アウトローな若手画家が、社会に迎合しつまらない「ただのお人」に成り下がるまでが描かれる『きりぎりす』。
今回は、太宰治『きりぎりす』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!
Contents
『きりぎりす』の作品概要
著者 | 太宰治(だざい おさむ) |
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発表年 | 1940年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 短編小説 |
テーマ | 反俗精神 |
『きりぎりす』は、1940年に文芸雑誌『新潮』(11月号)で発表された太宰治の短編小説です。両親の反対を押し切って貧乏画家と結婚した主人公が、社会的成功を収めて徐々に金や地位に執着するようになる夫を冷めた目で語った作品です。
Kindle版は無料¥0で読むことができます。
著者:太宰治について
- 無頼(ぶらい)派の作家
- 青森の大地主の家に生まれた
- マルキシズムの運動に参加するも挫折
- 自殺を3度失敗
太宰治は、坂口安吾(さかぐち あんご)、伊藤整(いとう せい)と同じ「無頼派」に属する作家です。前期・中期・後期で作風が異なり、特に中期の自由で明るい雰囲気は、前期・後期とは一線を画しています。
青森の地主の家に生まれましたが、農民から搾取した金で生活をすることに罪悪感を覚えます。そして、大学生の時にマルキシズムの運動に参加するも挫折し、最初の自殺を図りました。この自殺を入れて、太宰は人生で3回自殺を失敗しています。
そして、『グッド・バイ』を書きかけたまま、1948年に愛人と入水自殺をして亡くなりました。
『きりぎりす』のあらすじ
登場人物紹介
私
24歳の主人公。19歳のときに見合いをした画家と結婚した。仕事が軌道に乗るにつれて変わっていく夫との生活を語る。
あなた
主人公の夫。口下手で乱暴な画家だったが、次第に世間に認められると金や地位に固執するようになる。
但馬(たじま)
わたしの夫の技量を見込んで画を売る骨董屋。
岡井先生
夫を熱心に支持している有名な大家。
『きりぎりす』の内容
この先、太宰治『きりぎりす』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。
一言で言うと
金と地位は人を狂わす
馴れ初め
19歳の春、わたしは父の会社に画を売りに来た骨董屋の但馬から見合いの話を持ち掛けられました。但馬は「この画の作者は、いまにきっと、ものになります」と言い、乱暴ととらえられる見合いの申し込みをしました。
そのため父と母はあきれていましたが、わたしはふとその画家に会ってみたい気持ちになります。そして父の会社に飾られた画を見たとき、「この画は、私でなければ、わからない」「あなたのところへ、お嫁に行かなければ」と思いぶるぶると震えました。
その画家の家族からの評判は悪く、彼が身内から愛想を尽かされていることやお酒を飲むこと、展覧会に画を出していないこと、左翼らしいということを父や母から聞かされて叱られました。
しかしわたしの意志は変わらず、家族から反対を押し切ってほとんど身一つでその画家の元に嫁いだのです。
幸せな結婚生活
夫と結婚後に淀橋(よどばし)のアパートで暮らした2年間は、わたしにとってこれ以上にないほど楽しい日々でした。夫は大家の名前にも展覧会にも無関心で好き勝手な画を描いていたため貧乏でした。
しかし、わたしは貧乏であればあるほど自分のありったけの力を試すことができたため、その生活を楽しんでいます。
金が底を尽きたときに但馬がやって来て2~3枚の画と交換にお金を置いて行きましたが、金に無関心な夫は但馬に画を持っていかれることを淋しがっている様子です。
そして但馬は毎回お金の入った封筒をわたしに渡しましたが、夫はその中身を調べるようなことはしませんでした。
夫の変化
淀川に来てから2年目の秋、但馬が個展の相談を持って来たときから、夫は身なりに気を使い始めました。展覧会に出品した画は売り切れ、新聞ではひどく褒められ、有名な大家から手紙が来るようになります。
夫は毎夜但馬とともにさまざまな大家の元へ挨拶に行き、朝帰りをした後ろめたさを隠すように饒舌(じょうぜつ)になり、世間体を気にして三鷹町の大きな家に引っ越しました。
そして、夫は他人の受け売りの画の論をさも自分の意見かのように話したり、金に執着するようになったため、私は辟易します。
極めつけは新浪漫派という団体の設立です。普段悪口を言って馬鹿にしていた人たちを寄せ集めて団体を作った夫に、わたしは「世間の成功者とは、みんな、あなたのような事をして暮らしているものなのでしょうか。よくそれで、躓かずに生きて行けるものだ」不思議に思うのでした。
