芸人としてだけでなく、文化人としても活躍する又吉直樹さんの『劇場』。本作は、実は芥川賞を受賞した前作『火花』よりも先に書き始められたそうです。
今回は、又吉直樹『劇場』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!
Contents
『劇場』の作品概要
著者 | 又吉直樹(またよし なおき) |
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発表年 | 2017年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 長編小説 |
テーマ | 表現者の苦悩 |
『劇場』は、2017年に文芸雑誌『新潮』(4月号)で発表された又吉直樹の長編小説です。夢を追う若い劇作家が、東京で挫折していく様子が描かれています。単行本の発行部数は約33万部、単価は1,430円であるため、売上は単純計算で約5億円と予想できます。
登場人物に特定のモデルはおらず、又吉さんは周りにいる色々な人のことを思いながら、人物造形をしたそうです。
『劇場』は、新潮社から出版されています。ハードカバーと同じ装丁なのが嬉しい文庫版です。山崎賢人さんと松岡茉優さんが主演を務める映画は、2020年4月に公開予定でしたが延期となりました。公開時期は未定です。
著者:又吉直樹について
- お笑いタレント、小説家
- 第153回芥川賞を受賞した作家
- 太宰治に影響を受けた
- 小説家・西加奈子と交流がある
又吉直樹は、よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属のお笑いタレント兼小説家です。2015年に『火花』で芥川賞を受賞しました。
中学生のころに太宰治『人間失格』を読んで、衝撃を受けたそうです。著名な作家との交流があり、特に小説家の西加奈子とは何度も対談を行っています。
『劇場』のあらすじ
主人公の駆け出し劇作家・永田は、あるとき女子大生の沙希と出会います。おかしな言動をする永田に不信感を抱きながらも、沙希は永田を受け入れました。
「演劇で成功するために東京に出てきた」という共通点を軸に、2人は付き合うようになりました。しかし、その関係には次第に影が差し始めます。
登場人物紹介
永田(ながた)
主人公。売れない劇団「おろか」の脚本家で、沙希と出会ってから彼女に依存するようになる。
沙希(さき)
永田の恋人。生粋のお人よしで、永田に尽くす。
野原(のはら)
永田の中学時代からの友人。永田と一緒に「おろか」という劇団を立ち上げた。穏やかな性格。
『劇場』の内容
この先、又吉直樹『劇場』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。
一言で言うと
ダメンズと貢ぐ女
不審者
8月の午後。主人公の永田は、当てもなく雑踏の中を歩いていました。ふらふらと新宿から原宿まで歩き、永田はふとある画廊の絵に釘付けになります。隣には、同じようにガラス越しに画廊を見つめる若い女性がいました。
突然、永田は「この人なら自分を理解してくれるかもしれない」と思いました。その時、女性は永田に背を向けて歩き出しましたが、永田は迷わず追いかけます。
「すいません」女性が答えます。「あした、遊べる?」「知らない人なので」「冷たいものでも、飲んだ方が良いと思いまして、でも、おごれないので、あきらめます」
「お金を貸して欲しいってことですか?」かみ合わない会話の後、この女性は永田をカフェに連れて行くのでした。
劇団の危機
女性は沙希という名前で、青森から女優を目指して上京し、現在は東京の服飾の大学に通っているのだと言います。芝居の脚本を書いている永田は、そんな沙希に興味を持ちました。
永田は高校卒業後、中学時代に演劇を通して仲良くなった野原と「おろか」という劇団を立ち上げていました。しかし、業績は全く振るっていません。
「おろか」は永田・野原・他3人の劇団員を含めた5人で活動していました。ところが、永田と3人の劇団員の意見がすれ違い、大げんかの末、劇団員は3人とも「おろか」を辞めてしまいました。
