる部分があるということです。当時、軍や大学でドイツ語を教えていた百閒は「学者先生」であり、皆から期待をまなざしを向けられていたと思われます。
一方で件も、予言を今か今かと待ち続ける群衆に囲まれているという点で、百閒と似ていると言えるのです。
以上のことから、過度に期待されることの恐怖や、1人の指導者の指示をひたすら仰ぐという意味で、盲目で意志のない人間への批判が描かれていると読むことができます。
片岡懋「内田百閒「件」を読んで」(『駒澤國文』(25) 1988年2月)
『件』の感想
芥川作品と似てる
件の予言を聞くために広野にやってきた人間たちは、「予言の内容を知りたい」という気持ちと、「悪い知らせは聞きたくない」という気持ちを持っています。最終的に後者の気持ちの方が勝ち、件が予言をする前に人々は逃げて行ってしまいました。
人々は予言を聞きに来たのに、いざ件が予言をするようなしぐさを見せると「今予言をするんだ」と言って去ってしまう。この滑稽さ・おかしさに、芥川の作品のようなシュールな面白さを感じました。
特に、芥川の『鼻』と似ていると思います。この作品は、鼻の大きさにコンプレックスを持つ僧が、鼻を小さくしたものの以前よりも視線を集めていることに気づき、最終的に元の大きい鼻に戻って満足する、なんとも皮肉な面白さが魅力の作品です。
自分が件だったら
件になった「私」は、群衆からの過剰な期待を寄せられてじわじわと追い詰められています。
しかし「私」は、プレッシャーを感じながらも意外と冷静で、「私は何も予言することができない。だが又格別死にそうな気もしない。予言をしなければ、三日で死ぬとも限らないのかもしれない(以下略)」などとのんきなことを言う余裕がある点が興味深かったです。
もし私が件だったら、「戦争が起こる」とか「疫病がはやる」とか適当なことを言うと思いました。無責任なこと言っても、予言した当の件はどうせすぐに死ぬからです。
でも、小説中の件は自分が死ぬという確信を持っていません。「格別死にそうな気もしない」「何だか死にそうもない気がして来た」などのセリフから、それをうかがうことができます。だからこそ、小説中の件は無責任な予言はしなかったのだと思いました。
最後に
今回は、内田百閒『件』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。
まだ著作権が切れていないため青空文庫にはありませんが、文庫等で読むことができます。ぜひ読んでみて下さい!