『満月』は、『キッチン』の続編として発表された作品です。『キッチン』と同じく、「身近な人の死からの再生」がテーマとなっています。
今回は、吉本ばなな『満月』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!
Contents
『満月』の作品概要
著者 | 吉本ばなな(よしもと ばなな) |
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発表年 | 1988年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 短編小説 |
テーマ | 身近な人の死からの再生 |
『満月』は、1988年に文芸雑誌『海燕』(2月号)で発表された吉本ばななの短編小説です。1987年に第6回海燕新人賞受賞作『キッチン』の続編です。みかげと雄一が、新たな死を消化する様子が描かれています。
著者:吉本ばななについて
- 日本大学 芸術学部 文芸学科卒業
- 『キッチン』で商業誌デビューを果たす
- 「死」をテーマとしている
- 父は批評家・詩人の吉本隆明(よしもと たかあき)
吉本ばななは、日本大学 芸術学部 文芸学科を卒業しており、卒業制作の『ムーンライト・シャドウ』で日大芸術学部長賞を受賞しました。『キッチン』が『海燕(かいえん)』という雑誌に掲載され、吉本ばななは商業誌デビューを果たしました。
吉本ばななが在学中、ゼミを担当していた曾根博義さんは「吉本ばななの小説は、あらゆる点でこれまでの小説の文章の常識を超えている」と評価しています。
作中では「死」が描かれることが多いですが、単に孤独や絶望を描くのではなく、人物がそれを乗り越えようとするエネルギーを持っているところが特徴です。父は批評家で詩人の吉本隆明で、姉は漫画家のハルノ宵子です。
『満月』のあらすじ
大学を辞めたみかげは、田辺家を出て料理研究家のアシスタントを始めました。そんなとき、みかげは雄一からえり子が亡くなったことを知らされます。
再会したみかげと雄一は、お互い気丈に振舞います。しかし、えり子の死を認めたくない一心で、2人とも核心に触れようとはしません。また、みかげは雄一との関係に悩むようになりました。
雄一の心労やみかげの出張が重なり、2人はいったん距離を置きます。そして、みかげと雄一は徐々にえり子の死と向き合い始めるのでした。
登場人物紹介
桜井みかげ(さくらい みかげ)
大学を辞め、料理研究家のアシスタントをしている。
田辺雄一(たなべ ゆういち)
大学生。突然のえり子の死を受け入れられないでいる。
田辺えり子
雄一の母親で元父親。ゲイバーを経営していたが、ストーカーに殺害された。
ちか
えり子のバーを継いだ人物。みかげや雄一と仲が良い。
奥野(おくの)
雄一と同じ大学に通っている女子大生。雄一に好意を寄せている。
『満月』の内容
この先、吉本ばなな『満月』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。
一言で言うと
死の闇からの脱出
えり子の死
秋の初めに大学を辞めたみかげは、料理研究家のアシスタントになって雄一の家を出ました。
アシスタントとしての生活に慣れてきたころ、みかげは突然「えり子さんが死んだ」と雄一から連絡を受けます。葬式はすでに終わっていました。混乱していた雄一は、みかげにえり子の死を伝えられなかったのです。
みかげは雄一の家に行き、以前のように彼と話します。唯一の肉親だった祖母を亡くして、「これ以上の不幸はない」と思っていたみかげは、さらなる絶望に突き落とされました。
みかげは落ち込む雄一に、「私なんか、2度目のみなしごよ」と言って笑います。雄一は「君の冗談が聞きたかった」と涙を流しました。
次の日の夜、みかげはご飯を作りました。サラダ、パイ、シチュー、コロッケ、揚げ出しどうふ、おひたし、すぶた、しゅうまいなど、食べきれないほどの料理を、みかげは雄一と2人で食べ尽くしました。
そして雄一は「ずっとここに住みなよ」と言いました。みかげが「女として?友達として?」と問うと、雄一は「わからない」と答えました。
伊豆への出張
あるとき、みかげの仕事先に奥野という女性がやって来ました。彼女は雄一に好意を寄せており、雄一の家を出入りしているみかげに難癖(なんくせ)をつけに来たのでした。奥野は、言いたいことだけを言って去って行きました。
そんなとき、みかげは3泊4日の伊豆出張を引き受けます。みかげが伊豆へ向かうために準備をしていると、えり子の跡を継いだちかから電話がかかってきました。話があるので、外に出てきて欲しいとのことです。
そこでちかは、雄一の異変について話しました。決して弱みを見せない雄一が、「そのまま消えちゃいそうに元気がなかった」のだそうです。そして、1人でどこかに行こうとしているのだと言います。
それを聞いたみかげは、雄一が自分を含めたすべてのものから逃避しようとしているのだと悟りました。そして、当分帰らないかもしれないと思いました。ちかは、雄一に紹介した宿の地図と電話番号のメモをみかげに渡して、去って行きました。
永遠のフレンド
出張中、お腹をすかせたみかげは夜の伊豆を歩きます。そして、たまたま入ったご飯屋さんでカツ丼を注文します。できあがるまでに、みかげはちかのメモを頼りに雄一に電話をしました。
電話をしながら、みかげは「今、ここを過ぎてしまえば、2人は永遠のフレンドになる」と確信します。
やがて、カツ丼ができあがりました。一口食べたみかげはそのおいしさに驚き、同時に「雄一がここにいたら」と思いました。みかげは衝動的にもう1つカツ丼を注文し、タクシーに乗って雄一のいる宿に向かいました。
深夜のデリバリー
