愛犬の死の克服が描かれる『三十一日』。
今回は、宇佐美りん『三十一日』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!
Contents
『三十一日』の作品概要
著者 | 宇佐美りん(うさみ りん) |
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発表年 | 2019年 |
発表形態 | 書き下ろし |
ジャンル | 短編小説 |
テーマ | 愛犬の死からの回復 |
『三十一日』は、2019年に発表された宇佐美りんによる書き下ろしの短編小説です。
『三十一日』のあらすじ
登場人物紹介
尚子(なおこ)
大学生。2週間ほど前に、14年間一緒に暮らした犬を亡くした。
『三十一日』の内容
この先、宇佐美りん『三十一日』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。
一言で言うと
大切な存在の死の克服
墓参りへ
愛犬の墓参りに行く途中、自転車に乗っていた尚子は転んでしまいました。前かごが地面にぶつかり、はずみをつけて道へ飛び出し、前かごの袋から食べ物が飛び出す。そして自転車は均衡を失い、倒れました。
角を曲がって来た女が自転車を寄せるのを手伝い、散らばった食材を拾って去っていきました。
看取れなかった最期
尚子は寺に向かい、集合墓に水を撒いて火葬場で送り出した時の記憶を丁寧に避けながら手を合わせます。
境内の休み処で冷えたほうじ茶を飲んでいた尚子は、松に囲まれた庭園を眺めました。犬が死んでから、尚子が見る風景のひとつひとつが妙に尾を引くようになりました。目に映る風景はしばらく尾を引いたまま次の光景へ重なり、しかし思い返すとその光景は失われているのです。
尚子は、14年前に家にやってきた犬のことを思い出しました。蜜柑が好きな犬でしたが、やがて蜜柑を食べなくなり、目をしょぼつかせて立てなくなったことに驚くような素振りを見せます。
その日病院に行くと椎間板ヘルニアと診断され、土曜の朝に1週間で退院する予定で病院に預けられました。尚子は日曜の休診日明けに会いに行こうと思いましたが、それを待たずに犬は死んでしまいました。
病院でたった1匹で寂しく最期を迎えた犬のことを思い、尚子は激しく後悔します。
不条理な穴
それから尚子は寺を出て家に向かいますが、商店街で寿司を買っているときに繋がれた柴犬に吠えられます。尚子はにやりと笑い、早足で商店街を抜けてやがて駆け足になっていました。
家に着くと尚子は買ってきた寿司を食べ始めます。黙々と食べ進めるうちに、テーブルの上に黒く乾いた塊があるのに気づきました。
それを小指でこそげ落としている時、突然尚子は耐え難い哀しみが頭蓋骨に裂け目を作って黒い穴となっているのを目にし、「理不尽な一瞬にあらがえるものなど本当はこの世には何一つない」と悟ります。尚子は涙を流しますが、なにひとつ取り返しがつかないと思うのでした。
そして先ほど見た黒い穴は普段は日常が覆っており、生活とはその穴に薄い布をかぶせる行為だと気付きます。
尚子はテレビをつけてぬるい居間で乾いた寿司を食べながら、わははと笑うのでした。
『三十一日』の解説
不条理の穴を隠す
尚子は愛犬の最後を看取れなかったことをひどく後悔していますが、何気なくテーブルの汚れをごそげ取ったことをきっかけに「終わる。終わっていく。戻ってはこない。なにひとつ取り返しがつかない」とあきらめに近い感情を抱きます。
誰も避けては通れないはずの不条理な黒い穴は、普段は日常が覆っている。生活とはその穴に薄い布を丁寧に覆いかぶせる行為だ。
中華料理屋での店先で惣菜を買った男も、リサイクルショップで服を体に当てる女も、携帯電話を尻のポケットに入れようとして手こずる男も、みんなそうした日常を送ることで「不条理な黒い穴」に蓋をしています。
そして尚子は、最後の3行でそれを実践します。
尚子はリモコンの赤いボタンを押してテレビをつける。薄暗い、ぬるい冷房のにおいのする居間だった。食べかけの寿司は乾いている。わははと尚子はわらった。
夏特有の、湿気がたまってぬるくなった居間で乾燥した寿司を食べながらテレビを見て笑う。犬が死んでからおそらく尚子が行ってこなかったと思われる、一般的な日常です。
尚子は、生活感のあふれる日常を取り戻すことで不条理な黒い穴に薄い布をかぶせて見えないようにしたのでした。
『三十一日』の感想
死の実感
小説の中で、途中まで尚子が犬の死について涙した場面がないことが引っかかりました。病院で「家族のひとり」が泣き、犬の亡骸を抱いて車に乗った弟が泣いた描写はありますが、おそらく犬の死から尚子は1回も泣いてないと思われます。
犬の死から2週間経っても、尚子は犬の死を受け入れられなかったのではないでしょうか。事実、墓参りのときに犬を火葬場へ送り出した記憶がよみがえりそうになりましたが、尚子はそれを慎重に避けていました。
さらに作中で語り手は犬の名前出さずに「犬」と呼び、過去回想で名前が出たときも「○○」「○○ちゃん」と伏字で表現し、明らかに犬の名前を隠しています。犬を思い出して感傷に浸ることを避けている尚子への配慮かと思いました。
尚子は、犬が亡くなったときは実感がないためぼんやりしており、墓参りしてても涙を流しませんでした。しかし日常を過ごす中で、ある時突然(テーブルの汚れをこそげ取ってるとき)実感がわいて大泣きするのです。
私自身は身近な人を亡くした経験はありませんが、瀬尾まい子『7’s blood』や吉本ばなな『キッチン』を読んでいると、亡くした人が自分にとって大きな存在であればあるほど、その人の死を受け入れられない余り悲しみが後になって急に襲い掛かるんだなと思います。
最後に
今回は、宇佐美りん『三十一日』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。
ぜひ読んでみて下さい!