『桜の森の満開の下』は坂口安吾の代表作で、文壇からの評価も非常に高い作品です。
今回は、坂口安吾『桜の森の満開の下』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!
Contents
『桜の森の満開の下』の作品概要
著者 | 坂口安吾(さかぐち あんご) |
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発表年 | 1947年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 短編小説 |
テーマ | 美醜の二面性 |
『桜の森の満開の下』は、1947年に雑誌『肉体』で発表された坂口安吾の短編小説です。幻想的な世界を舞台に、峠の山賊と美しくも残酷な女が描かれます。
坂口安吾の代表作で、1975年に映画化されて3度に渡って漫画化されています。Kindle版は無料¥0で読むことができます。
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『桜の森の満開の下』の文庫は、岩波書店から出版されています。文芸評論家・七北数人(ななきた かずと)さんの解説付きです。
『贋作 桜の森の満開の下』は、演出家の野田秀樹(のだ ひでき)さんが坂口安吾の『桜の森の満開の下』と『夜長姫(よながひめ)と耳男(みみお)』を下敷きにして書いた戯曲です。2018年に妻夫木聡さんや天海祐希さんらによって舞台化されました。
著者:坂口安吾について
- 無頼(ぶらい)派作家
- 歴史小説や推理小説
- アテネ・フランセでフランス語習得
- 囲碁・将棋が得意
坂口安吾は、太宰治や伊藤整(いとう せい)と同じ「無頼派」に属する作家です。純文学だけでなく、歴史小説や推理小説など、幅広いジャンルの小説を書きました。今も駿河台にあるアンネ・フランセ(準学校法人)でフランス語を学び、仏文学の翻訳も行いました。
囲碁や将棋の観戦記を出すなど、小説の枠を超えて文章を書いた人物です。
『桜の森の満開の下』のあらすじ
江戸時代、桜はおそろしいものとされていました。鈴鹿峠に住む山賊の男は、あるとき盗みに入った家の女房をさらいます。女房は、7人いた山賊の女房のうち、6人を男に殺させてしまいました。
その後、2人は都に移り住むことになりましたが、都に行く途中に桜の下を通った山賊は、やはりおそろしさを感じるのでした。
登場人物紹介
男
鈴鹿(すずか)峠の山賊。ある日、盗みに入った家の女房を連れ去る。
女
山賊に連れ去られ、山で生活することになった女。わがままで強い性格。
『桜の森の満開の下』の内容
この先、坂口安吾『桜の森の満開の下』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。
一言で言うと
桜の本質は孤独
さくらこわい
桜が咲くと、人々は酒や団子を持って桜の下でお騒ぎをして楽しみます。そのため、桜を見ると楽しい気持ちになるものですが、それは江戸時代に入ってからの話です。それ以前は、桜は恐れられていました。
江戸時代以前の大昔、鈴鹿峠には1人の山賊の男が住んでいました。残忍な性格ですが、桜の森の花の下だけは怖ろしく、通ると気が変になってしまうのです。そのことについて、毎年考えようと思いますが、考えられないまま十数年が過ぎてしまいました。
8人目の女房
そうしている間に、男の女房は7人になり、男は8人目の女房をさらってきました。その女は、盗みに入った家の主人の女房です。あまりに美しかったので、男は思わず亭主を殺してしまい、女を連れ去ったのでした。
家に帰ると、7人の女房が迎えてくれます。連れられてきた8人目の女房は、1番美しい女房を指さし、「あの女を斬り殺しておくれ」と男に言いました。
男がためらうと、女は「お前は私の亭主を殺したくせに、自分の女房が殺せないのかえ。お前はそれでも私を女房にするつもりなのかえ」とすごみます。結局、女は7人の女房の中で最も醜い足の不自由な女房(ビッコの女房)だけを残して、全員殺させました。
首遊び
女は都出身で、こんな山奥に連れてこられたことに不満を持っています。女は、男やビッコの女房を家臣のように扱い、ぜいたくな生活をします。同時に、女はクシやかんざし、着物をとても大切にし、男は女がそれらを使って美しくなる過程に見とれました。
そして、山賊と女は都に行くことになりました。その前に、山賊は満開の桜の森に行きます。花の下に足を踏み入れると、冷めたさが四方からドッと押し寄せてきて、男はおそろしさに逃げ出しました。
やがて、男と女とビッコの女房は都で暮らすようになります。都で女が男に要求したのは、豪華な着物でも高価な食べ物でもなく、人間の首でした。男は女の言いなりになり、屋敷に忍び込んでは盗みを働き、その家の住人の首を斬って持ち帰ります。
女は、それを使って遊び始めました。肉が腐り、うじ虫がわき、骨が見えている首を架空の物語の登場人物にして遊び、美しい首には化粧をしてやったりしました。
しかし、そんな美しい首も、女は破壊していきます。髪の毛をむしって小刀でえぐり、他のどの首よりも醜くしてしまうのでした。その間にも、男は毎晩のように首を持って帰ります。男は、女のキリのない欲望にうんざりして、都での生活に退屈するようになしました。
帰郷
都の生活に慣れない男は、山に帰ることにしました。すでに男なしでは生きられなくなっていた女も、それに同行します。都に慣れたビッコの女房は、都に残ることにしました。
女を背負って山に向かった男は、満開の桜の下に足を踏み入れます。そのとき、女は紫色の顔を持ったおばあさんになりました。そして、男は女が鬼であることに気付きます。男は必死に鬼の首を絞めます。我に返ると、そこには女の死体が転がっていました。
男は、女を抱きかかえて泣きました。女の顔の花びらを取ろうと男が手を伸ばすと、女の姿はなく、男の身体も消えてしまいました。
『桜の森の満開の下』の解説
結局、桜の下ってどういう場所?
