『蜃気楼』は、芥川が自殺する4か月前に書かれた不穏な空気のただよう作品です。
今回は、芥川龍之介『蜃気楼』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!
Contents
『蜃気楼』の作品概要
著者 | 芥川龍之介(あくたがわ りゅうのすけ) |
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発表年 | 1927年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 短編小説 |
テーマ | 死 |
『蜃気楼』は、1927年3月に雑誌『婦人公論』で発表された芥川龍之介の短編小説です。鵠沼海岸を舞台に、神経衰弱の「僕」が蜃気楼を見る過程で不吉なものと出会う様子が描かれています。
蜃気楼は、空気の密度差によって、海の上に建物があるように見えたりする自然現象のことです。Kindle版は無料¥0で読むことができます。
著者:芥川龍之介について
- 夏目漱石に『鼻』を評価され、学生にして文壇デビュー
- 堀辰雄と出会い、弟子として可愛がった
- 35歳で自殺
- 菊池寛は、芥川の死後「芥川賞」を設立
芥川龍之介は、東大在学中に夏目漱石に『鼻』を絶賛され、華々しくデビューしました。芥川は作家の室生犀星(むろう さいせい)から堀辰雄を紹介され、堀の面倒を見ます。堀は、芥川を実父のように慕いました。
しかし晩年は精神を病み、睡眠薬等の薬物を乱用して35歳で自殺してしまいます。
芥川とは学生時代からの友人で、文藝春秋社を設立した菊池寛は、芥川の死後「芥川龍之介賞」を設立しました。芥川の死は、上からの啓蒙をコンセプトとする近代文学の終焉(しゅうえん)と語られることが多いです。
『蜃気楼』のあらすじ
僕はK君とO君は、蜃気楼を見に鵠沼海岸に行きます。しかし、その日は蜃気楼は出現しませんでした。それから、3人は海岸沿いや低い砂山を越えて歩きます。そこで、3人は水葬した死体についていたと思われる木札を見つけました。
それからしばらく経ったころ、僕は妻とO君と一緒に海岸に向かいます。そのとき、僕は鈴の音を聴きました。妻とO君は、「私の靴の鈴が鳴っているだけ」「鈴のついたおもちゃだ」と笑います。僕は、またも幻聴を聞いたのでした。
登場人物紹介
僕
KやO、妻と蜃気楼を見に行く。幻聴や幻覚に悩まされている。
K君
大学生。東京から遊びに来ている。
O君
赤シャツを着ている。Kの友人
妻
僕の妻。
『蜃気楼』の内容
この先、芥川龍之介『蜃気楼』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。
一言で言うと
死の気配
見えない蜃気楼
ある秋の日、僕はK君・O君と鵠沼海岸へ蜃気楼を見に行きました。ところが、海の色が陽炎に映っているものが見えただけで、蜃気楼を見ることはできませんでした。
3人は、海岸沿いに歩いて海水浴客を見物したり、砂山の上を歩いたりします。そこで、O君が木の札を見つけました。そこには「1906」「1926」などの数字や文字が書いてあり、3人はそれが水葬された死体についていたものだと思いました。
不可解
K君が東京に帰ってから、僕と妻・O君は夜に海岸に向かいます。そこで、僕は鈴の音の幻聴を聞きました。それから、僕はO君に昨晩見た夢の話をします。
夢の中の僕は、以前会ったことがあるであろうトラックの運転手と話をしていました。しかし思い返してみると、その運転手は3~4年前に会った女性記者だったのです。顔だけは素の女性記者で、残りの部分は男性の運転手だったのです。
話を聞いたO君はマッチを擦り、「つまりマッチへ火をつけて見ると、いろんなものが見えるようなものだな」と言いました。僕は、暗闇に浮かぶマッチに照らされた顔を無気味に思いました。
そして僕と妻はO君と別れ、家の中に入っていったのでした。
『蜃気楼』の解説
話らしい話のない小説
『蜃気楼』は、一般的な物語の型である起承転結がなく、事件らしい事件が起こらない平坦な小説です。これには、『蜃気楼』が発表された年である1927年に起こった「小説の筋」論争が関係しています。
