資本主義の犠牲となり、船上の過酷な環境で働く労働者の蜂起を描いた『蟹工船』。
今回は、小林多喜二『蟹工船』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!
Contents
『蟹工船』の作品概要
著者 | 小林多喜二(こばやし たきじ) |
---|---|
発表年 | 1929年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 中編小説 |
テーマ | 資本主義批判 |
『蟹工船』は、 1929年に文芸雑誌『戦旗』(5月号~6月号)で発表された小林多喜二の中編小説です。多喜二を一躍有名にした日本のプロレタリア文学の傑作と言われています。Kindle版は無料¥0で読むことができます。
『蟹工船』のあらすじ
冒頭文紹介
『蟹工船』は、以下の一文からはじまります。
「おい地獄さ行ぐんだで!」
蟹工船の労働環境の劣悪さが一言で表現されています。
登場人物紹介
労働者
船に乗るしか働き口がない東北一円の貧困者たち
浅川
博光丸の漁業監督。
『蟹工船』の内容
この先、小林多喜二『蟹工船』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。
糞壺
函館港には、出港を待つカムサツカ行の蟹工船・博光丸と漁夫や船員、雑夫がいました。漁夫が14〜15歳ほどの雑夫の少年に出身地を聞くと、皆函館の貧民の子や秋田の百姓の子でした。
漁夫たちはみな、するめをむしゃむしゃ食べながら一升瓶の酒を端のかけた茶碗に注いで飲んだり、仰向けで表紙がボロボロの雑誌を読んだり思い思いの時間を過ごします。
ある男は、船へ来る前まで夕張炭坑で7年坑夫をしていましたが、最近起きたガス爆発で死に損そこねてから怖くなり、蟹工船にやってきたのだと言います。それを聞いた若い漁夫は、「ここだってそう大して変らないが……」と言いました。
自分の身体を手鼻くらいの値で「売らなければならない」貧しい労働者たちは、生きるために蟹工船に乗り込みます。
蟹工船とは、獲った蟹を船内で缶詰に加工する船のことです。小型船で漁を行い、母船に持ち帰って加工します。漁船と工場、どちらの特徴も兼ね備えた蟹工船は、逆に漁船にも工場にも分類されないため、航海法や工場法が適用されない無法地帯です。
漁夫たちの船上における生活の場は、煙草の煙や人いきれで空気が濁って臭く、「糞壺」のようでした。
そこに漁業監督、船長、工場代表、雑夫長がやって来ます。監督の浅川は、「日本帝国の大きな使命のために、俺達は命を的に、北海の荒波をつッ切って行くのだ」と漁夫たちに言い聞かせました。
船がオホツック海へ出ると、着物の上からゾクゾクと寒さが刺し込み、寒くなればなる程、細かい雪がビュウ、ビュウ吹いてきます。雪は雑夫や漁夫の顔や手に突きささり、波が甲板にかかるとすぐ凍ってしまいます。
監督は鮭殺しの棍棒を持って、漁夫たちに大声で怒鳴り散らしました。
人の皮を被った怪物
ある給仕が漁夫に「面白いことがあるんだよ」と言って話して聞かせます。午前2時ごろ、博光丸は同じく函館から出航した秩父丸からのSOSを受信しました。
無電係からの知らせを聞いて「うん、それア大変だ」と船長は舵機室に上がろうとしましたが、浅川がそれを制止します。「あんなものにかかわってみろ、一週間もフイになるんだ。冗談じゃない。一日でも遅れてみろ!それに秩父丸には勿体もったいない程の保険がつけてあるんだ。ボロ船だ、沈んだら、かえって得するんだ」と言い、秩父丸を見殺しにしました。
ボロ船の蟹工船が沈んで労働者が冷たい海で死ぬことは、丸ビルにいる会社の重役にとってはどうでも良く、それは浅川にとっても同じでした。
ある大荒れの日、浅川は突風警戒報を受取っていたにも関わらず、「こんな事に一々ビク、ビクしていたら、このカムサツカまでワザワザ来て仕事なんか出来るかい」と、すでに漁に出ていた船を呼び戻しませんでした。
