純文学の書評

【横光利一】『頭ならびに腹』のあらすじ・内容解説・感想

冒頭の一文が非常に有名な短編です。その一文がきっかけで、横光利一の属する同人(自費で雑誌を出版するグループ)は新感覚派と呼ばれるようになりました。

今回は、横光利一『頭ならびに腹』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!

『頭ならびに腹』の作品概要

著者横光利一(よこみつ りいち)
発表年1924年
発表形態雑誌掲載
ジャンル短編小説
テーマ

冒頭の「特別急行列車は満員のまま全速力で馳けていた。沿線の小駅は石のように黙殺された」という擬人法が使われた文章が、画期的だと評されました。ショートショート(短い短編小説)よりも短い作品ですが、奥が深い小説です。

著者:横光利一について

  • 川端康成と同じく、新感覚派を代表する作家
  • 代表作は、『蠅』『日輪』『頭ならびに腹』『機械』
  • 倫理観が感じられない作風が特徴。
  • 擬人法などを使った奇抜で新しい文体を用いた

戦後は、戦争協力を非難されて評価されませんでした。死後、徐々に横光の作品は分析が進み、再評価されるようになりました。新感覚派については、以下の記事をご覧ください。

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『頭ならびに腹』のあらすじ

ある日の真昼、特別急行列車に乗っている1人の子僧は、大声で歌を歌っていました。そんなとき、列車は突然止まってしまいます。運転再開のめどが立たず、乗客たちは困り果てました。

そして、車掌が「前の駅まで引き返す列車が来る」という報告をしに来ました。乗客たちは、周囲を見て他の乗客の動きに目を向けます。

登場人物紹介

子僧

列車に乗っている少年。ずっと歌を歌っている。

『頭ならびに腹』の内容

この先、横光利一『頭ならびに腹』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。

一言で言うと

群衆と子僧

急停車

ある日の真昼、満員の特別急行列車は全速力で走っていました。そして、1人の子僧が大声で歌い出します。始め、他の乗客は子僧を見て笑っていましたが、次第に子僧を気にしなくなります。

その時、列車は急停車しました。車掌は、「H、K間の線路に故障が起こりました」と言うだけで、いつ運転が再開するがめどが立っていないと言います。

乗客はいったん外に出て、この土地の宿に泊まるか、運転再開を待つか、出発した駅に戻るかという選択を強いられます。子僧は、このような状況でも歌い続けます。

鶴の一声

その時、車掌が「S駅まで引き返す列車が参ります。お急ぎのお方はその列車でS駅からT線を迂廻(うかい)して下さい」と連絡が入り、切符を入れる箱を用意しました。群衆は、「切符を出す人はいるか?」とあたりを見回します。

そして、群衆の中から1人の太った紳士が出てきます。そのいかにも金持ちそうな紳士は、不気味に笑って「こっちの方が人気があるわい」と言いました。すると、それまで息をひそめていた群衆はいっせいに箱に殺到します。

「押すな!押すな!」と、群衆は我先にとS駅に戻る列車に乗り込みます。そして、S駅に戻る列車が出発した後、「皆さん、H、K間の故障は直りました」と車掌が言いに来ます。しかし、車内には子僧しか残っていませんでした。

列車は、目的地に向かってまた走り出します。子僧は、目をキョロキョロさせながら歌いました。

『頭ならびに腹』の解説

冒頭の一文について

特別急行列車は満員のまま全速力で馳けてゐた。沿線の小駅は石のやうに黙殺された。

今読んでみるとなんともない文章ですが、当時これは画期的な文章でした。なぜでしょう?

それは、擬人法が使われているからです。擬人法は、「人間以外のものに人間の表現を用いる」という点で、相対的に人間の地位を引き下げる技法です。これは、新感覚派が積極的に用いました。

人間の用いた暴走する科学に疑問を持った新感覚派の作家たちは、人間を疑いました。また、これは現実を重視する自然主義への反発でもあります。

 

自然主義の作家たちなら、冒頭の文を「急行列車は、時速○○キロで通り過ぎた」と書くでしょう。自然主義作家は、現実に忠実だからです。

一方で、横光は擬人法や比喩を使いました。列車には足がないので駆けることはできませんし、駅はいくら小さくても石ほどではありません。忠実にリアルを再現しなくても良いと考えた横光は、少し創作の要素を加えて描きました。これが、新感覚派の特徴です。

横光が描く少年

横光の初期の作品では、少年が特権的に描かれることが多いです。常識や固定観念に侵されていない柔軟な思考で、未来を切り開いていく人物として描かれます。

『蠅』という作品でも、馬車の狭い空間で話し込んでいる大人をよそに、少年だけが外の景色を見ています(外の世界に目を向けているということ)。

『頭ならびに腹』でも、同じことが言えます。子僧は、太った紳士の声に惑わされず、自分で列車に残ると判断した結果、誰よりも先に目的地に向かうことができたからです。少年の歌の内容も謎が多いので、今後検討する必要があると思います。

『頭ならびに腹』の感想

タイトルについて

「頭」は群衆を、「腹」は太った紳士を表していると思います。面白いのは、この小説には固有名詞が1つも出てこないことです(『蠅』などもそうです)。横光が属する新感覚派には、「個人の人間最高!」みたいな人間中心主義に対抗する雰囲気があります。

固有名詞を使わないで、「車掌」「子僧」のように人物を記号で表現しているところに、ヒューマニズムへの反発が表れていると感じました。

同調意識

影響力のありそうな紳士の一言によって、群衆が折り返しの電車に殺到するシーンは、本当に滑稽です。何も考えていない群衆を揶揄しているようです。

でも、日常にはこういう場面はたくさんあると思います。日本人は特に同調意識が強く、「誰かがやるからやる」みたいな意識があることは否定できません。

「何も考えないで他の人と一緒にぞろぞろ動いていると、紳士について行った乗客のように、チャンスを失う」と言われているようで、少しどきっとしました。

最後に

今回は、横光利一『頭ならびに腹』のあらすじと内容解説、感想をご紹介しました。

乗客が電車を乗り換えるという、何の変哲のもないストーリーですが、そこには新しい文体への挑戦や、人間の心理が隠れています。ぜひ読んでみて下さい!

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「純文学を身近なものに」がモットーの社会人。谷崎潤一郎と出会ってから食への興味が倍増し、江戸川乱歩と出会ってから推理小説嫌いを克服。将来の夢は本棚に住むこと!
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