宿の門扉(もんぴ)はぴったり閉ざされていましたが、みかげは屋根を伝って雄一がいると直感した部屋に向かいます。みかげは窓をノックし、雄一と再会しました。
雄一は驚きましたが、みかげから受け取ったカツ丼を食べて「どうして君とものを食うと、こんなにおいしいのかな」と言いました。みかげは、自分と雄一の間に今までのような明るい雰囲気が戻ってきたのを感じます。
そして、「雄一さえもしよければ、2人してもっと大変で、もっと明るいところへ行こう」と伝えました。
帰る場所
そして伊豆での仕事の最終日、雄一から電話がかかってきました。「どこからかけてるの?」みかげは問います。「東京」と雄一は答えました。
雄一は逃げることをやめて、東京に戻ったのです。みかげと雄一は、電話を通していつも通り言葉を交わしました。みかげは、東京に帰ります。
『満月』の解説
料理という行為
キッチンで行うのは料理です。キッチンが好きなみかげは料理の道へ進んだわけですが、ここではみかげが料理を好む理由を考えたいと思います。
創造
材料を加工して全く別のものに変身させるという意味で、料理には「創造」という特性があります。創造は、言い換えれば「産むこと」です。
両親を亡くし、祖父母を亡くし、面倒を見てもらったえり子をも亡くしており、彼女の周りには死の気配がただよっています。死に親しんでしまっているみかげは、料理を「産むこと」で生の気配を感じていたのではないでしょうか。
集中力が必要
また、料理には気がまぎれるという特性もあると思います。とにかく手を動かすので、目の前のことだけに集中できるからです。
印象的なのは、えり子の訃報(ふほう)を知って雄一の家を訪れたみかげが、2時間かけて夕食を作ったシーンです。
この場面のみかげは、「いつかは死を認めなくてはいけない。でも、信じたくないし触れたくない。しかし、えり子の死に触れないと突破口は見えないし、その悲しみからは抜け出せない…」というジレンマを抱えています。
「このやり場のないもやもやした気持ちを、いったんどこかに放っておきたい」という気持ちが、みかげに「時間をかけて夕食を作る」という行為をさせたのでした。
これがみかげが料理を好む理由で、さらにみかげがキッチンを愛する理由にもつながるのではないかと思います。
不思議な文章
吉本ばななの作品には、「だ・である体」に「です・ます体」が組み込まれているものがしばしば登場します。
悪く言えば、魔がさしたというのでしょう。(中略)私は信じることができた。
(『キッチン』)
まるで自分の性格まで直っちゃったみたいよ! と思った。うそでしたけどね。
(『満月』)
作家は小説の可能性を探るべく、小説の人称に手をくわえたり、小説を日記や手紙風に書いたり、話し言葉で書いたりとさまざまな実験をしています。これもその試みの一環なのだと思いました。
『キッチン』は、未来のみかげが過去を振り返って「だ・である体」で語ります。ところが突然「です・ます体」になるので、ふいにみかげに語りかけられているような気がしてはっとします。
そのことによって、読者は「みかげの過去をなぞっているだけの傍観者」ではなく、みかげから直接話を聞いているような感覚になり、みかげと一緒に彼女の過去を見ている気分になります。これが、この小説の面白いところだと思います。
また、使う言葉が独特だと感じました。「ソファを使っていいよ」と言った雄一に、みかげは「かたじけない」と言いました。うら若き女子大生が、屈強な武士のような言葉遣いをしているのです。
言葉と言葉を発した主のギャップが激しくて、ここを読んだとき思わず笑ってしまいました。『キッチン』は、見慣れなくて不思議な文章だからこそ、かえって病みつきになる吉本ばななの文章の魅力に気づけた作品です。
『満月』の感想
境界のない関係
『キッチン』と『満月』を読んで、「型にとらわれない人間関係が描かれている」と思いました。
たとえば、みかげと雄一は友人でも恋人でも家族でもありません。
しかし、どんな関係でもないということは、どんな関係にもなりうるということです。つまり、みかげと雄一は、友人でもあり、恋人でもあり、家族でもあるという言い方もできるのです。
それを「中途半端な関係だ」として壊そうとするのが奥野で、逆に進展させて恋人の枠に収めようとするのがちかです。
冷静に考えれば、みかげ・雄一・えり子の関係は実に奇妙です。みかげと雄一・えり子は赤の他人ですし、雄一にとってのえり子は、同居人であり、母であり、父でした。
にもかかわらず、雄一とえり子はみかげを変にお客様扱いするわけでなく、自然に迎え入れます。同時にえり子は、父のように強く、母のような優しさでみかげの心の中に入っていきました。
『満月』を読んで、人間関係にも色々なあり方があるのだと思いましたし、血のつながりだけが家族じゃないと再認識しました。
あの人にも食べさせたい
伊豆に出張中のみかげは、お腹を空かせて入ったご飯屋さんでカツ丼を食べ、雄一のことを思いました。この部分を読んで真っ先に思い出したのは、瀬尾まい子『卵の緒』の一文です。
「すごーくおいしいものを食べた時に、人間は2つのことが頭に浮かぶようにできているの。1つは、ああ、なんておいしいの。生きててよかった。もう1つは、ああ、なんておいしいの。あの人にも食べさせたい。で、ここで食べさせたいと思うあの人こそ、今自分が一番好きな人なのよ」
みかげは、雄一に対して意識的に特別な感情を抱かないようにしている節がありますが、奥野に軽い嫉妬心を抱くなど可愛らしいところがあります。
恋愛感情が含まれているかどうかは別として、みかげの「一番好きな人」は雄一なんだろうなと思いました。
最後に
今回は、吉本ばなな『満月』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。
月が満ちるように、心が少しずつ満たされていっぱいになる過程を追う小説です。ぜひ読んでみて下さい!