くまにさそわれて散歩に出る――。くまと人間が共存することを前提に物語が展開される『神様』。
今回は、川上弘美『神様』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!
『神様』の作品概要
著者 | 川上弘美(かわかみ ひろみ) |
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発表年 | 1994年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 短編小説 |
テーマ | 異類との交流 |
『神様』は、1994年7月に文芸雑誌『GQ JAPAN』で発表された川上弘美の短編小説で、第一回パスカル短編文学新人賞を受賞した川上の実質的なデビュー作です。以前、明治書院と筑摩書房から出版された教科書に収録されていました。
著者:川上弘美について
- 1958年東京生まれ
- お茶の水女子大学理学部生物学科卒業
- 『蛇を踏む』で芥川賞受賞
- 紫綬褒章受章
川上弘美は、1958年生まれ東京都出身の小説家です。お茶の水女子大学理学部生物学科を卒業後、高校の教員を経て小説家となりました。
1996年に『蛇を踏む』で第115回芥川賞を受賞し、その後も中年女性と初老の男性の恋を描いた『センセイの鞄』がベストセラーとなり、数々の文学賞を獲得しました。2019年には、その功績がたたえられて紫綬褒章(しじゅほうしょう)を受章しました。
『神様』のあらすじ
登場人物紹介
わたし
くまと一緒に散歩に行く。自分自身が、くまが以前お世話になった人の遠縁にあたるとのことでくまと全くの赤の他人ではないことを知る。
くま
人語を話し、昔気質で理屈っぽい雄の成熟したくま。主人公を誘って河原に散歩に行く。
『神様』の内容
この先、川上弘美『神様』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。
一言で言うと
くまと河原で過ごす一日
河原へ
最近、305号室にくまが引っ越してきました。
くまは住人に蕎麦と葉書を配るほど気を配る質で、さらに名前を聞くと「今のところ名はありませんし、僕しかくまがいないのなら今後も名をなのる必要がないわけですね。まあ、どうぞ、自由に何とでもお呼びください」と言うような大時代な人物です。
そんなくまにさそわれて、わたしは河原まで散歩に出かけました。
水田のあいだの道路を歩いていくと、男性2人子供1人の3人連れとすれ違いました。子供はくまの側に寄ってきて、くまの毛を引っ張ったり蹴りつけたりします。男性のうちの1人は、わたしの顔を伺いますがくまの顔は正面から見ませんでした。
川の水を見つめていたくまは、突然大きな魚を捕まえます。それを見ていた釣り人はこちらを見て何か話しています。くまは得意げでした。そして、くまはその場で魚を開いて干物にしました。
草の上に座って弁当を食べ、わたしが昼寝をして目を覚ますと、干物は3匹に増えていました。
熊の神様
帰路につくと、くまは「いい散歩でした」と言い、二言三言交わしてわたしが立ち去ろうとすると、くまは故郷の習慣だと言って親しい人と別れる時の抱擁を求めます。
わたしがそれに応じると、くまは「今日はほんとうに楽しかったです。遠くへ旅行して帰ってきたような気持ちです。熊の神様のお恵みがあなたの上にも降り注ぎますように」と言いました。
わたしは熊の神を想像し、見当がつかないが悪くない一日だったと振り返りました。
『神様』の解説
虚と実のあわい
主人公はくまに誘われて散歩に出ます。305号室に引っ越してきたくまは、以前自分の親類にお世話になったと話し、1人と1匹は日がな一日を河原で過ごしました。このように『神様』では、くまが人の言葉を話すことを除いて極めて平穏な日常が描かれます。
そして、くまは無邪気な子供に紳士的な対応をしたり、取った魚をナイフで器用に開いたりと人間的に振舞います。
