脈絡がなく場面が切り替わり、読者が翻弄される『仲良くしようか』。
今回は、綿矢りさ『仲良くしようか』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!
『仲良くしようか』の作品概要
著者 | 綿矢りさ(わたや りさ) |
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発表年 | 2012年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 短編小説 |
テーマ | 夢、死、性、食 |
『仲良くしようか』は、2012年に文芸雑誌『文學界』(7月号)で発表された綿矢りさの短編小説です。さまざまな切り口から、語り手が観察した世界がつづられています。
著者:綿矢りさについて
- 1984年京都府生まれ
- 『インストール』で文藝賞を受賞
- 『蹴りたい背中』で芥川賞受賞
- 早稲田大学教育学部国語国文科卒業
綿矢りさは、1984年に生まれた京都府出身の小説家です。高校2年生のときに執筆した『インストール』で、第38回文藝賞を受賞し、2003年には『蹴りたい背中』で第130回芥川賞を受賞しました。
19歳での芥川賞受賞は、いまだに破られていない最年少記録です。早稲田大学を卒業後、専業作家として精力的に活動しています。
『仲良くしようか』のあらすじ
『仲良くしようか』に筋らしい筋はなく、物語は場面を目まぐるしく変えながら進んでいきます。「私」による一人称の語りで、一筆書きのようなあやふやな人物が出入りする形で構成されています。
登場人物紹介
私
小説を書いている。カメラの被写体になったり、記者から取材を受けたりする。
『仲良くしようか』の解説
女の子の正体
『仲良くしようか』を読んでいると、死の気配や恐怖を感じます。
風呂場での自傷行為や、侏儒の不気味な夢、犬に喰われる空想、「愛し続けるより死ぬ方が簡単だった」という発言、自身が書いたサインがダイイングメッセージに見えたという語りに、それが表れています。
しかし、「私」のファンだという大学生風の女の子を家に招いてから、語りの雰囲気が変わりました。
「彼女の吐く水は私の吐く水よりきれいに見えた」「お客様が来るならテレビを買っておけばよかった」「たとえいつか終わるとしても、明日だけ見つめて、生きてみないか」――
女の子が登場してから、途端に光や生など前向きな空気が流れ込んできたのです。
そして、「私」は女の子の耳に唇をつけてささやきます。なんと言ったのか明記されていませんが、おそらく「仲良くしようか」です。
『仲良くしようか』に登場する人物は、身体的な特徴は書かれずに「彼」とか「彼女」とかで呼ばれ、のっぺらぼうのようでした。
しかし、最後に登場する女の子だけ特徴が詳細に書かれています。これだけでも明らかにそれまでの登場人物と違うのに、「私」は最後女の子を家に連れ込み、「仲良くしようか」と言いました。
ここから考えるに、女の子は赤の他人ではありません。かといって、親戚や友人の類でもきっとありません。
鬱憤とした「私」の日常に明るさをもたらしたその女の子は、大人の恋愛をし、裏切られ、偉い人の接待をするような大人びた「私」とは対照的に、あどけなさや無垢さを持っています。
この幼さ、純粋さを「私」は忘れてしまっていて、それが擬人化して「私」の前に現れたのではないかと思いました。
『仲良くしようか』の感想
グロテスクな食事風景
『仲良くしようか』に登場する食にまつわるシーンには、異様な不気味さがあります。
昼食を食べ終えると、蛙が獲物を丸のみしたみたいに腹がふくれて、ボーダーのカットソーのお腹のとこの横線の形が変わり、ゆるい曲線を描いている。コーヒーを二杯飲んでクロワッサンを二個とミネストローネスープとBLTサンドしか食べていないのに変だなあ。
自身の食事と蛙の食事を重ねているところから、食事への印象の悪さが表れています。
また客観的に見て結構食べているし、衣服の柄が変わってしまうほどお腹が出ているということから推測するに、実際かなり食べていることが分かります。しかし、本人にその自覚が無いことに違和感を覚えます。
さらに、以下の中華料理屋での接待シーンも興味深いです。
銀の盆にのせて運ばれてくる料理、きくらげもパイナップルも鴨肉もほとんど生そのもので、(中略)生っぽければ生っぽいほど喜ぶから、私たちが食べたいのは生命そのものなのかもしれない。テーブルの大皿にうずたかく盛られた魂を上から順に取って、生のそれに歯を立ててかぶりつき、ひどい傷を負うもまだ生きて痙攣しているのを喉の力で音を鳴らして飲み下す、
個人的に、中華料理はすごく生々しいというかグロテスクなイメージがあります。
赤と黄色の原色を基調とした内装、テーブルを埋め尽くすおびただしい品数の料理、大きな皿に積まれた肉、料理を煌々と照らす強烈な照明、油でコーティングされ、照明を跳ね返しててらてらと輝く野菜……
中華料理と聞いて思い浮かべるのは、豪華絢爛さと毒々しさが混在しているような、この料理が皿にのせられるまでの工程で失われた命を感じずにはいられないような、そういうイメージです。このシーンでは、「生命を喰らう野蛮な人間」をイメージしてしまいます。
「食」がいかにも悪いものというように描かれていることから、『仲良くしようか』において食事は負のイメージが付与されていると思いました。
しかし、最後に「私」は女の子に対して「朝ごはん食べた?」と声をかけました。解説で触れた通り、女の子が出てくるパートには明らかにそれまでとは違う空気が漂っており、物事が明るく、前向きに描かれています。
「朝ごはん食べた?」という発言には、単純に女の子のこと気遣う裏表のない素直な気持ちが表れています。『仲良くしようか』における食は、何を食べるかではなく誰と食べるかでそのイメージが変化すると思いました。
最後に
今回は、綿矢りさ『仲良くしようか』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。
ぜひ読んでみて下さい!