その後、永田は下北沢の劇場で演劇をするチャンスを手に入れます。ところが、劇団員が皆辞めてしまったので、早急に役者を手配しなければなりませんでした。そこで、永田は女優を目指す沙希に声をかけてみることにしました。
沙希との暮らし
沙希は永田から話を聞くと快諾しました。そして「その日」というタイトルの舞台本番では、沙希は客を飽きさせない名演技を見せます。ところが、劇団は赤字続きだったため、永田は家賃を払えなくなって沙希のアパートに転がり込みました。
お金がないので、服飾を学ぶ沙希が衣装を作ることもしばしばです。永田は一方で小道具を作ります。その頃に作ったのは、奇妙な猿のお面でした。それを見た沙希は、声を上げて笑ってくれます。永田はそれを見てうれしくなるのでした。
永田は、野原と「まだ死んでないよ」という劇団の公演を観に行きました。「まだ死んでないよ」は今注目されている劇団で、客席は満席に近い状態です。
永田は彼らの作風があまり好きではありませんでしたが、終演後には生まれて初めて演劇で涙を流しました。それは、次元の違う才能が作り出した演劇によるものでした。同時に永田は、自分の無力さを痛感します。
さらに、永田は「まだ死んでないよ」の演出を手掛ける小峰(こみね)という人物が自分と同い年だということを知って、純粋な嫉妬を感じました。
沙希からの逃亡
永田はこの頃、そろそろ沙希の家を出て1人で暮らそうと思っていました。一方で沙希は、もっと広い家で一緒に暮らそうと不動産会社と相談していました。しかし結局、永田は1人暮らしをすることに決めます。
そして永田は、徐々に自分の沙希に対する接し方が変わってきたことに気が付きます。以前は沙希の前で好き勝手に振舞えたのですが、今は沙希が大学を卒業後に自分の分までアルバイトをして働いてくれていることに対して気を遣うようになったのです。
沙希が脚本家活動を応援してくれればしてくれるほど、逆に永田はその本業で稼げていないという事実に焦りを感じて、仕事に支障をきたすようになります。同時に、仕事に悪影響を与える沙希をうとましく思うようになったのです。
永田は沙希のアパートから高円寺のアパートに引っ越しをした後、風呂なしの陽の入らない壁の薄い部屋で、ひたすら演劇と向き合うようになりました。
そして、あれだけ沙希の献身的なサポート受けていたにもかかわらず、沙希のいるところから出てきた安心感を得るのでした。
亀裂
永田は、そのころ青山と言う女性から記事の執筆の仕事を受けていました。彼女は、以前「おろか」に所属していて、永田とけんか別れした劇団員です。今では和解し、2人はビジネスパートナーとして親交を深めていました。
そんな時、沙希のバイト先の居酒屋に青山がよく行っていることが明かされます。2人は顔見知りだったのです。そして自分に自信のない永田は、沙希がプライベートのことを青山に話していることを知って、心象を悪くしてしまいました。
永田は、そんな沙希に怒りをぶつけます。しかし全く悪意のない沙希は混乱するばかりです。深刻そうにため息をつく沙希をよそに、永田はなおも憤怒(ふんぬ)します。
それから、永田は沙希のアパートにはほとんど行かなくなりました。沙希から「大切な話がある」とメールをもらっても無視を続けたのち、再びアパートを訪れました。ところが、沙希は夜がふけているにもかかわらず不在でした。
永田が沙希のバイト先の居酒屋に行くと、永田は従業員に「沙希ちゃんは店長と帰った」と告げられます。永田は店長の家の場所を聞き出し、沙希を連れて帰りました。帰り道、沙希はひたすら泣きじゃくっていました。
その後、沙希は昼間やっていた洋服屋でのバイトも、夜やっていた居酒屋のバイトも辞めてしまいました。それからというもの、沙希はかつての活発さを失い、静かに家で過ごすようになります。
さらに少し前から、酒を飲んで酔ってから寝る習慣もついてしまいました。そして、「もう東京駄目かもしれない」と帰郷する決意をします。
別れ
沙希が東京に帰る日、永田も片付けを手伝いました。そんな時、初めて一緒に演じた舞台「その日」の脚本が見つかります。2人は、即興で台本を読み替えて演じました。
「あなたとなんか、一緒にいられないよ」沙希が言います。「なんで?」「昔は貧乏でも好きだったけど、いつまでたってもなんにも変わらないじゃん。でもね、変わったらもっと嫌だよ。永くんは悪くないもん」