行動する労働者
そしてその船は行方不明になってしまいましたが、あるとき突然元気に帰ってきたのです。その船に乗っていた漁夫に話を聞くと、船はカムサツカの岸に打ち上げられ、近所のロシア人一家に救われたのだと言います。
ロシア人は船員に搾取するブルジョワと搾取されるプロレタリアの構図を説明し、船に戻ったらプロレタリアで団結するよう説きました。
その考えは乗組員の間にだんだんと広がり、皆サボることを覚え、浅川への反抗心を募らせます。その不満は仲間の死をきっかけに最高潮に達し、ついに労働者たちはストライキをすべく立ち上がりました。
代表者は浅川に「要求条項」と「誓約書」をつきつけますが、会社側が呼んだ駆逐艦によって「ロシアの真似をして反発した不忠者」として駆逐艦に護送されてしまいます。
こうして、ストライキはあっけなく鎮圧されたのでした。しかし労働者たちはこれに屈せず、「ん、もう一回だ!」と立ち上がるのでした。
『蟹工船』の解説
無視された人々
今西氏(参考)は、実際に蟹工船に乗った労働者の中には朝鮮人やアイヌ人がいたにも関わらず、彼らが描かれずに「頑丈な日本人の男」しか登場しないことに着目しています。
朝鮮人やアイヌ人などの少数派がまるで存在しないかのように扱われたことについて、『蟹工船』はマイノリティの視点が弱いと指摘しつつ、「これは当時のマルクス主義者全般の問題である」としています。
古典的なマルクス主義では、「民族」よりも「階級」が重視されました。そして「階級闘争」に勝利すれば、「民族」問題が自動的に解決すると考えていたことを古典的なマルクス主義の弱点にあげています。
よって、その考えを汲んだ多喜二の『蟹工船』でも、民族問題が度外視されているのです。
その上で今西氏は、「私は、『蟹工船』が、多喜二の目指していた「全体小説」のうえに書き直されて、海上の戟鮮人やアイヌの生活と差別(中略)まで視野に入れた新しい「海洋文学」として書き直されていたら、『蟹工船』は、真に国境を越えた世界文学になっていたのでは無いだろうかと想像する」と結んでいます。
今西 一「『蟹工船』とマイノリティ」(「小樽小林多喜二国際シンポジウム報告集」2012年)
『蟹工船』の感想
苛烈でリアルな労働者の生活
事実をありのままに描く写実的な手法が特徴のプロレタリア文学に分類される本作は、寒さや飢え、病気、死など目を覆いたくなるような悲惨な状況が克明に描かれています。
手や足は大根のように冷えて感覚なく身体に付き、脛をなでれば弱い電気に触れるようにしびれが走る。便通が4〜5日なく船医に薬をもらいに行ったところ、「そんなぜいたくな薬なんて無い」と一蹴される絶望。
船上での過酷な労働に耐えられなくなった雑夫がボイラーの側に隠れるも見つかり、シャツ一枚にされた後にトイレに監禁され死亡。
身体が蟹の汁で汚れるにも関わらず2か月に1度しか風呂に入れず、丸々と肥えたしらみや南京虫に夜通し責められ、何十匹ものノミがモゾモゾとすねを這い上る―――。
『蟹工船』と同じくプロレタリア文学として読まれる葉山嘉樹『セメント樽の中の手紙』には、セメントあけをしている与三という労働者が、全身をセメントで覆われて鼻毛を鉄筋コンクリートのようにしゃちこばらせる描写があります。
機械からせわしなく吐き出されるセメントに間に合わせるため、与三はコンクリートを取るために鼻の穴に手を持っていくことができず、鼻毛をセメントで固めたまま仕事をせざるを得ないのです。
この描写が衝撃的で印象に残っていますが、「糞壺」を始めとする『蟹工船』の劣悪な労働環境も非常にショッキングでした。
最後に
今回は、小林多喜二『蟹工船』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。
青空文庫にあるのでぜひ読んでみて下さい!
↑Kindle版は無料¥0で読むことができます。