純文学の書評

【芥川龍之介】『藪の中』のあらすじと内容解説・感想

『藪の中』は、数人の人物の証言をもとに、ある殺人事件の真相にせまる物語です。

今回は、芥川龍之介『藪の中』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!

『藪の中』の作品概要

著者芥川龍之介(あくたがわ りゅうのすけ)
発表年1911年
発表形態雑誌掲載
ジャンル小説
テーマ不可解さ

『藪の中』は、1911年1月に文芸雑誌『新潮』で発表された芥川龍之介の短編小説です。検非違使(けびいし。政府の役人のこと)の尋問に答えた複数人の証言からなる物語です。

証言は食い違い、誰が正しいことを言っているか分からないため、長らく研究対象とされています。藪とは「低木や草、竹などが生い茂る場所」のことで、平安時代末期の説話集『今昔(こんじゃく)物語集』の巻29第23話が元になったと言われています。

真相が分からないことを示す「藪の中」という表現の語源となった小説です。Kindle版は無料¥0で読むことができます。

著者:芥川龍之介について

  • 夏目漱石に『鼻』を評価され、学生にして文壇デビュー
  • 堀辰雄と出会い、弟子として可愛がった
  • 35歳で自殺
  • 菊池寛は、芥川の死後「芥川賞」を設立

芥川龍之介は、東大在学中に夏目漱石に『鼻』を絶賛され、華々しくデビューしました。芥川は作家の室生犀星(むろう さいせい)から堀辰雄を紹介され、堀の面倒を見ます。堀は、芥川を実父のように慕いました。

しかし晩年は精神を病み、睡眠薬等の薬物を乱用して35歳で自殺してしまいます。

芥川とは学生時代からの友人で、文藝春秋社を設立した菊池寛は、芥川の死後「芥川龍之介賞」を設立しました。芥川の死は、上からの啓蒙をコンセプトとする近代文学の終焉(しゅうえん)と語られることが多いです。

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『藪の中』のあらすじ

検非違使が、ある殺人事件の聞き込みを行っています。木樵り(きこり)や旅法師などさまざまな人に話を聞きますが、それぞれの話している内容は矛盾しています。そして、事件は迷宮入りするのでした。

登場人物紹介

真砂(まさご)

金沢の妻。19歳の娘で、不思議な魅力を備えている。

金沢武弘(かなざわ たけひろ)

26歳の若狭(わかさ。現在の福井県)の侍。優しい性格。

多襄丸(たじょうまる)

京都の悪名高い盗人。

『藪の中』の内容

この先、芥川龍之介『藪の中』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。

一言で言うと

真相は藪の中

木樵りと旅法師の証言

金沢の死体の第一発見者である木樵りは、「胸元に傷がある男が、藪の中で仰向けに倒れていた。太刀(たち。刀)はなく、縄と櫛(くし)が落ちていた」と証言しました。

旅法師は、「事件の前日、男は馬に乗った女と一緒にいた。女は牟子(むし。平安時代の女性が旅行の際に用いていた布)を垂れていたため、顔は見えなかった。男は太刀と弓矢を持っていた」と言いました。

多襄丸を捕えた男と真砂の母の証言

盗人である多襄丸を捕えたある男は、「多襄丸が馬から落ちて、橋の上でうなっていたところを捕まえた。多襄丸は太刀と弓矢を持っていた。橋の少し先には、おそらく女が乗っていた馬がいた」と話しました。

真砂の母親は、「殺されたのは娘の夫で、金沢武弘という26歳の若狭の侍だ。19歳の娘の名前は真砂という。多襄丸とかいう盗人が憎くて仕方がない」と言いました。

多襄丸の白状

多襄丸は、「金沢のことは殺したが、真砂のことは殺していない。昨日の昼過ぎに2人とすれ違ったとき、真砂の女菩薩(にょぼさつ)のような顔に惹かれ、金沢を殺してでも真砂を奪うことを決意した。

『鏡や太刀を安く売り渡そう』と言って2人を誘導し、金沢だけを藪の中へ引き連れた。そこで、縄で金沢を縛って動けなくしてから真砂を呼んだ。縛られた金沢を見た真砂は小刀を出したが、それを打ち落として真砂を強姦した。

その後、真砂は『あなたか夫のどちらかに死んでほしい。生き残った方について行く』と泣きながら言った。決闘の末に金沢を殺したが、その隙に真砂は逃げていた」と言いました。

真砂の懺悔(ざんげ)