この物語で、桜の下は普通の空間とは違うものと位置付けられています。では、桜の下は一体どういう場所なのでしょうか?結論から言うと、「非現実的で、さまざまな時間が混ざる場所」です。
桜の下について、男は「虚空」という風に表現しました。虚空とは、現実ではありえない全てのものが存在する空間のことです。
本作では、「風がないのに風が聞こえ」たり、「桜の木は満開なのに足元には無数の花びらが落ちている」というような矛盾が示されますが、これらはそのような矛盾が成立してしまうということで、桜の下が幻想的で不思議な空間であることを演出する表現です。
さらに、桜の下を通るとき、男は過去を回想したり未来のことを考えたりします。このことから、桜の下は「過去も現在も未来のある特殊な空間」と言うことができます。
男は何を恐れていた?
以上のことを踏まえると、男が何を怖がっていたのかが明らかになります。男は、女の美しさを怖いと感じました。それは、桜に似ているからです。さきほど述べたことを考えると、桜=時間なので、男は「時間」を恐れていることが分かります。
ここで、少し時間の概念について説明したいと思います。私たちは、時間は進むものだと理解しています。それは、近代化して人間に「進化」という概念がもたらされたからです。時間は進むから年を取るし、過去に戻れないことも知っています。
一方で、近代化する以前の人たちは、時間を循環するものだと捉えていました。本作では、時間は進むと知っている都の人(女)と、そういう時間の概念を知らない自然と生きる人(男)が対比されています。
だからこそ、男は鐘をつく(時間の経過を告げる)坊主をバカにし、結局都には慣れなかったのです。しかし、都から山に戻ってきた男は、時間が進むことを知っていました。
そのため、あらゆる時間が混ざる桜の木の下を通ったとき、男には女が現在の姿から未来の姿に変身し、おばあさんになったように見えたのです。そのとき、男は「老い」の存在を知りました。
このことから、物語の主題は「時間による美醜の二面性」だということが言えます。首遊びで使った美しい首が、時間が経つにつれて腐って醜くなるのも、すべて伏線だったのです。
・織田 淳子「坂口安吾『桜の森の満開の下』研究 : 花の下に見る時空間」(富大比較文学 2012年12月)
・河内 重雄「坂口安吾「桜の森の満開の下」論 : 理性の限界に関する文脈」(語文研究 2018年6月)
『桜の森の満開の下』の感想
桜
泉鏡花『高野聖(こうやひじり)』のような幻想性が特徴的な小説だと思いました。また、丸尾末広『少女椿』と似通った部分があると感じました。
『少女椿』のラストは、主人公の女の子が、満開の桜の下で彼女のことを笑う仲間の幻想を見るというものです。そして幻想が消えた後、あたりは真っ白な虚無になり、女の子の泣き声だけが響きます。
その場面では、桜は幻想を見せるもの・不気味なものとして機能しています。これは、桜が怖がられていた時代を舞台にしている本作の影響を受けたからでは?と想像してしまいました。
梶井基次郎も、『桜の樹の下には』で「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」と言っていますし、美しいものには理由があると言うか、影があるんだなと感じました。
日本を代表する花である桜は、日本人にとって特別なものですし、歌謡曲にも数多く登場するなじみ深い花です。一方で、それを無条件に賛美するわけではなく、本作のように不気味な一面もあるという風にとらえるのも、面白いと思います。
最後に
今回は、坂口安吾『桜の森の満開の下』のあらすじと感想をご紹介しました。
1時間かからないくらいで読み終わる作品なので、ぜひ読んでみて下さい!
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