「小説の筋」論争とは、芥川龍之介と谷崎潤一郎の間に起きた、理想の小説についての議論のことです。谷崎はリアルや現実に背を向けて虚構やウソを好んだ作家で、『饒舌録』で以下のように述べています。
●いったい私は近頃悪い癖がついて、自分が創作するにしても他人のものを読むにしても、うそのことでないと面白くない。事実をそのまま材料にしたものや、そうでなくても写実的なものは、書く気にもならないし読む気にもならない。
●素直なものよりもヒネクレタもの、無邪気な物よりも有邪気なもの、出来るだけ細工のかかった入り組んだものを好くようになった。
●筋の面白さは、云い換えればものの組み立て方、構造の面白さ、建築的美しさである。
一方、詩的な小説に価値を置く芥川は次のように主張しました。
●谷崎潤一郎君の小説によく出て来るアレ(筋の面白さのこと)が、本当の芸術的なものかどうかと云うことに疑問を持っている。
●僕の詩的精神とは最も広い意味の抒情詩である。
芥川は、谷崎の作品に見られるストーリーの面白さを批判し、小説から排除することを目指しました。
言いかえれば、谷崎はストーリーに起伏があり、読者が読んでいてびっくりするようなものだったり、面白いと思う小説にこそ価値があるとしたということです。
ストーリーをいかに構築することかということに価値を置くため、谷崎の作品にはフィクションとして作り上げられたものが多いのが特徴です。非常に複雑な人間模様が描かれた『卍』や、仮面夫婦の男女が描かれる『蓼食う虫』が例に挙げられます。
他方、芥川は起承転結の無い、詩のような小説に価値があると提唱しました。そして谷崎が書くような、読者をあっと驚かせる非日常的な面白さを批判します。
芥川が自殺してしまったので、議論は谷崎が若干優位な状態で終わりました。こうした経緯があり、晩年の芥川の作品には単調なものが多いのです。
①谷崎潤一郎『饒舌録』(1929年 改造社)
②李 慧珏「芥川龍之介の晩年の文学観 : 大正末期における「小説の筋」論争」(『待兼山論叢』(48) 95-110頁 2014年)
『蜃気楼』の感想
他の作品との関連
『蜃気楼』は芥川の「詩的精神」が表れた小説で、加えて死などのネガティブの要素を感じる作品です。晩年、実際に精神を病んで幻覚やドッペルケンガーに苦しめられていた芥川は、『蜃気楼』以外にも死を感じさせる作品を発表しています。
言いようのない不安や、忍び寄る不気味な死が描かれた『歯車』は、『河童』『或る阿呆の一生』と並ぶ、芥川の晩年の代表作です。
『蜃気楼』に似た描写があるのが、堀辰雄『聖家族』です。芥川は堀の師匠でもあり、堀が父親のように慕っていた人物でした。『聖家族』は、芥川の自殺に衝撃を受けた堀が、そのショックから立ち直るべく執筆された作品です。
九鬼(芥川がモデル)の死と向き合えないでいる扁理(堀がモデル)は、物語の終盤で死の臭いのする海岸で生を見出し、九鬼の死を克服します。以下がその場面です。
その漂流物のなかには、一ぴきの小さな犬の死骸が混っていた。そうしてそれが意地のわるい波にときどき白い歯で噛まれたり、裏がえしにされたりするのを、扁理はじっと見入りながら、次第にいきいきと自分の心臓の鼓動するのを感じ出していた……(『聖家族』)
興味深いのは、『蜃気楼』の鵠沼海岸にも1匹の犬が登場するところです。
「K君はどうするの?」
「僕はどうでも、………」
そこへ真白い犬が一匹、向うからぼんやり尾を垂れて来た。(『蜃気楼』)
海岸・死・犬というキーワードで、『蜃気楼』と『聖家族』のこの場面はリンクしています。
蜃気楼が登場する小説に、江戸川乱歩『押絵と旅する男』があります。芥川は蜃気楼を「死」と結びつけましたが、乱歩は「幻想」と結びつけました。
『押絵と旅する男』は、「絵の中の老人と娘が実は生きている」という非日常的な物語です。そこで、乱歩はこれから始まる不思議な体験へ読者をいざなう装置として、神秘的な現象である蜃気楼を用いたのでした。
蜃気楼という同じ現象でも、人によって感じ取ることが違うところが面白いと感じました。
最後に
今回は、芥川龍之介『蜃気楼』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。
神経衰弱におちいった晩年の芥川による、不穏な空気の漂う小説です。ぜひ読んでみて下さい!
↑Kindle版は無料¥0で読むことができます。