「吾輩は猫である。名前はまだ無い」という有名な1文から始まる『吾輩は猫である』。日本人なら誰でも知っている作品ですが、意外と読んだことがある人は少ないのではないでしょうか?
今回は、夏目漱石『吾輩は猫である』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!
Contents
『吾輩は猫である』の作品概要
著者 | 夏目漱石(なつめ そうせき) |
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発表年 | 1905年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 長編小説 |
テーマ | 風刺 |
『吾輩は猫である』は、1905年に俳句雑誌『ホトトギス』(1・2・4・6・7・10月、翌年1・3・4・8月)で連載された夏目漱石の長編小説です。
漱石が38歳のときに執筆した処女作で、猫目線から人間を描くという斬新な作品です。漱石の家に住み着いた、野良の黒猫がモデルと言われています。
角川文庫の『吾輩は猫である』です。角川文庫のこのシリーズは、着物の生地のような装丁がとても綺麗です。
著者:夏目漱石について
- 芥川を発掘
- 森鷗外のライバル
- ロンドンに留学するも、精神を病んで帰国
- 教師、大学教授を経て新聞社に入社
夏目漱石は、当時大学生だった芥川龍之介の『鼻』を絶賛しました。芥川はそれによって文壇デビューを果たしました。また、森鷗外は執筆活動を中断していた時期がありましたが、漱石を意識して執筆を再開したという話が残っています。
漱石は、東大を卒業後に教師や大学教授を経て政府からロンドン留学を命じられます。しかし、現地の雰囲気に上手くなじめずに精神を病んでしまったため、帰国を余儀なくされました。
帰国後、漱石は朝日新聞の専属作家(朝日新聞で小説を連載する小説家)となりました。当時多くの新聞社からオファーが来ていましたが、その中で朝日新聞が提示した月給が一番高かったため、漱石は朝日新聞に入社しました。
また、漱石は造語を多く用いました。漱石の造語で、今日一般的に使用されている言葉には、「浪漫(ロマン)」「沢山(たくさん)」などがあります。
他にも、「高等遊民(高等教育を受けたにもかかわらず、仕事をしないで過ごす人のこと)」「低徊趣味(ていかいしゅみ。世俗的な気持ちを離れて、余裕を持って物事に触れようとする趣向)」があります。
漱石の門人・門下生には、寺田寅彦・和辻哲郎・芥川龍之介・久米正雄・松岡譲などがいました。漱石の作品は、国外でも評価されています。
『吾輩は猫である』のあらすじ
「吾輩」と自称するその猫は、生まれてすぐに捨てられました。そして苦沙弥(くしゃみ)先生の家に住むことになり、隣宅の三毛子に恋をしたりします。
吾輩は、人間が4本の脚のうち、2本しか使わないことを「贅沢だ」とし、髪を伸ばさずに整えることを不思議に思います。こうして吾輩は、苦沙弥先生の家に出入りする人間の観察をするようになりました。
冒頭文紹介
吾輩は猫である。名前はまだ無い。
数々の作品でパロディ化されている、非常に有名な一文です。
登場人物紹介
吾輩(わがはい)
元捨て猫。苦沙弥(くしゃみ)先生の家で生活し、いろいろな人間とふれあう。死ぬまで名前を付けられることはなかった。
苦沙弥(くしゃみ)先生
吾輩の家の主人で、英語の先生。胃が弱く、ノイローゼ気味。
『吾輩は猫である』の内容
この先、夏目漱石『吾輩は猫である』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。
一言で言うと
猫から見た人間社会
吾輩と先生
吾輩は、生まれてすぐ捨てられてしまいました。寒さと空腹に耐えかねた吾輩は、1軒の家に入ります。
吾輩はその家の女性に何度もつまみ出されますが、めげずに侵入し続けます。その様子を見た主人(苦沙弥先生)の一言で、吾輩はその家の住人になりました。
しかし、人間の子供はすぐに泣くし、主人は身勝手だし、人間のことはどうも好きになれません。それでも生きるために、主人の家で世話になるのでした。
三毛子(みけこ)
吾輩は近所の家に住む三毛子という美しい猫と仲良くなります。吾輩は、ことあるごとに上品で可愛らしい三毛子を訪ねて話をするようになりました。
しかしあるとき、三毛子は風邪をひいてしまいました。三毛子の家の人が、「あの野良猫(吾輩のこと)の仕業に違いない」と決めつけたせいで、吾輩は三毛子にそれ以降会えなくなりました。
ほどなくして、三毛子は死んでしまいます。吾輩は、三毛子のために読まれるお経をぼんやり聞きながら、ひそかに想いを寄せていた相手の死を感じるのでした。