同時に、やはりくまは動物です。引っ越しの際に他の住人に蕎麦と葉書を配るくまに対して主人公が「くまであるから、やはりいろいろとまわりに対する配慮が必要なのだろう」というコメントをしていることから、くまが人間とは異なる生き物だからこそ一層気を配っていることが読み取れます。
また、舌を出してあえいだり、魚を「つい」手づかみでつかまえてしまったり、身体や本能的に人間とは異なる生き物であることが露見されます。
読者は主人公とくまは同種であると思いながら読み進めていても、やはりくまは異種だと再認識するのです。
ところが、そうとも言い切れないことを象徴しているのが、男性2人と子供1人の3人連れとすれ違う場面です。子供は無邪気に「お父さん、くまだよ」とくまに興味を示し、最後に「パーンチ」とくまの腹にこぶしをぶつけて去って行きました。
一方の男性のうちの1人は、主人公の表情を伺いつつくまの顔を正面から見ようとしません。これは大人と子供でくまに対する認識の違いを示しています。
つまり、男性2人はくまと人間が同質であることを理解しているからこそ、まだそれを理解していない子供がくまを異種を見る目で見たことに対して気まずさを感じ、くまを正面から見ることができなかったのです(※参考①)。
このことから、くまは動物という異類でもあり人間と同質の存在でもあるという両面性を持った存在と言えます。
上記を受け、石川氏(※参考②)は「先に確認したように、「くま」が両義的な存在であることを発端に、「神様」は、人間と動物、現実と虚構といったあらゆる二項対立を曖昧にさせる物語である」と述べています。
くまが人語を使って主人公と会話し人間のように振る舞うというファンタジーと、それ以外の人とくまの交流(3人連れや釣り人)に代表されるリアルが混在しているのです。
動物であるくまと人間であるわたしや3人連れが少しずつ歩み寄り、その距離が縮まった結果と言えるのではないでしょうか。
また、本作には主人公の容姿や生活、職業や性別に至る情報が一切ありません。くまに関しても、性別こそ明かされているものの名前や年齢等、主人公と同じく身辺に関わる情報は開示されません。
これは、ファンタジーとリアルを混交させているからこそ、変に現実味を帯びさせないための工夫なのではないかと考えました。
①高柴 慎治「川上弘美「神様」を読む」(「国際関係・比較文化研究 5 (2)」 2007年3月 静岡県立大学国際関係学部)
②石川 拓音「川上弘美「神様」「草上の昼食」論 ――「わたし」と「くま」の関係における意味の不確定性 ――」(「日本文芸論稿 45」2022年3月東北大学文芸談話会)
『神様』の感想
異類と共存する世界
「くまにさそわれて散歩に出る」という書き出しから、「風に誘われる」のような比喩的な表現かと思いましたが、「三つ隣の305号室に、つい最近引っ越してきた」というところまできてそれが間違いであることが分かりました。
川上弘美『蛇を踏む』や『消える』のように、ごく自然に異類を人間の世界に描きこんでいて、「川上作品を読んでいるなぁ」という実感がわきました。
主人公が何の疑問も持たずにくまを「ご近所さん」として受け入れていたり、くまが「縁(えにし)」という人間でさえ日常生活で使わないような言葉を使っていたり、くまであるのに理屈っぽいのもくすっと笑えるポイントです。
この、面白いことを大真面目に分析して、さもなんてことないように語るシュールさ、太宰治に似ていると思いました。
そしてくまは完全に人間に同化していると見せかけて、やはり人間とは違う生き物であると認識させられる描写が差し込まれています。
主人公が残したオレンジの皮をもらって隠れるように急いで食べたり、「子守歌を歌ってさしあげましょうか」と真面目に言ってみたり(文化の違い?)、どうしようもない違いがあります。
『神様』ではその違いはそこまでクローズアップされず、「悪くない一日だった」と締めくくられていますが、後日譚として位置づけられている『草上の昼食』ではその違いがどのように描かれるのかを考えたいと思いました。
最後に
今回は、川上弘美『神様』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。
ぜひ読んでみて下さい!