そう鬱状態の主人公によって語られる『ピアス』。
今回は、金原ひとみ『ピアス』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!
Contents
『ピアス』の作品概要
著者 | 金原ひとみ(かねはら ひとみ) |
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発表年 | 2009年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 短編小説 |
テーマ | 無意識 |
『ピアス』は、2009年に文芸雑誌『文學界』(1月号)で発表された金原ひとみの短編小説です。主人公が流されるままにピアッシングスタジオにたどり着き、全く想定していなかったピアッシングを行う様子が描かれています。
著者:金原ひとみについて
- 1983年東京都生まれ
- 『蛇にピアス』でデビュー
- 代表作は『トリップ・トラップ』
- 父親は翻訳家の金原瑞人(かねはら みずひと)
金原ひとみは、1983年に生まれた東京都出身の小説家です。『蛇にピアス』で第130回芥川賞を受賞し、デビューしました。
『蛇にピアス』と並ぶ代表作は、主人公が旅を通して成長する様子が描かれる『トリップ・トラップ』です。父親は、翻訳家・児童文学研究家・法政大学社会学部教授の金原瑞人氏です。
『ピアス』のあらすじ
登場人物紹介
神田憂
主人公。周りの人間が自分を排除し、自分を傷つけようとしていると思い込んでいる。
カイズ
ピアッシングスタジオで働いている。ひげを生やし、毛深くオランウータンに似た見た目をしている。
宇津井
ピアッシングスタジオで施術者として勤務している。ピアスは開いていない。
『ピアス』の内容
この先、金原ひとみ『ピアス』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。
一言で言うと
一貫性のない人間らしい行動を描く
敵だらけ
神田憂は、何者かの陰謀によって自分だけが損をして、自分だけが貶められ、自分だけが不当に不利な状況に追い込まれている被害妄想に取り憑かれています。
精神科の予約の時間まで時間を潰さなければならない憂は、カフェで図らずもマロンアンドパンプキンバニラクリームラテスモールサイズを注文していました。
しかしカップの蓋を開けてバニラクリームが載っていないことに気づいた憂は「バニラクリームが載ってないんですが」と店員に伝えます。
するとひょろっとした体格に短い髪の毛が好感を与えるがどことなく小癪な目つきをしているバイト一年目かと思われる男が「申し訳ありませんでした。お詫びに、大盛りにしました」と言いました。
憂は、その言葉にバニラクリームは多ければ多いほどいいよね、あなたはそういう女でしょう?という意図を読み取り、それは偏見だし勘違いだと思うのでした。
想定外の行動
カフェから40秒ほどのところにあるビルの中にある精神科に向かっていた憂は、その隣のビルの非常階段に目を留めます。
すると、さきほどカフェでクリームを盛っていた男が4階の非常扉を開けて姿を消しました。郵便ポストを確認すると「4F IL」と書いてあり、その正体の分からなさに、憂は気がつくとエレベーターに乗り込んでいました。
憂が「IL」と書かれたガラス戸を開けて店の中に入ると、おやじがカウンターから顔を出して「いらっしゃい」と言いました。カウンターを見た憂は、この店がピアッシングスタジオであることを知ります。
「どこ開けるか決まってますか?」と問うおやじに、憂このままではピアッシングをしなければいけなくなってしまう思いつつ、「耳です」「じゃあこの、インダストリアルで」と答えました。
憂がおやじの若者ぶった舌ったらずな話し方を注意しようとした時、彼の胸元のネームプレートに「カイズ」と名前らしきものが書いてあることに気づきます。
もしかしたらこのおやじは日系外国人なのかもしれないと思った憂は、学級委員長のように彼の言葉遣いを指摘しようとしたことを反省しました。
しかし、「カイズ」というネームプレートをつけることで、自分が若者言葉を使うことを正当化しているのではないか、こいつはそういう狡猾な男なのではないかと思い直します。
その後おやじから軟骨ピアスの手入れ方法を教えられた憂は、その説明の上手さと豊富な知識と饒舌さに感動するのでした。
浮き沈みする感情
ついに憂の施術の番になり、カーテンで仕切られた施術スペースに行くとそこには先ほどのカフェの店員がいました。
彼は、「お詫びに、大盛りにしました」などと言っていた男とは思えないほどこなれていました。彼のネームプレートには「宇津井」とありました。
そして宇津井は手際よくマーキングと消毒を終え、鏡を憂の前からどけて素早くニードルを貫通させました。
完成したピアスを見た憂は、「素敵なピアスをつけてくれた」と高揚した気分になりますが、舞い上がっている鏡の中の自分を見て急に冷めてしまいます。
