純文学の書評

【横光利一】『春は馬車に乗って』のあらすじと内容解説・感想

『春は馬車に乗って』は、結核のため23歳で亡くなった横光利一の妻と重ねられたと読まれることが多い作品です。

今回は、横光利一『春は馬車に乗って』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!

『春は馬車に乗って』の作品概要

著者横光利一(よこみつ りいち)
発表年1926年
発表形態雑誌掲載
ジャンル短編小説
テーマ生死

『春は馬車に乗って』は、1926年8月に雑誌『女性』で発表された横光利一の短編小説です。病気で寝たきりの妻と、それを看病する主人公の対話をベースに物語が進んでいきます。

Kindle版は無料¥0で読むことができます。

著者:横光利一について

  • 川端康成と同じく、新感覚派を代表する作家
  • 代表作は、『蠅』『日輪』『頭ならびに腹』『機械』
  • 倫理観が感じられない作風が特徴。
  • 擬人法などを使った奇抜で新しい文体を用いた

戦後は、戦争協力を非難されて評価されませんでした。死後、徐々に横光の作品は分析が進み、再評価されるようになりました。新感覚派については、以下の記事をご覧ください。

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『春は馬車に乗って』のあらすじ

海の近くにある家で、彼は妻の看病をしています。結核の妻の言葉には棘があり、2人は会話と取れないようなやりとりを繰り返します。そんな妻を、彼は仕事をしながら看病し続けます。

しかし、妻の病状は徐々に悪くなっていき、ついに医者からも見放されてしまいます。妻も自身の死期を悟り、2人は静かに死を待つのでした。

登場人物紹介

物書き。病気の妻の看病をしながら仕事に打ち込む。

結核で床に伏している。病魔に侵されて余裕がなくなり、夫にわがままばかりを言っている。

『春は馬車に乗って』の内容

この先、横光利一『春は馬車に乗って』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。

一言で言うと

生者と死に近い者の対話劇

殺伐

は、病気のの看病に明け暮れています。妻は彼が自分の側から離れるのを嫌がり、「あなたは、他の女の方と遊びたいのよ」「あたしより、締切りの方が大切なんですから」などと言って彼と口論になってしまうことも多々あるのでした。

妻の側から離れられない彼は、死と言う名の檻にいる妻に繋がれているような感覚を覚えています。

変化

妻の病状は日に日に悪くなり、妻は聖書を読んで欲しいとせがむようになります。そして妻の痰が一分ごとに出るようになり、彼はそれを取るためにますます彼女の側を離れられなくなりました。

しかし彼は、妻が元気だった頃に自分に向けられた嫉妬を思えば、今の方がましだと思いました。逆に言うと、このように考える他なかったのです。

度重なる妻のわがままと看病に疲弊した彼は、やがて「俺もだんだん疲れて来た。もう直ぐ、俺も参るだろう」と妻に告げました。すると、妻は急に静かになり、虫のような憐れな声でこれまでの行いを反省するのでした。

春、来る

あるとき薬をもらいに行った彼は、医者から「あなたの奥さんは、もう駄目ですよ」と告げられてしまいます。帰宅した彼を見た妻は誰に言われずとも自身の死期を悟り、骨の行き場を気にしてすすり泣くのでした。

そんなとき、彼のもとに知人からスイートピーの花束が届けられます。「どこから来たの」と問う妻に、彼は「この花は馬車に乗って、海の岸を真っ先きに春を撒き撒きやって来たのさ」と答えます。

それを聞いた妻は、花束に顔を埋めて恍惚として眼を閉じるのでした。

『春は馬車に乗って』の解説

語り手の正体

私小説とは、作家の実人生をモチーフにした小説のことです。横光利一は病気の妻を持っていた経験があり、『春は馬車に乗って』は私小説的な読み方をされることが多い作品です。

しかし、井上氏は本作が三人称小説であることに着目しています。告白体の私小説は、その名前の通り「私(わたくし)」が主語であり、よって多くの場合一人称が用いられるからです。

 

ところが、本作では語り手と「彼」は融合しており、ほぼ語り手=「彼」になっています。この根拠には、物語の登場人物で唯一心情が語られるのが「彼」であることを挙げています。「彼」の心情は、「俺」という一人称を用いて語られているのです。

逆に、妻の心情が「妻はまだ何か彼に斬りつけたくてならないように」という表現からわかるように徹底して彼の目を通してしか描かれていません。

そして語り手は、場面を問わずすべて過去形で語っています。つまり語り手は、「妻の死後である未来の時間から自己を振り返る彼自身」と言えるのです。

その上で、このような語りの構造は「主体的な私小説を拒絶し、」客体化された語り手としての「彼」の物語としているとまとめています。

井上研二「死を迂回する語り:横光利一「春は馬車に乗つて」における断絶」(「横浜国大国語研究 33」2015年3月)

『春は馬車に乗って』の感想

春を撒きに来る

横光利一は、擬人法を使った奇抜な新しい文体を特徴とする新感覚派に属する作家です。タイトルの『春は馬車に乗って』にも擬人法が使われています。

『春は馬車に乗って』はスイートピーが「彼」の家に送られたことを示した「この花は馬車に乗って、海の岸を真っ先きに春を撒き撒きやって来たのさ」という一文から来ています。花が春を撒きにやって来たとする感性が素敵だと感じました。

 

物語では、病で床に臥す妻と看病する「彼」が、気持ちに余裕がない中お互いを傷つけあうような殺伐とした会話を繰り広げています。

また、「庭の芝生が冬の潮風に枯れて来た」「彼と妻とは、もう萎れた一対の茎のように、日日黙って並んでいた」「ダリヤの球根が掘り出されたまま霜に腐っていった」という表現から分かるように、2人でただ妻の死を待つ暗く息苦しい空気が立ち込めています。

しかし、スイートピーが春を運んできてわずかな明るさをもたらしたところで、物語は幕を閉じます。わずか数行で物語の雰囲気が180°転換するにも関わらず、その移行がスムーズで不思議と違和感を覚えないのが興味深いです。

最後に

今回は、横光利一『春は馬車に乗って』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。

青空文庫にあるので、ぜひ読んでみて下さい!

↑Kindle版は無料¥0で読むことができます。

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「純文学を身近なものに」がモットーの社会人1年生。谷崎潤一郎と出会ってから食への興味が倍増し、江戸川乱歩と出会ってから推理小説嫌いを克服。将来の夢は本棚に住むこと!
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