2016年に公開された、二階堂ふみさん主演の映画の原作です。老作家と金魚の女の子の交流が描かれる、非常に興味深い作品です。もっと面白いのは、本作が地の文なし・会話のみで展開される点です。
今回は、室生犀星『蜜のあわれ』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!
Contents
『蜜のあわれ』の作品概要
著者 | 室生犀星(むろう さいせい) |
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発表年 | 1959年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 中編小説 |
テーマ | 幻想小説 |
『蜜のあわれ』は、1959年に文芸雑誌『新潮』(1月号~4月号)で連載された室生犀星の中編小説です。作家と金魚の恋が描かれています。刊行された当時は、全文が会話であることの斬新さが評価されました。
同時に、「女の妖(あや)しさが男性側からしか描かれていない」「金魚かつ少女という設定が不安定」という批判的な意見もありましたが、現在は犀星作品を代表する小説として位置づけられています。2016年には、二階堂ふみさん主演で映画化されました。
著者:室生犀星について
- 金沢三大文豪(泉鏡花、徳田秋声、室生犀星)の1人
- 詩人から小説家に転向
- 堀辰雄に芥川龍之介を紹介した人物
- 青年期、貧窮と容姿にコンプレックスを抱いていた
室生犀星は、泉鏡花や徳田秋声とならんで、金沢を代表する文豪です。詩人としてスタートし、大正8年に発表した『幼年時代』で小説家に転じました。
堀辰雄と芥川を突き合せた人物です。青年期に貧乏であることと容姿にコンプレックスを抱いていたことは、犀星の作品に影響を及ぼしています。
人間観察でなく、自身の心情に目を向けており、出来不出来が著しかったため、なかなか大きな評価をされることはありませんでした。しかし、晩年も精力的に活動しました。
『蜜のあわれ』のあらすじ
老作家の上山は、飼っている金魚と仲良しです。金魚の赤子は、上山に「恋人になろう」と提案し、2人はより仲を深めます。そんなとき、赤子はすでに死んだ上山の知り合い・ゆり子と出会います。その後、人間と金魚と幽霊の奇妙な関係が続いていきます。
登場人物紹介
赤子(あかこ)/あたい
3歳の金魚。人間で言うと17歳~20歳くらい。
上山(かみやま)/おじさん
70歳の老作家。赤子を溺愛する。
田村ゆり子/おばさま
上山と以前関係があった女性。すでに亡くなった幽霊。
『蜜のあわれ』の内容
この先、室生犀星『蜜のあわれ』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。
一言で言うと
小悪魔金魚と老作家の恋
金魚の赤子
金魚の赤子は、上山にもらったお金を持って、オフィスビルに行ってみたり、歯医者に行ったりします。そして、上山と人を好きになることについて語り合います。
ある日、赤子は上山と恋人同士になることを提案しました。上山は、「人間の女がもう相手にしてくれないので、とうとう金魚と寝ることになった」と言いますが、その申し出を受け入れました。
幽霊の女たち
上山が講演に出た日、赤子はこっそり会場に向かい、講演を聞きます。すると、隣に座った青白い女性が、急に呼吸困難に陥ってしまいました。赤子は、慌てて水を与えて会場の外に連れ出します。
その女性は、15年前から上山と親交があるのだと言いますが、決して上山と会おうとしませんでした。赤子は上山のところに連れて行こうとしますが、その女性は去って行ってしまいました。
講演後、赤子は上山に「田村ゆり子という女性と会った」と言いました。すると、上山は「田村ゆり子はとうに死んでいる人だ」と言いました。ゆり子は以前、上山に原稿を読んでもらっていた女性だったのです。しかし、あるとき突然亡くなってしまいました。
ある日、赤子は外でゆり子に会います。赤子が「おばさまは、ゆうれいでしょう」と聞くと、「ほほ、でもあなただってゆうれいじゃないこと」と赤子が金魚であることを見破りました。そして、またしても上山に会わないまま、足早に帰っていきます。
