純文学の書評

【太宰治】『富嶽百景』のあらすじと内容解説・感想|感想文のヒント付き

『富嶽百景(ふがくひゃっけい)』は、太宰の自己破壊などの暗いイメージとは異なり、明るく前向きな雰囲気があるため人気のある作品です。

太宰が甲州へ向かったときのことが題材となっており、その土地の人との交流や富士山に関するエピソードがベースとなっています。

今回は、太宰治『富嶽百景』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!

『富嶽百景』の作品概要

著者太宰治(だざい おさむ)
発表年1939年
発表形態雑誌掲載
ジャンル短編小説
テーマ富士に見守られる日々

『富嶽百景』は、1939年に雑誌『文体』(2月号~3月号)で発表された太宰治の短編小説です。太宰が甲州で経験したことが元となっており、作家の「私」の芸術観や人との交流、結婚などが描かれています。Kindle版は無料¥0で読むことができます。

 

2006年には、『バトル・ロワイヤル』『木更津キャッツアイ』の塚本高史さん主演で映画化されています。

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太宰が滞在した天下茶屋は、昭和9年創業です。富士山と河口湖を一望でき、富士山の名所として知られています。2階に太宰治文学記念室が併設されており、太宰が滞在した部屋が復元されています。

天下茶屋 公式サイト

著者:太宰治について

  • 無頼(ぶらい)派の作家
  • 青森の大地主の家に生まれた
  • マルキシズムの運動に参加するも挫折
  • 自殺を3度失敗

太宰治は、坂口安吾(さかぐち あんご)、伊藤整(いとう せい)と同じ「無頼派」に属する作家です。前期・中期・後期で作風が異なり、特に中期の自由で明るい雰囲気は、前期・後期とは一線を画しています。

青森の地主の家に生まれましたが、農民から搾取した金で生活をすることに罪悪感を覚えます。そして、大学生の時にマルキシズムの運動に参加するも挫折し、最初の自殺を図りました。この自殺を入れて、太宰は人生で3回自殺を失敗しています。

そして、『グッド・バイ』を書きかけたまま、1948年に愛人と入水自殺をして亡くなりました。

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『富嶽百景』のあらすじ

作家の「私」は、甲州へ向かって井伏鱒二(いぶせますじ)が滞在する茶屋で過ごすことになりました。そこは、富士山が一望できる茶屋でした。

私は、富士山が見えるその土地で、見合いをしたり地元の人たちと触れ合ったりします。その過程で、私の富士山のとらえ方は徐々に変化していくのでした。

冒頭文紹介

『富嶽百景』は、以下の一文からはじまります。

富士の頂角、広重の富士は八十五度、文晁の富士も八十四度くらい、けれども、陸軍の実測図によって東西及南北に断面図を作ってみると、東西縦断は頂角、百二十四度となり、南北は百十七度である。

『富嶽百景』は、「富士山の傾斜はゆるやかなのに、絵に描かれる富士山は実際よりも尖っている」という指摘から始まります。

登場人物紹介

井伏鱒二をたずね、御坂峠(みさかとうげ)にある天下茶屋に向かう。

井伏鱒二(いぶせますじ)

天下茶屋で事をしている。「私」の見合いの世話をする。

甲府の娘さん

「私」と見合いをして結婚する。

新田(にった)

25歳の温厚な青年。吉田という町の郵便局で働いている。「私」をたずねて天下茶屋へやって来る。

天下茶店の娘さん

天下茶屋のおかみの娘。15歳。

『富嶽百景』の内容

この先、太宰治『富嶽百景』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。

一言で言うと

富士山に見守られた思い出

天下茶屋

昭和13年の初秋、「」は思いを新たにする覚悟で山梨県へ旅に出ました。そして、天下茶店で仕事をしているという井伏鱒二氏をたずねます。それから2~3日後、私は井伏氏と三ツ峠を登りました。

