死者の肉を食べ、その集まりをきっかけに命を授かる新しい葬式の形・生命式。
今回は、村田沙耶香『生命式』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!
Contents
『生命式』の作品概要
著者 | 村田沙耶香(むらた さやか) |
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発表年 | 2013年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 短編小説 |
テーマ | 常識は変化する |
『生命式』は、2013年に文芸雑誌『新潮』(1月号)で発表された村田沙耶香の短編小説です。
著者:村田沙耶香について
- 日本の小説家、エッセイスト
- 玉川大学文学部卒業
- 2003年に『授乳』で群像新人文学賞優秀賞受賞。
- 人生で一番読み返した本は、山田詠美『風葬の教室』
村田沙耶香は、1979年生まれの小説家、エッセイストです。玉川大学を卒業後、『授乳』でデビューしました。
山田詠美の『風葬の教室』から影響を受けています。ヴォーグな女性を賞する「VOGUE JAPAN Women of the year」に選ばれたこともあります。美しく年を重ねている印象がある女性です。
『生命式』のあらすじ
真保が生きる世の中は、人が亡くなったときに「生命式」という儀式を行うことがスタンダードです。
生命式では亡くなった人間を調理して食べ、男女がその場で相手を探して受精を行うまでが一連の流れです。人口増加が目的で、生命式後の受精は神聖なものとして扱われています。
真保はそんな世の中の風潮についていけず戸惑いますが、ある人物の生命式に参加したことをきっかけに価値観が大きく変わっていくのでした。
登場人物紹介
池谷真保(いけたに まほ)
36歳。子供の頃と様変わりした世の中について行けず戸惑う。
山本慶介(やまもと けいすけ)
小太りの39歳。真保のタバコ仲間。気のいい性格で真保が気を許す相手。
『生命式』の内容
この先、村田沙耶香『生命式』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。
一言で言うと
人を喰らって生命を産む
中尾さんの生命式
昼休みに会議室で昼食を食べていた真保は、総務の中尾さんが脳梗塞で亡くなったことを知ります。同じ部署の女の子たちは中尾さんの生命式の話を始めました。
生命式とは、死んだ人間を食べながら男女がその場で受精相手を探し、相手が見つかった場合に退場してどこかで受精を行うという儀式です。
真保が子供のころは人間を食べることは忌み嫌うべきものでしたが、人口減少に伴って妊娠を目的とした交尾が主流となり、死から生を生む生命式がスタンダードとなったのです。
真保はその急激な変化について行けず、タバコ仲間の山本と生命式について話しました。
「30年前は全然違う価値観が普通だったのに、変化についていけないだけ」「そういえば、人肉って、幼稚園くらいのころは食べちゃいけないものだったかもな」「そうでしょ!?なのに、今ではみんな、食べることがすごくいいことみたいに言うじゃん」。
その夜、真保は山本と中尾さんの生命式を訪れました。中尾さんは味噌出汁で調理されていましたが、真保と山本は野菜だけを食べて帰路につきます。そのとき、山本は道路にこぼれた精子で滑ってしまいました。
昔のセックスは厭らしいものでしたが、人口減少が著しい今、生殖には神聖なものというイメージがあるため生命式後の受精はそこかしこで行われるのです。
流動する世界
真保はその新しい価値観を受け入れられず、山本に世間の異常さを主張します。しかし、山本は「常識とか、本能とか、倫理とか、確固たるものみたいにみんな言うけどさ。実際には変容していくもんだと思うよ」と真保を諭しました。
真保は、30年前のずっと前からも、私たちは変わり続けてきたのだろうかと考えます。山本の言うことを理屈では分かっていても、やはり納得はできないのでした。
山本の死
そんなとき、山本が交通事故で亡くなったという知らせが飛び込んできます。そして山本の母親と会話し、真保は山本の生命式の手伝うことにしました。真保は、血抜きや内臓の処理がなされ、骨付き肉になった山本の調理に取りかかります。
生命式が始まるころには、山本のマンションは人でいっぱいになっていました。真保は出汁のしみ込んだ山本の肉団子を口にし、存分に味わいます。
山本を愛していた人が山本を食べて山本の命をエネルギーに新しい命を作りに行く。真保は、その日初めて生命式が素晴らしい式だと思いました。
受容
式の後片付けをしていると、山本の妹が手伝いのお礼に山本のカシューナッツ炒めとおにぎりを手渡しました。真保は、ふとこのままピクニックに行こうと思い立ちます。
終電でたどり着いたのは鎌倉の海でした。そこで自殺志願者と間違われた真保は、見知らぬ男性に声をかけられます。「なんでこんな時間にピクニックを?」「これ、山本っていう私の友達なんです。よかったら一緒にどうですか」
真保はその男性と山本を食べました。山本の破片が世界にちらばり、誰かのおなかの中でエネルギーになると思うと、真保は無性に嬉しくなりました。
男性と別れてからしばらくすると彼がふたたび現れ、「山本さんの生命式に、少しでも参加したくて」と言って小さな瓶に入った精子を手渡します。