沙希は、自分が変わってしまったこと(始めは永田の傍若無人な態度を受け止めていたが、徐々に耐えられなくなっていったこと)を悪く思い、永田を擁護(ようご)します。
永田は「沙希ちゃんは実家で元気になる。俺は演劇で成功する」と言った後、「海が見える露天風呂で朝焼けを見よう。ウニをどんぶりにして食べ続けたらいいよ。沙希ちゃんの好きなもの全部買ってあげるな」と無謀な夢を延々と語ります。
沙希は、泣きながら謝りました。それを見た永田は、いつかの猿のお面を取り出して「ばあああああ」と何度も何度も言いました。根負けしたように、沙希は泣きながら笑いました。
『劇場』の解説
「ごめんね」
この小説は永田の一人称で描かれるので、沙希の内面は語られません。そのため、実際に沙希が永田のことをどう思っているのかがはっきり分からない部分があります。
地元で就職する(永田とはもう会わないようにする)のかと思いきや、「その日」の脚本を見つけた沙希は「私の宝物だ」と喜びます。
この時点では沙希の気持ちはよく分かりませんが、私は最後の会話でそれが明らかになったと解釈できます。
永田が沙希との無謀な夢を語った後、沙希は「ごめんね」と言いました。「その夢を実現できるまでサポートできなかったことへの謝罪」と読むこともできますが、私は「その夢を一緒に実現できないことへの謝罪」なのではないかと思います。
なぜなら、その後に永田は「ごめんねじゃなくておかえりって言うんだよ」と訂正したにもかかわらず、沙希はなおも「ごめんね」と言ったからです。これは、「おかえり」に付随する「この先も一緒にいる」というニュアンスを否定するものではないでしょうか。
永田が東京で挫折しかけていた沙希の心を立て直したことも、永田が沙希を崩壊させたことも事実です。沙希にとって永田は、自分を生かしもするし殺しもする人なので、もう永田とは関わらない方が良いと判断したのかもしれません。
『劇場』の感想
嫉妬
『火花』に引き続き、夢追い人が主人公の小説です。『火花』でも、売れない辛さや報われない焦りが描かれていましたが、本作はその比ではありません。
永田の周りには、終始不安や恐怖がまとわりついています。そのため、全体的に鬱々(うつうつ)とした雰囲気が立ち込めている印象でした。
永田は、同業他者の活躍への焦げるような嫉妬、それに伴う焦りを意識せずとも感じています。どんなに悔しがっても、能力は明らかに小峰の方が上で、自分には実力がない。その現実を突きつけられた永田は、ますます自分に自信を無くしていきます。
共感の嵐で、読んでいて息苦しさを感じるほどでした。自分と同じフィールドで、ライバル視している人が成功していたりすると、「それくらい、自分にもできる」と思います。
ですが冷静になってみると、それができたのは相手が優秀だからであって、自分が同じことをしてもきっと失敗してしまうという考えに至り、力量の差にがく然とします。
なぜなら、その一点だけが私の方が秀でていたとしても、他の部分が自分の数倍上をいっているからです。
そこで、今まで勝手にライバルだと思ってた人は、実は自分よりもはるか上のフィールドにいることに気づき、自分は足元にも及んでいないことを思い知らされます。
そのことに気づけなかった厚かましい自分がより惨めに思えてくるのです。誰かと何かを競った経験のある人、さらにそれがなかなか上手くいかなかった経験をした人には、痛いほど理解できる感情が描かれています。
『劇場』の評価
- 現代ビジネス 作家・佐藤優さんの書評です。
- ALL REVIEWS 評論家・栗原裕一郎さんの書評です。
最後に
今回は、又吉直樹『劇場』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。
本作には、「混ざった感情」が所々に登場します。例えば、沙希は「怒ってるのに笑ってたり、泣いてるのに疑う顔してる」と永田から評されていますし、永田が手作りした猿のお面も、「楽しいのか哀しいのか」が分からない表情をしています。
さらに1番最後の文には、沙希は「泣きながら笑った」とあります。ラストにこの一文があることがひっかかって、なにか作為がある気がしています。今度は、その「混ざった感情」に着目して分析しようと思いました。