あいにく、富士山は霧で見えませんでした。しかし、パノラマ台にある茶屋の老婆は、富士山の大きい写真を見せてくれます。私は、「いい富士を見た」と笑いました。

甲府

それから数日後、井伏氏に連れられて甲府に向かった私は、ある娘さんとお見合いをします。私は部屋にかかった富士山の写真を見て、そのときに娘さんを一瞥(いちべつ)し、「彼女と結婚したい」と思いました。

その後、吉田で働く新田という青年が私をたずねてきました。彼は他にもさまざまな青年を連れてやって来ます。新田は、私を吉田に連れて行ったりしました。私と青年たちは、文学や女性について語り合いました。

月見草

あるとき、私は山を歩き回って月見草の種を集め、天下茶屋の裏口にまきました。私は、富士には月見草がよく似合うと思っているのです。

それから私は、河口村から郵便物を受け取り、バスに乗って茶屋へ帰っていました。そこで、ある老婆が「おや、月見草」と言います。私は、富士には月見草がよく似合うと再確認しました。

10月に入って、私の縁談は進みます。しかし、私の仕事は思うように進みません。

天下茶屋の娘さんは、「お客さん(私のこと)が書いた原稿を番号順にするのが楽しみなのに、仕事をしてくれないからそれができない」と言いました。私はそんな娘さんの純粋な応援をありがたく感じ、同時に彼女を美しいと思いました。

 

10月末になると、観光客は減って茶屋はさびれてしまいます。茶屋のおかみさんが買い物に出ることもあり、娘さんと私が茶屋に取り残されることもあります。

あるとき、私が外へ出てから茶屋に帰ると、娘さんは怖がって泣いていました。それ以来、私は娘さんが1人のときは茶屋から出なくなりました。茶屋に客が来たときは、私は2階からわざわざ降りて行ってゆっくりお茶を飲むのです。

富士山、さようなら

ある日、花嫁姿の客が車に乗って休憩しに来ました。彼女は余裕たっぷりな様子で富士をゆっくりと眺めます。すると、花嫁は大口を開けてあくびをしました。私と茶屋の娘さんは、花嫁の神経の図太さに驚きました。

 

寒さが身に染みるころ、私はついに山を降りることに決めました。山を下る前日、東京の華やかな娘2人に「写真を取ってほしい」と頼まれます。

カメラのレンズをのぞくと、真ん中に大きな富士山があり、その下にけしの花が2つあり、おそろいの赤いコートを着た娘がまじめな顔をして寄り添っていました。

私はおかしくなり、「富士山、さようなら、お世話になりました」と思いながら、娘たちを外して富士山だけをカメラに収めました。

『富嶽百景』の解説

位置関係


『富嶽百景』に登場する、富士山・天下茶屋・吉田・甲府の位置関係は、上の画像のようになります。「私」は、天下茶屋を起点に吉田や甲府へ移動しています。

登場人物を以下で整理します。

  • 天下茶屋:井伏鱒二・(茶屋の)おかみさん・茶店の娘さん
  • 吉田:新田・月見草の老婆
  • 甲府:見合い相手の娘さん・その母親

完璧をくずすユーモア

「私」は、既存の芸術観に違和感を覚えています。言い換えれば、完璧すぎる美におかしさを感じている節があるのです。

たとえば、「私」は天下茶屋から「まんなかに富士があって、その下に河口湖が白く寒々とひろがり、近景の山々がその両袖にひっそり蹲まって湖を抱きかかえるようにしている」景色を見て、「風呂屋のペンキ画だ」という感想を抱いています。

注文通りの、いかにもという感じの景色に、「私」は恥ずかしさを覚えたのです。

 