受け取った真保は海の中に入っていき、ジーンズを下げて瓶の中身をすくってゆっくりと身体のなかに差し込みました。そしてこんなふうに精液のやりとりをする世界は、なんて美しいのだろうと思います。
それは、真保が今の世界の正常を受け入れた瞬間でした。真保は、山本の命が自分の肉体に吸収されていくのを感じました。
『生命式』の解説
当たり前は変化する
真保は幼少期に食べたいものは何かという話で「人間」と答え、大人から叱責されました。しかし、人口減少に伴って人口増加を目的とした生殖がもてはやされ、生命式という儀式が一般的になった世の中で、時代の波に乗れていない真保は少数派になってしまいます。
かつて「人間を食べる」という真保の発言を非難した人たちが、30年後当たり前のように生命式で人間を食べる(人食を受け入れる)という手のひら返しに、真保はついていけませんでした。
確かに、豚や鶏の死体は食べるのになぜ人間の死体を食べることはタブーなのか、即答できる人は少ないのではないでしょうか。なぜなら、「人肉を食べることは倫理的にNG」「食人は禁忌」ということを刷り込まれているからです。
つまりこのエピソードからは、人間を食べることに対する善悪ではなく、「常識はトレンドのように移り変わる」というメッセージが読み取れます。真保は人食NGからOKに切り替わったことをを受け入れられず、違和感を覚えてしまうのです。
山本は作中でディズニーランドの話をしていましたが、ディズニーランドにはその空間で使われる文法があると私は考えます。
その文法を理解していないとコミュニケーションが成り立たないため、例えばミッキーマウスの中に人が入っていることを指摘する人はディズニーランド内の文法に従っていないことになり、コミュニケーション障害が起きてディズニーランド除外されるのです。
そのルールや文法というのが、『生命式』で言う人食です。真保は最初このルールに疑問を持っていたため、生きづらさを感じていました。そして山本の肉を食べ、見知らぬ男の精液を体内に押し込んだ真保は、ようやく世界のルールを受容できたのでした。
私は生まれて初めて、この世界の正常の中へと溶けていた。永遠に変化し続けるこの世界の色に染まり、その一瞬の色彩の一部になったのだ。
それまでの常識が変化していく例を下記に挙げます。
例えば昆虫食。日本人が昆虫を食べることは一般的ではありませんが、食虫が当たり前の文化圏で生きてきた人にとってはそれはスタンダードです。そして村田沙耶香『殺人出産』では、セミやトンボがスナックとして食べられるようになった世界が描かれています。
また、私が子供の頃は「生物学的な性別=心の性別」であることが当たり前でした。そのため、女性が男性らしい装いをしていたり、男性が女性のような振る舞いをすることは当時の常識からは逸脱した行為でした。
しかし、昨今「LGBT」「多様性」「ジェンダーレス」という言葉で言い表されるように、トランスジェンダーは当たり前のものとして受け入れられ始めています。
タブーだったカニバリズム(人肉を食べること)が常識になり、セックス(「厭らしいもの」)が生殖(「神聖なもの」)のための手段になる。『生命式』には、世界がこうして変化し続けることや人間がその変化に染まって順応していく過程が描かれています。
『生命式』の感想
異端者の生きにくさ
人口減少がトリガーとなり、快楽が目的になることもあった性交が、生殖のためだけの行為に切り替わっていく世界が描かれていました。
30年という短い期間で急激に世の中の常識が変わることは実際にはあるのか?と思いつつ、でも違和感を覚えない程度に現実味のある設定で、真保が新常識を拒絶し続けるのか最終的に受け入れるのか考えながら読み進めました。
現段階の常識から考えると、種の存続のためにする人間はあまりいないでしょう。快感を得たり愛を確かめたりすることが目的のように思います。
「子供が欲しい」という目的は「種の存続」と近いとも思いますが、子供が欲しいという願望は、例えば「にぎやかな家庭を築きたい」「最期を看取ってくれる人がほしい」というような個人の願望と結びついているケースが多いのではないでしょうか。
真保が身を置く世界の人は「未来のために子孫を残す」というスケールの大きい人類共通の願望によって生殖しているため、私たちとは感覚が異なっているように思います。
快楽のために世界中の人間によって一晩で数千リットルもの大事な種がゴミ箱に捨てられると知ったら、種の存続のために繁殖する動物は驚くでしょう。そして「種の存続のために繁殖する動物」の中に、真保の世界の人々は当てはまります。
真保は当初そんな彼らを拒絶していましたが、最終的に精液を膣に入れるという完全にプロセスを無視した作業を行いました。
これを以て、「私は生まれて初めて、この世界の正常の中へと溶けていた」と語っているように、真保が初めて世の中の文法に従ったことが示されています。
それ以前の真保は、過去からの大きな時代の変化についていけず、会社の同僚の発言に眉をひそめ、常に違和感と不満を抱いて生きていました。しかし、世界の常識を受け入れた後の真保は窮屈な状態から解放されたように前向きで明るい語りを始めました。
ここから、世の中のスタンダードに逆らい続けることは困難を伴い、しかし一度受け入れてしまえば生きやすくなるのだと思いました。
最後に
今回は、村田沙耶香『生命式』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。
ぜひ読んでみて下さい!