ピアスをしたら何か変わるかもしれないと思った憂でしたが、結局そんなことはなく、憂は宇津井とカイズにお礼を言って店を出ました。
帰り道、先ほどのカフェを通り過ぎるとき、窓ガラス越しに宇津井の姿を認めました。彼は真剣な顔でクリームを絞り出していました。
『ピアス』の解説
人間不信
憂は鬱な状態ですがよくしゃべる人物として描かれています。
宇津井にピアッシングしてもらう直前に、憂は「沈黙が気まずくて、私は何か話さなければ戦わなくてはと思う」と語っており、話すことと戦うことが並列されているため、憂が会話=対戦と認識しており、憂は戦うために話していることが分かります。
例えばカフェで注文したラテにクリームが載っていないことを鼻息荒く指摘したり、「(クリームを)すぐに盛ります」と言ったカフェ店員に「盛るだあ?」と突っかかりそうになった場面がありました。
また、憂はカイズの舌ったらずな話し方を注意しようとし、他者と挑戦的な姿勢で接します。
憂のこの態度は、誰かに貶められているという妄想から来る人間不信が原因ではないでしょうか。憂はカイズが歳に合わず若者ぶった話し方をすることを、一度は日系外国人だから仕方ないと思いました。
しかし最終的に、カイズは外国人のような名前によってこの舌たらず話し方を周囲の人間に認めさせようとしている狡猾な人間であるという結論に至っているところにも、憂の人間不信が表れています。
さらに憂は、宇津井がピアッシングの前に消毒するのを見て「その消毒液は、あるいは塩酸だったりするのだろうか」と状況を悪いように考え、人の悪意に非常に敏感ですが、自分だけが貶められているという思い込みがこうした思考を誘発していると考えます。
『ピアス』の感想
意識の移り変わりを描き出す
『ピアス』を読んでいて、思考の往来が激しい小説だと思いました。憂の意識がめまぐるしく変化する様子が、取りこぼされずに丁寧に描かれています。
クリームを盛り忘れたカフェ店員について、憂は彼と彼の雇い主の関係を勝手に物語にして想像を膨らませたり、例えば以下の文章ではピアッシングスタジオに入っていく様子をアスレチックの土管に例え、そして土管とは何だったのかというところにまで思考を広げています。
子どもの頃、アスレチックで長い土管に入った時、中へ中へと進んでいくと共に閉塞感に動悸が激しくなり、進むも怖いし引き返すも怖い、(中略)同時に最近土管を見かけないなと思う。そして今思えば、土管とは一体何だったのだろう。
以下の文章でも、つかみきれない宇津井という男に攪乱される自分というところから、過去に自身が悩まされたイメージへ自然と思考が移っています。
この男(筆者注:宇津井)はボスキャラかもしれない、ラスボスではないにせよ、いずれにせよ、ボスキャラレベルに違いない。カフェの時といい、今のこの態度といい、私は全く歯が立たず、立たないなら立たないだけ混乱していく。すっきりした目つきぼその男に攪乱されていく自分は、ミキサーやフードプロセッサーなどでミンチにされていく自分を思わせる。そう言えば一時期、みじん切りのアタッチメントをつけたハンドミキサーがM字開脚をした私の性器に近づいてきて、どきどきしていると突然ものすごい勢いで性器がミンチになっていって、そのとんでもない痛みに白目を剝いて痙攣している自分、というイメージが頭から離れず悩んていた事があったけれど、もう大分長い事なくなっていたなと思い出す。
そして以下のラストの一文には、これまでに一切登場しなかった人差し指の血豆の話題が挿入されています。
帰り道、さっきのカフェを通り過ぎる時、窓ガラス越しに宇津井さんを見つけた。(中略)私の頭上に、宇津井さんがバニラクリームをウンコ型に絞り出していくイメージが頭から離れなくなった頃、ふとバッグを下げている方の手を少し開くと、人さし指の血豆が少し小さくなっている事に気が付いた。
このように、それまでの文脈に全く関係ない話題が急に登場したり、1つの話題をきっかけに枝分かれして芋づる式に話が派生していく様子が描かれています。
文章にすると違和感がありますが、こうしたことは人間が無意識のうちにごく自然に行っていることだと思います。
同じように意識の流れをそのままに描いた作品に、町屋良平『1R1分34秒』というものがあります。
『1R1分34秒』は、2018年に文芸雑誌『新潮』(1月号)で発表された町屋良平の中編小説で、スランプにおちいったプロボクサーが、モチベーションを取り戻して再スタートする様子が描かれています。
主人公の語りは憂の語りのように整頓されておらず、話題がめまぐるしく変化します。こうした文体に、私はより生身の人間に近い性質を感じました。
意識の移り変わりを丁寧に描く『ピアス』は、浮かんでは消えるとりとめのない名もなき思考に焦点を当てた作品だと思いました。
最後に
今回は、金原ひとみ『ピアス』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。
ぜひ読んでみて下さい!