真砂は、「多襄丸に手ごめにされたあと、夫に駆け寄ろうとしたが多襄丸に蹴られて転んだ。夫の瞳にはさげすみの色が浮かんでいた。あまりのショックに気を失ったあと、目覚めたときには多襄丸は消えていた。

夫と一緒に死のうと思い、足元に落ちていた小刀で夫を刺した。そして夫の縄をとき、自分も死のうとしたが死に切れなかった」と涙ながらに言いました。

金沢の死霊の証言

巫女(みこ)の口を借りた金沢は、「多襄丸は妻を手ごめにしたあと、『自分の妻になれ』と言った。妻は承諾し、2人は藪から出て行った。そのとき、妻は『あの人を殺してください』と多襄丸に言った。

すると多襄丸は妻を蹴り飛ばし、自分に向かって『あの女を殺すか、助けるか』と言う。答えに迷っているうちに妻は逃げ出し、多襄丸もそれを追って藪の奥へ走って行った。

その後、妻が持っていた小刀を自分の胸に突き刺した。意識を失う直前に誰かが来て、胸の小刀をそっと抜いて逃げて行った」と言いました。

『藪の中』の解説

犯人は誰?

『藪の中』を読んだ読者が一番気になるのは、「結局金沢を殺したのは誰?」ということだと思います。多襄丸も真砂も「自分が殺した」と言い、金沢は自殺したと言うのです。

結論から言うと、犯人は分かりません。発表当時から犯人さがしの研究がなされてきましたが、いずれもどこかに矛盾や食い違いがあり、完璧な真相はいまだに提出されていません。そのため、「真相はない」と考える研究者もいます。

 

作品を読み始めた読者は、検非違使の立場から状況を把握し始めます。検非違使側に立っているので、自然と読者は「犯人は誰か」という風に思います。

さらに、証言の食い違いは読者の思考を謎解きへ向かわせる働きをしています。そこまで読者を誘導しておいて、最終的に犯人を分からなくさせるのが、芥川のトリックです。

「犯人はだれか」「真相は何なのか」という謎解きを楽しむのではなく、理解のしにくさや不可解さを味わう物語なのではないかと思います。

女性と竹

原典となった『今昔物語』巻29第23話では、舞台設定はあいまいです。「藪の中」という言葉は一度しか登場しませんし、その藪について具体的な説明はありません。藪は竹かもしれないし、他の樹木かもしれません。

しかし、芥川は「竹藪」という言葉は用いなかったものの、「竹」という言葉を頻繁に登場させています。それにより、読者は「藪=竹」というイメージを持つようになります。では、芥川はなぜ藪を竹藪に設定したのでしょうか?

芥川と竹

まず、芥川と竹の関係を見ていきます。芥川は、幼少期に「お竹倉」と呼ばれた雑木林や竹藪のある野原に親しんでいました。同時に、芥川は竹藪に対して超自然的な気味の悪さを感じていました。

また、締め切りに追われている芥川が、書斎の障子に竹の影を見たというエピソードもあります。締め切りが迫っていて、精神的に余裕がない状況で見た竹は、芥川に恐怖や不安を与えたと推測できるでしょう。

さらに現代詩に親しんでいた芥川は、萩原朔太郎(はぎわら さくたろう)の『月に吠える』を読みました。『月に吠える』には、竹をモチーフにした詩が多く掲載されています。

『月に吠える』では、鋭い生命力を持っていたり、気味の悪い明るさを持っていたり、神秘的なエネルギーを持っていたりする竹が描かれています。

 

これらのことから、「芥川は幼い頃から竹に気味悪さを感じていた」ということと、「芥川は竹に関して生命力が強い・病的に明るい・神秘的というイメージを持っていた」ということが分かります。

女性と竹

竹は、まっすぐ上に伸びているにも関わらず、柔らかくてよくしなります。また『竹取物語』に登場する光る竹を想像すればわかるように、竹と光は密接に関係しています。同時に、竹は夜のうっそうとした暗さを彷彿(ほうふつ)とさせたりもします。

このように、竹は「硬さと柔らかさ」「光と闇」という風に、相反する要素を同時に兼ね備えているので、竹には両面性があるというイメージがあります。矛盾する2つの要素を詰め込んでいるということは、「理解しがたい」という印象につながります。

 

芥川が生涯理解することができなかったのは、女性です。芥川は女性に関して「あの気味の悪い荘厳は果たして像だけから生まれるであろうか?」という言葉を残していますし、『羅生門』は失恋に苦しみにさいなまれながら描いた作品です。

