崖上からののぞきを下地にした小説『ある崖上の感情』。
今回は、梶井基次郎『ある崖上の感情』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!
Contents
『ある崖上の感情』の作品概要
著者 | 梶井基次郎(かじい もとじろう) |
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発表年 | 1928年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 短編小説 |
テーマ | 見る、見られる |
『ある崖上の感情』は、1928年7月に雑誌『文藝都市』で発表された梶井基次郎の短編小説です。1人の青年の一風変わった趣味の話を皮切りに、物語が展開していきます。
Kindle版は無料¥0で読むことができます。
著者:梶井基次郎について
- 1901年(明治34年)~1932年(昭和7年)
- 感覚的なものと、知的なものが融合した描写が特徴
- 孤独、寂寥(せきばく)、心のさまよいがテーマ
- 31歳の若さで肺結核で亡くなった
作家として活動していたのは7年ほどであるため、生前はあまり注目されませんでした。死後に評価が高まり、感性に満ちあふれた詩的な側面のある作品は、「真似できない独特のもの」として評価されています。
『ある崖上の感情』のあらすじ
山ノ手のカフェで、生島と石田という2人の青年が話をしています。生島は石田に、崖の上から窓をのぞく趣味があることを打ち明けます。そしてその行為について語り、石田を崖上に誘うのでした。
登場人物紹介
生島
崖下の家に住んでおり、ときおり崖上から他人の家の窓を眺める。山ノ手のカフェで知り合った石田を崖上へ誘う。
石田
山ノ手のカフェで生島と出会い、崖上に誘われる。
『ある崖上の感情』の内容
この先、梶井基次郎『ある崖上の感情』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。
一言で言うと
見る、見られる
趣味
ある夏の夜、山ノ手のとあるカフェで2人の青年が話をしています。生島という青年は、崖の上から他人の家の窓をのぞくことを趣味としていることを話しました。同時に、生島は自分の部屋の窓を開け、自分自身をさらすことに楽しみを感じると言います。
そしてその人の秘密を盗み見るという行為は、最終的に「人のベッドシーンが見たい」ということに落ち着くのではないかと言いました。
そして生島は、自分の話を聞いているもう1人の青年・石田を崖上に誘います。しかし石田はその誘いには乗りませんでした。
生島の欲望
家に帰った生島は、窓を開けて崖の方を見ました。そして窓の中にいる男女の幻覚を思い、恍惚とした陶酔を思い出します。生島は家主の未亡人と冷めた関係を持っていましたが、生島はそのことに関してある空想します。
それは、生島が未亡人と寝床を共にしているとき、部屋の窓を開け放ってしまうというものでした。そしてそれを崖上からながめられた際に、陶酔が起こってくるのではないか思いました。
そして生島は、自分は石田に崖上に立ってほしかったのだと悟りました。
もののあわれ
ある晩、石田は生島に教えられた崖上へ向かい、町を見下ろしました。石田は窓の中の光景を見ているうちに、生島が言ったように「人の秘密を見たい」と思うようになります。
しかし石田は、生島のように欲情を感じるのではなく、「もののあわれ」を感じるのではないかと思いました。
いろいろな感情
あるとき、石田は幾度目かの崖上に向かいます。石田はそこから産婦人科の病院の窓をながめていました。1つの窓の中では、数人が寝台を囲んでいます。そこから目をそらして再び産婦人科の窓をのぞくと、1人の男が周りの人々に頭を下げたのが見えました。
石田は、そこで人が死んだことを知ります。そして、石田は「もののあわれ」を超越した無常を感じるのでした。
『ある崖上の感情』の解説
生島の欲望
新城氏は、『ある崖上の感情』において「見る」という行為について詳しく書かれているのに対して、その見ている対象(ベッドシーン)が生島に見られていない、という点に着目しています。
実際、生島はベッドシーンについて石田に「しかしほんとうに見たということは一度もないんです」と語っています。
そこで新城氏は、語られているのはベッドシーンという対象ではなく、自分の欲望が他者の中で生き延びることだとしています。
つまり生島は、崖の上からベッドシーンを盗み見る石田の中に、自分自身を見出しているのです。その根拠となるのが、以下に引用する生島の語りです。
自分の持っている欲望を、云はば相手の身體にこすりつけて、自分と同じような人間を製造しようとしていたようなところが不知不識にあったらしい気がする。そして今自分の待っていたものは、そんな欲望に刺戟されて崖路へあがって来るあの男であり、自分の空想していたことは自分達の醜い現実の窓を開けて崖上の路へ曝すことだったのだ。
生島は、石田という青年の中に孕まれた自分を見出そうとしているのです。
新城 郁夫「「彼等もどうやらさうした二人らしいのであつた」:梶井基次郎『ある崖上の感情』を読む」(『昭和文学研究 77(0)』2018年)
『ある崖上の感情』の感想
窃視
同じ「盗み見」でも、生島と石田の目的が違うところが興味深かったです。生島は欲情という「動」の感情を求めていましたが、石田はもののあわれという「静」の感情を求めていました。
また、石田が窓を見ることについて「芝居をみているよう」と表現していたのが印象的でした。見方を変えれば、芝居や映画は盗み見になると思うからです。
芝居や映画は「そういうもの」という風に思っているため、それらを盗み見だとは普通思いません。しかし、役者と言えどもそこに人間の生活があるそうした娯楽を傍観する観客は、役者たちの様子を窃視していると言えないでしょうか。
観劇も角度を変えるとのぞきになるな、と『ある崖上の感情』を読んでいてふと思いました。
最後に
今回は、梶井基次郎『ある崖上の感情』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。
青空文庫にあるので、ぜひ読んでみて下さい!
↑Kindle版は無料¥0で読むことができます。