自殺
その後も、人間嫌いの吾輩は、人間をセミに例えて「油野郎、みんみん野郎、おしいつくつく野郎」などと好き勝手に言います。
また、先生の3歳の子供が「ばぶばぶ」言っているのを聞いて、「このばぶなる語はいかなる意義で、いかなる語源を有しているか、誰も知ってるものがない」と分析したりします。
そして先生の教え子の結婚が決まった日、吾輩は先生たちの飲み残したビールに目を付けます。なめてみると、初めは舌がしびれる感覚がしましたが、次第に体が熱くなり踊りだしたい気分になります。
前足がぐにゃりと曲がり、ぼちゃんと音がして、吾輩は目を覚ましました。なんと、庭にある水がめの中に落ちてしまったのでした。もがいても爪が水がめの壁に当たるばかりで、吾輩は沈んでいきます。
やがて吾輩は、「水から上がりたいのは山々だが、それは不可能だ」と悟ります。そして、「この苦しみを超えた先の死には、安楽がある」と考えた吾輩は、手足を動かすのを止めて静かに沈んでいくのでした。
『吾輩は猫である』の解説
漱石の処女作
『吾輩は猫である』は、漱石が作家活動を本気で始めるきっかけとなった作品です。東大の大学院で英語を学んだ漱石は、卒業したあと英語の先生になりました。
その後、国から命じられてイギリスに留学して文学研究に励みましたが、周りの人とうまくやって行けずにうつ病になり、帰国します。
そして、そのうつ病の治療の意味を込めて、知人のすすめで書き始めた最初の小説が『吾輩は猫である』なのでした。これが評判になり、漱石は文学の研究者から文学の書き手に回ったのです。
今となっては、動物が主人公になっている作品は多くありますが、当時は人間を主人公に設定するのが当たり前でした。
漱石はその常識を打ち破って、猫を語り手にした作品を生み出したので、『吾輩は猫である』は当時の人たちに大きな衝撃を与えました。
漱石は英語を学んでいたり、留学をしたりしていたので、西洋の進んだ新しい考えを持っていました。だからこそ、当時のこり固まった日本人の頭では考えられなかったようなユニークな作品が生まれたのです。
『吾輩は猫である』の感想
人間より下等な生き物である猫が、知識人ような言葉を使い、ひたすら人間を上から観察するところに、この小説の面白さがあります。
「吾輩」というのは、ほどよく年を重ねた偉いおじさんの一人称です。「である」というのは、明治になってから「話し言葉と書き言葉を分けよう」という運動のおかげで誕生したものであり、もっぱら大学を出たスーパーエリートが使う言葉です。
そんな「吾輩」と「である」を、生まれたばかりで捨てられた1匹の猫(人間よりも下等な生き物)が使っているというちぐはぐさが、なんとも笑いを誘う小説だと思います。
(隣の家の猫が、産んだ子供をすぐに捨てられたことに対して)どうしても我等猫族が親子の愛を完くして美しい家族的生活をするには人間と戦ってこれを剿滅せねばならぬといわれた。また隣りの三毛君などは人間が所有権という事を解していないといって大いに憤慨している。
このように吾輩は、人間が読んでも堅苦しいと感じる日本語で話します。これを猫が語っているというのがとても面白いです。『吾輩は猫である』には、思わず笑ってしまう描写が多いので、楽しんで読み進められます!
『吾輩は猫である』の朗読音声
『吾輩は猫である』の朗読音声は、YouTubeで聴くことができます。
『吾輩は猫である』の英語版
全11章のうち1章~4章までが掲載されていて、英語学習に使えると思います。
読み物として全章読みたい場合は、上にご紹介したものをおすすめします。海外の出版社から出ているものです。
『吾輩は猫である』の名言
仏教では「この世は苦である」と言いますが、猫から見た人間の世界も苦なのでしょう。確かに、わざわざ苦しいと分かっていながら生きるのは、人間でない生き物からしたら違和感を覚えることかもしれません。
でも、私は人間を辞めたいと思ったことはないです。苦しい日常があるからこそ、楽しいことが引き立つと思うからです。飼っている猫が、生きててあまり楽しそうじゃないというのもあります。
『吾輩は猫である』のPDF
『吾輩は猫である』のPDFは、以下のリンクから確認できます。
最後に
今回は、夏目漱石『吾輩は猫である』のあらすじと感想をご紹介し、解説しました。
タイトルをもじった書籍は非常に多く、『吾輩も猫である』『吾輩は亀である―名前はもうある』など、本作ほどパロディのネタとして使われた小説はないのではないかと思うほどです。
これは、それだけ長いあいだ読み継がれ、人々に愛されてきた証拠です。日本人として1度は読んでおきたい名作です!
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