さらに、謡曲に女性が超自然的な力を見せる曲はたくさんあるように、古くから女性と神秘的な力は結びついていました。

これらのことから、芥川は女性の持つ非現実的な力と、どことなく不気味でとらえがたい竹のイメージを結び付けたのではないかと考えられます。

そうした「分からなさ」は、迷宮入りした『藪の中』の物語とも絡んできます。ミステリアスな雰囲気をかもし出す真砂(女性)とも響き合っていると言えるでしょう。竹は、「もやがかかった理解のしずらさ」を表現する装置として機能しています。

・吉田敬「芥川龍之介「藪の中」論―一人語りの虚構」(『近代文学試論』2008年12月)
・日置俊次「芥川龍之介「藪の中」論 : 竹に隠された秘密」(『紀要/青山学院大学文学部』2020年3月)

『藪の中』の感想

不思議な真砂

『藪の中』で魅力的なのは真砂です。その理由は、「活発だから」「魔性の女だから」です。

真砂の活発さ

原典となった『今昔物語』は、平安時代の説話集です。平安時代の女性は、しとやかで、なよなよしていて、とにかく影が薄い人物として描かれます。活発であることははしたないこととされ、物静かであることが理想とされたからです。

『今昔物語』で描かれている女(真砂のこと)も、典型的な平安時代の女性です。しかし、『藪の中』の真砂は、原典の女とは違う人物として描かれています。

真砂の母は、真砂に関して「顔は色の浅黒い、左の眼尻に黒子のある、小さい瓜実顔でございます」と言っています。平安時代、女性の肌は白い方が美しいとされていました。しかし、真砂は「浅黒い」肌を持っていたと言います。

この時代の「浅黒さ」は、「粗野」「無骨」というようなイメージがあります。こうした描写を女性に対して使うのが、変わっていて面白いなと思いました。

 

さらに、真砂はパワフルな人物です。真砂の母は「これは男にも劣らぬくらい、勝気の女でございますが」と真砂のことを評していましたし、真砂は小刀で多襄丸を刺そうとしました。

女性が声を荒げたり、ましてや男性に刃物を持って襲いかかることは、平安時代は考えられなかったことです。

このように、平安時代の女性像とはかけ離れた女性である真砂が、『藪の中』には登場します。原典をなぞっているだけではない、芥川の手が加えられて現代風になった『今昔物語』を楽しめました。

魔性の女

もう一つの真砂の魅力は、その魔性です。多襄丸は、布で隠された真砂の顔をちらりと見た瞬間、「その咄嗟の間に、たとい男は殺しても、女は奪おうと決心」しました。

そして、真砂の「燃えるような瞳」を見た多襄丸は、「たとい神鳴に打ち殺されても、この女を妻にしたいと思いました。妻にしたい、(中略)これはあなた方の思うように、卑しい色欲ではありません」と言っています。

多襄丸を我を失うまで夢中にさせたり、「卑しい色欲」なしに、純粋に「妻にしたい」と焦がれるほど相手に思わせたりする魅力が、真砂にはあるのです。

 

このように、真砂には男性を翻弄(ほんろう)する魔性が備わっていたと言えます。前項の解説では「女性は神秘的な力が備わっているというイメージがあった」というお話をしましたが、そうした女性の超人的な印象とも関係していると思います。

物語には直接関係ありませんが、真砂の魔性を目の当たりにして、坂口安吾『桜の森の満開の下』に登場する女を思い出しました。これは、美しい女が生首で遊んだり恐ろしい正体を明かしたりする物語です。

真砂も『桜の森の満開の下』の女も、男性を虜にする美しさと、相手をどん底に突き落とす残酷さを兼ね備えている点で共通していると思いました。

 

大泥棒の多襄丸はつかまり、金沢は死んだので、真砂は結果的に2人の男性の人生を狂わせたことになります。芥川は、実人生で女性に大きく振り回されることはありませんでしたが、女性との関係で苦しんだのは事実です。

真砂は超人的な力(魔性)を持っている時点でミステリアスな存在です。芥川は、現実の女性の理解しにくさを、不思議な女性としての真砂に投影したのではないかと思いました。

最後に

今回は、芥川龍之介『藪の中』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。

青空文庫にもあるので、ぜひ読んでみて下さい!

↑Kindle版は無料¥0で読むことができます。

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「純文学を身近なものに」がモットーの社会人。谷崎潤一郎と出会ってから食への興味が倍増し、江戸川乱歩と出会ってから推理小説嫌いを克服。将来の夢は本棚に住むこと!
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