『桜の樹の下には』は、桜やかげろうの美しさの中に、死や醜いものを見出した作品です。「桜の樹の下には死体が埋まっている!」という冒頭文が非常に有名で、新たな桜観を提示しました。
今回は、梶井基次郎『桜の樹の下には』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!
Contents
『桜の樹の下には』の作品概要
著者 | 梶井基次郎(かじい もとじろう) |
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発表年 | 1928年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 短編小説 |
テーマ | 生死 |
『桜の樹の下には』は、1928年に文芸雑誌『詩と詩論』(第二冊)で発表された梶井基次郎の短編小説です。桜や生命と、死を結びつける斬新な内容となっています。
話者の「俺」が聞き手に語りかける形式で展開しています。「桜の樹の下には屍体が埋まつている!」という冒頭文が有名です。
Kindle版は無料¥0で読むことができます。
著者:梶井基次郎について
- 1901年(明治34年)~1932年(昭和7年)
- 感覚的なものと、知的なものが融合した描写が特徴
- 孤独、寂寥(せきばく)、心のさまよいがテーマ
- 31歳の若さで肺結核で亡くなった
作家として活動していたのは7年ほどであるため、生前はあまり注目されませんでした。死後に評価が高まり、感性に満ちあふれた詩的な側面のある作品は、「真似できない独特のもの」として評価されています。
『桜の樹の下には』のあらすじ
「俺」は、満開の桜の下には死体が埋まっていることに気が付きます。そして、桜がその死体から養分を吸い取っているところを想像しました。
後日、「俺」は生まれたばかりの元気なかげろうを見ました。そのそばには、出産を終えた親かげろうが死んでいました。
登場人物紹介
俺
主人公。桜やかげろうを見て感じたことを、聞き手の「お前」に話す。
『桜の樹の下には』の内容
この先、梶井基次郎『桜の樹の下には』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。
一言で言うと
美しいのには理由がある
桜と死体
主人公の「俺」は、桜が見事に咲くことを信じられず、不安という感情に支配されていました。そして、桜の樹の下には死体が埋まっていることに気が付きます。
さらに俺は、桜の下に埋まっている死体は腐ってウジが湧いているのを想像します。そして、その死体からは水晶のような液が垂れていて、桜はその液を吸い上げていると考えました。
かげろうの生と死
俺は2~3日前、羽の薄いかげろうを見ました。水辺では、生まれたばかりのかげろうの子供が元気に飛び回っています。そのとき、俺はおかしなものを見ました。
小さな水たまりの中で、何万羽ものかげろうが死んでいたのです。そこは、産卵を終えた親かげろうの墓場なのでした。そのとき俺は、墓場をあばく変質者のような喜びを感じました。
『桜の樹の下には』の解説
「俺」の不安の理由は?
主人公の俺が、不安を感じた理由について考えたいと思います。俺は、桜の「不思議な、生き生きとした美しさ」を信じることができず、不安を感じていました。
読み進めると、美しい桜が醜い死体から養分を吸っているという想像にたどり着きます。その理由が分かった結果、俺は不安から解き放たれました。
つまり、「なんの代償も払ってないのに、そんなに美しいのはおかしい。絶対それには理由があるはずだ。でも、それが分からない。だから不安なんだ」ということです。分からないからこそ、俺は不安を感じたのでした。
国立大大学院出身・体育会系・帰国子女・年収2000万・身長185㎝・彼女はCAみたいなハイスペックな人を、「絶対なんかある!」と疑いたくなる感覚に近いのではないかと思います。例えば、「整形してる」とか「親のコネだ」とか。
光が強ければ、影もまた濃いと言いますが、あまりにも完璧すぎるので、かえってその影の部分が気になってしまうのです。俺は、桜が美しいのには理由があると疑い、分からない不安におそわれ、それが明らかになったときに不安から解放されたのでした。
吉川 将弘「「桜の樹の下には」論--物語体小説という試み」(近代文学試論 1995年12月)
『桜の樹の下には』の感想
知覚過敏
俺は毛根の吸いあげる水晶のような液が、静かな行列を作って、維管束のなかを夢のようにあがってゆくのが見えるようだ。――おまえは何をそう苦しそうな顔をしているのだ。美しい透視術じゃないか。
これは、主人公の「俺」が体の液体を吸い上げる様子を想像している場面です。私はこのシーンを読んで、ふと泉鏡花(いずみ きょうか)のことを思い出しました。
泉鏡花は、病的な潔癖症です。私は、潔癖症の人には普通気にならない菌が見えるというイメージがあります。それは言い換えると、「潔癖症の人は、普通の人が見れない世界を見ることができる」ということです。
それが影響しているのかは分かりませんが、泉鏡花は幻想小説と呼ばれる、お化けが出てくるような小説を書いたことで有名です。私は、実際には見えないお化けを描くことと、泉鏡花が重度の潔癖症であることは、関係しているのではないかと思っています。
実は、梶井は五感が非常に鋭く、香りや足音などには敏感だったと言われています。そのため、そのような常人とは違う敏感さを持っている梶井には、潔癖症の人と同じ原理で見えないものを見ていたのでは?と思いました。
そうすると、「透視術」という言葉を使った意味が理解できると思います。
『桜の樹の下には』は、桜の美しさを切り口とし、その新しい捉え方を示した作品です。同じく桜をテーマにし、桜を恐れる対象として描いたのが、坂口安吾の『桜の森の満開の下』という作品です。
『桜の樹の下には』よりも幻想性が強くて、非現実的な雰囲気が魅力的な小説です!
最後に
今回は、梶井基次郎『桜の樹の下には』のあらすじと内容解説、感想をご紹介しました。
小説というよりは、詩に近いような作品だと感じます。ぜひ読んでみて下さい!
↑Kindle版は無料¥0で読むことができます。