別れの決意
今年の正月、わたしは夫に連れられて大家の岡井先生に訪問します。岡井先生を見たとき、わたしは初めて夫の画を見たときのように震えました。孤高な眼を持つ岡井先生は、単純なことをこだわりなく話すのでした。
先生の家を出てすぐ、夫は「ちえっ!女には甘くていやがら」と陰口を言います。わたしはそのとき、夫との別れを決意しました。
そして先日茶の間で夕刊を読んでいたとき、ラジオから夫の声が流れてきました。夫が「私の、こんにち在るは」とつまらないことを言ったため、私はラジオのスイッチを切りました。
その夜、わたしは床で縁の下で鳴くこおろぎの声を聞きます。自分の背骨の中で小さなきりぎりすが鳴いているような気がし、わたしはこの小さくかすかな声を、一生忘れずに背骨にしまって生きていこうと思いました。
『きりぎりす』の解説
こおろぎからきりぎりすへの転換
山田氏(参考)は、『きりぎりす』の主要な論考がすべて夫を基軸に夫から見た妻がどうであるかを示したものであることを指摘し、夫の視点を通さない読みを検討しています。
縁の下で鳴くこおろぎの描写については、夫への未練を抱えた妻が、自分の存在を夫に気づかせようと訴えかける様子とこおろぎを重ねているとしています。
妻はそのこおろぎを「小さいきりぎりす」ととらえていますが、山田氏はこおろぎの古い呼び名がきりぎりすであることに着眼し、こおろぎからきりぎりすへの転換について「夫への未練を抱えた自分を過去のものとして捨て去ることを示した」と述べています。
妻は、夫は金と地位に狂ってしまっただけだと思っていましたが、大家の岡井先生と夫の比較によりそれが幻想であることに気づきます。
そして人を見る目を養って成長した妻は夫との別れを決意し、夫に未練のある自分を背骨にしまうことでさらなる成長を望んだのでした。
なぜきりぎりすを背骨にしまったかという点については、背骨は体の中心を担う骨格であり、夫に未練のある過去の自分をそこにしまうことが妻にとっていかに重要な決意であったかを表していると、山田氏は述べています。
山田佳奈「太宰治「きりぎりす」の一考察 ―「背骨にしま」われた〈かつての自分〉―」(「 武庫川国文 79巻」2015年11月)
『きりぎりす』の感想
反俗精神
当初ならず者だった夫が、認められるにつれて世間に迎合していく様子が描かれていました。主人公は夫が成功を収めるを最初は喜ばしく思っていましたが、夫が金と地位に狂っていくと痛烈に批判し始めます。
あなたは、お客様の前で、とてもつまらない事を、おっしゃって居られます。(中略)私が小説を読んで感じた事をあなたに、ちょっと申し上げると、あなたはその翌日、すましてお客様に、モオパスサンだって、やはり信仰には、おびえていたんだね、なんて私の愚論をそのままお聞かせしているものですから、私はお茶を持って応接間にはいりかけて、あまり恥ずかしくて立ちすくんでしまう事もありました。
世の中の成功者とは、みんな、あなたのような事をして暮しているものなのでしょうか。よくそれで、躓かずに生きて行けるものだと、私は、そら恐しくも、不思議にも思います。
先日あなたは、新浪漫派の時局的意義とやらに就いて、ラジオ放送をなさいました。(中略)なんという不潔に濁った声でしょう。いやな、お人だと思いました。はっきり、あなたという男を、遠くから批判出来ました。あなたは、ただのお人です。これからも、ずんずん、うまく、出世をなさるでしょう。くだらない。「私の、こんにち在るは」というお言葉を聞いて、私は、スイッチを切りました。一体、何になったお積りなのでしょう。恥じて下さい。
金銭や名誉に価値を見出し、それを求める俗っぽさへの批判です。一方で、主人公は下記のように貧しさを肯定的にとらえています。
いいお仕事をなさって、そうして、誰にも知られず、貧乏で、つつましく暮して行く事ほど、楽しいものはありません。私は、お金も何も欲しくありません。心の中で、遠い大きいプライドを持って、こっそり生きていたいと思います。
夫があまりにも社会的成功を収めているため、それを受け入れられない自身を疑い始めた矢先、岡井先生と夫の比較を通してやはり自身の感覚が正しいことに気づきました。世渡り上手の裏側が描かれた作品だと思いました。
『きりぎりす』の朗読音声
『きりぎりす』の朗読音声はYouTubeで聴くことができます。
『きりぎりす』の論文
『きりぎりす』の研究論文は、以下のリンクから確認できます。表示されている論文の情報を開いた後、「機関リポジトリ」「DOI」「J-STAGE」と書かれているボタンをクリックすると論文にアクセスできます。
最後に
今回は、『きりぎりす』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。
青空文庫にもあるのでぜひ読んでみて下さい!