『富嶽百景』には、そんな完璧な美を壊す仕掛けがなされています。以下にその例を引用します。天下茶屋に花嫁が休憩しに来た場面です。

一生にいちどの晴の日に、――峠の向う側から、反対側の船津か、吉田のまちへ嫁入りするのであろうが、その途中、この峠の頂上で一休みして、富士を眺めるということは、はたで見ていても、くすぐったい程、ロマンチックで、(中略)余裕のあるひとだな、となおも花嫁を、富士と花嫁を、私は観賞していたのであるが、間もなく花嫁は、富士に向って、大きな欠伸をした。

嫁入り前の花嫁と、目の前に広がる富士山はとても絵になります。「私」はその様子を「ロマンチック」と感じながら見ていたわけですが、なんと花嫁はそこで大きなあくびをしたのです。

あくびのおかげで、そのロマンチックな風景や、それまで「私」が花嫁に対して抱いていた「謙虚」「初々しい」「厳粛」というイメージはガラガラとくずれました。ここであくびは、完成されたものを壊す装置として機能していると言えます。

 

また以下に引用するのは、「私」が天下茶屋を去る前日、娘2人の写真を撮る場面です。

まんなかに大きい富士、その下に小さい、罌粟の花ふたつ。ふたり揃いの赤い外套を着ているのである。ふたりは、ひしと抱き合うように寄り添い、屹っとまじめな顔になった。私は、おかしくてならない。(中略)どうにも狙いがつけにくく、私は、ふたりの姿をレンズから追放して、ただ富士山だけを、レンズ一ぱいにキャッチして、富士山、さようなら、お世話になりました。パチリ。(中略)
うちへ帰って現像してみた時には驚くだろう。富士山だけが大きく写っていて、ふたりの姿はどこにも見えない。

大きな富士山をバックに、おそろいの赤いコートを着た娘2人がキメ顔で寄り添い、端には小さいけしの実が2つ配置されている――。「私」がカメラをのぞいて見たのは、そんな完璧な画でした。

その準備された美におかしさをこらえきれなくなった「私」は、あえて人物を画面から外すといういたずらを仕掛けたのです。これも、完璧を打ち砕く行為と言えます。

 

「完璧をくずす」という観点からは少しずれますが、三ツ峠の頂上での「井伏氏は、濃い霧の底、岩に腰をおろし、ゆっくり煙草を吸いながら、放屁なされた」という描写も、くすっと笑いを誘うユーモアあふれる文章です。

この肩の力が抜ける感じ、予想できない笑いが、太宰作品の魅力だと思います。

荒川 有史「『富嶽百景』の読みの前提(〈第26回文教研全国集会特集〉文学史を教師の手に 井伏鱒二と太宰治―戦中から戦後へ)」(『文学と教育』1977年(101))

『富嶽百景』の感想

板ばさみの「私」

『富嶽百景』は、太宰が井伏鱒二が滞在していた天下茶屋で過ごしたときの体験をもとに執筆された作品です。「私」が結婚することとなった「甲府の娘さん」とは、実際に太宰と結婚した甲府市出身の石原美知子のことです。

そして『富嶽百景』は、口述筆記された作品です。太宰が話したことを妻の美知子夫人が書きとって完成したのが、『富嶽百景』なのです。

この背景を知っておくと、『富嶽百景』をより深く理解できるのではないかと思います。

 

驚いたのは、「私」と天下茶屋の娘の交流が細かく描かれている点です。そして特に天下茶屋の娘は、「私」のことを気にするそぶりを見せています。以下に該当する所を引用します。

吉田に一泊して、あくる日、御坂へ帰って来たら、茶店のおかみさんは、にやにや笑って、十五の娘さんは、つんとしていた。私は、不潔なことをして来たのではないということを、それとなく知らせたく、きのう一日の行動を、聞かれもしないのに、ひとりでこまかに言いたてた。泊った宿屋の名前、吉田のお酒の味、月夜富士、財布を落したこと、みんな言った。娘さんも、機嫌が直った。