その後、家にはまた別の女の幽霊がやって来ます。彼女も、赤子を見てすぐに金魚だと見破りました。彼女は、40年前に上山を捨てたこと直接謝りたいと申し出ますが、赤子は取り次ごうとせず、「早くかえってよ」と言い放ちました。
ゆり子と上山
ある日の夕暮れ、赤子はまたしてもゆり子を見つけます。赤子は、ゆり子の買い物に付き合うついでに金魚屋で大量の餌を買い、八百屋に向かいました。
買い物を終えた赤子は、ゆり子を家に招き入れようとしますが、ゆり子は「急ぐ用事が一杯たまっているんです」の一点張りで決して家に入ろうとしません。
ところが、赤子の必死の説得でとうとう折れたゆり子は、赤子のメイク道具で顔を直した後なら、上山と会っても良いと言いました。
赤子は、嬉々として上山にゆり子が来たことを報告します。しかし、上山は「ゆり子は君の想像だ」と言って取り合いません。2人はとうとうケンカになってしまいました。
ゆり子のところに戻った赤子は、「おじさまは出て来ないのよ」と言いました。それを聞いたゆり子は、「暗くなったから、そろそろ行きましょう」と言って足早に去って行きます。赤子は呼び止めましたが、ゆり子はさっさと歩いて行ってしまいました。
赤子は、「おばさま、暖かくなったら、きっと、いらっしゃい。春になっても、あたいは死なないでいるから」と言いました。
『蜜のあわれ』の解説
『蜜のあわれ』のあやうさ
赤子は、作中では金魚と少女の間を行き来するような書かれ方をしていて、存在があやふやです。また、物語全体が上山と赤子の会話ではなく、すべて上山の想像であった場合、物語は全く違う読み方をすることができます。
地の文がない全文会話体の『蜜のあわれ』は、こうした不確実性をはらんでいます。
タイトルについて
「蜜」という言葉は、本作と密接にかかわっています。赤子の上山に対する甘ったれた話し方や、上山の赤子への甘い態度は、蜜の「甘さ」と対応します。また、「とろとろ」「とろけさせる」という赤子の言葉も、蜜を連想させる言葉です。
さらに、赤子が自身の身体を表現する擬音に「ぬらぬら」「ぺとぺと」「のめのめ」という擬音語を使っていますが、これも蜜の粘り気のあるテクスチャーを想起させます。
次は「あわれ」についてです。あわれは、本作の持つ不安定さを表すものと考えることができます。『蜜のあわれ』は、金魚と少女の間、生と死の間、上山と赤子・上山の1人語りの間で揺れています。「あわれ」はこうした揺れを表現しているのです。
よって、「蜜」は作中の甘さや擬音語を、「あわれ」は作品の揺れを表していると考えられます。
加藤可純「室生犀星『蜜のあはれ』論」(あいち国文 2014年)
『蜜のあわれ』の感想
金魚の魅力
近年、金魚の美しさが再評価され、水族館では金魚がアートとして展示されることが増えました。実際、作者の室生犀星は金魚を飼っていて、日記で金魚を「彼女」と呼んでいたことから、犀星はその美しさに魅了されていたのかもしれません。
地の文がなく、すべて会話で構成される興味深い作品です。赤子の可愛らしい語り口や、大人の目線で、赤子の相手をしてあげる上山の様子が面白いです。話があちらこちらに飛ぶところが、自然な会話を演出していて、日記体の作品と似通ったものを感じました。
上山と赤子の日常が描かれますが、特に2人が戯れるシーンは見どころです。
「こんなに尾っぽ食われちゃった。」
「痛むか、裂けたね。」
「だからおじさまの唾で、今夜継いでいただきたいわ、すじがあるから、そこにうまく唾を塗ってぺとぺとにして、継げば、わけなく継げるのよ。」
「これは甚だ困難なしごとだ、ぺとついていて、まるでつまむ事は出来ないじゃないか。もっと、ひろげるんだ。」
「羞かしいわ、そこ、ひろげろなんて仰有ると、こまるわ。」
赤子の上品な言葉遣いと、のんびりした上山の動作が相まって、非常に官能的な場面です。
人間のようなのに、尾の話をしていて、人間と金魚の境界があやふやなのも、このシーンを幻想的なものにしている要因かと思いました。
最後に
今回は、室生犀星『蜜のあわれ』のあらすじと内容解説、感想をご紹介しました。
他の作品にはない独特の世界が広がっている小説なので、ぜひ読んでみて下さい!
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