「私」が新田に連れられて吉田に泊ってから帰ると、なぜか天下茶屋の娘は不機嫌でした。

どうやら、「私」が不潔なことをして来た(女性と会ってきた)と思っているようです。「私」はその誤解を解くために、昨日のことを詳細に話して聞かせるのでした。

 

「私」が女性と会ってきたと思い、それに対して腹を立てている時点で、天下茶屋の娘は「私」に気があると推測できます。

また、同時に「私」は彼女の誤解を解くためにわざわざ弁解しました。普通なら、「なにか勘違いしているようだ」と思うだけでスルーするはずです。しかし、「私」は天下茶屋の娘を安心させるために昨日のことを事細かに話しました。

その時点で、「私」もあるていどは天下茶屋の娘のことを気にしていることが分かります。

 

また、「私」は天下茶屋の娘を守るそぶりを見せています。

私が二階で退屈して、外をぶらぶら歩きまわり、茶店の背戸で、お洗濯している娘さんの傍へ近寄り、
「退屈だね。」
と大声で言って、ふと笑いかけたら、娘さんはうつむき、私はその顔を覗いてみて、はつと思った。泣きべそかいていのだ。あきらかに恐怖の情である。(中略)
それからは、気をつけた。娘さんひとりきりのときには、なるべく二階の室から出ないようにつとめた。茶店にお客でも来たときには、私がその娘さんを守る意味もあり、のしのし二階から降りていって、茶店の一隅に腰をおろしゆっくりお茶を飲むのである

天下茶屋の娘が1人で店番をしている間、変な客が来たのか何なのかは分かりませんが、とにかく娘が泣いてしまうような出来事がありました。

そこで、「私」は娘が怖い思いをしないように振舞うようになります。具体的には、茶店に客が来たときは自分の部屋から出てきて、「男の客がいる」ということを知らしめるようにしたのです。

このような配慮をするのは、「私」が天下茶屋の娘に対してある種の特別な感情を抱いているからだと言えないでしょうか。

 

ここまでで、天下茶屋の娘が「私」に好意を抱いていること・「私」が天下茶屋の娘を気にしていることを確認しました。

しかし、「私」は甲府の娘と婚約をしている身です。天下茶屋の娘と関係を持つことは絶対に避けなければなりません。しかし、「私」と天下茶屋の娘は2人きりで茶屋に残されることがしばしばあります。

つまり、「私」と天下茶屋の娘は「越えようと思えば越えられるが、決して越えてはいけない絶妙に緊張している関係」と言えます。

 

面白いのは、これを甲府の娘のモデルである美知子夫人に聞かせていることです。『富嶽百景』は口述で書かれた作品なので、太宰が話し、美知子夫人が書きとるという形で成立しました。

『富嶽百景』を読んで、「美知子夫人は、これを聞いてどう感じたのか」と思いました。また、これを夫人に話して聞かせる太宰もすごいと思いました。

『富嶽百景』の感想文のヒント

  • 「私」が富士山を見たときの感覚の変化を追う
  • 「私」と天下茶屋の娘さんの間にある感情について考える
  • 自身と富士山のエピソードに触れる

作品を読んだうえで、5W1Hを基本に自分のなりに問いを立て、それに対して自身の考えを述べるというのが、1番字数を稼げるやり方ではないかと思います。感想文のヒントは、上に挙げた通りです。

ネットから拾った感想文は、多少変えたとしてもバレるので、拙くても自力で書いたものを提出するのが良いと思います。

『富嶽百景』の朗読音声

『富嶽百景』の朗読音声は、YouTubeで聴くことができます。

最後に

今回は、太宰治『富嶽百景』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。

青空文庫にあるので、ぜひ読んでみて下さい!

↑Kindle版は無料¥0で読むことができます。

ABOUT ME
yuka
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「純文学を身近なものに」がモットーの社会人1年生。谷崎潤一郎と出会ってから食への興味が倍増し、江戸川乱歩と出会ってから推理小説嫌いを克服。将来の夢は本棚に住むこと!
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