高校の寮で起こる連続盗難事件を題材にした探偵小説『私』。
今回は、谷崎潤一郎『私』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!
Contents
『私』の作品概要
著者 | 谷崎潤一郎(たにざき じゅんいちろう) |
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発表年 | 1921年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 短編小説 |
テーマ | ならず者の孤独 |
『私』は、1921年に雑誌『改造』(3月号)で発表された谷崎潤一郎の短編小説です。まだ青空文庫では読めませんが、リンク先の短編集に収録されています。
著者:谷崎潤一郎について
- 耽美派作家
- 奥さんを友人に譲るという事件を引き起こす
- 大の美食家
- 生涯で40回の引っ越しをした引っ越し魔
反道徳的なことでも、美のためなら表現するという「唯美主義」の立場を取る耽美派の作家です。社会から外れた作品を書いたので、「悪魔」と評されたこともありました。
しかし、漢文や古文、関西弁を操ったり、技巧的な形式の作品を執筆したりして、今では日本を代表する作家として評価されています。
『私』のあらすじ
登場人物紹介
私
青白のやせ型で神経質な性格。水呑み百姓枠で奨学資金を使ってやっと学校に通えている 貧困学生であることにコンプレックスを抱いている。
平田(ひらた)
私をひどく嫌っている男。頑丈で男性的な肉体の持ち主。
樋口(ひぐち)
某博士の息子。裕福な家庭のお坊ちゃん。
中村(なかむら)
私と同室の男。夜のおしゃべりに参加している。
『私』の内容
この先、谷崎潤一郎『私』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。
一言で言うと
読者を欺く小説
連続盗難事件
私が一高の寄宿寮にいたころ、夜な夜な同室の者たちとおしゃべりをするのが習慣となっていました。樋口、中村、平田、そして私の4人は、ある晩どんな流れか不明ですが犯罪の話をしました。
「そういえばこの頃、寮でしきりに盗難があるっていうのは事実かね」「何でも泥坊は寮生に違いないという話だがね」「廊下を逃げていくときに、羽織を頭からスッポリ被って駆けだしたそうだが、その羽織が下り藤の紋附だったという事だけが分かっている」
そのとき、平田はチラリと私の顔色を窺ったように見えました。私の家紋が下り藤だったからです。この平田という男は、近頃私の陰口を言うようになり私を恐ろしく忌み嫌っています。そのため私と平田はお互いに面白くない気持ちで付き合っていたのでした。
私は平田に疑われて動揺し、「すると僕にも嫌疑が懸かるぜ」と笑ってしまえばいいか、しかし全員が笑ってくれればいいが平田だけ苦い顔をしたら居心地が悪い―――などと様々に考えを巡らせます。
そして、今の私は真犯人と同じような煩悶や孤独を味わっているようだと思いました。
嫌疑をかけられる私
ある日、私は中村とグラウンドを歩きながら例の泥坊の話をしました。中村は「実は委員たちが君を疑っている。しかし君、僕は決して疑っちゃいない」と涙ながらに話します。そして、平田が私のことを疑い委員に告げ口していることも明かしました。
私の肩を持つ樋口と中村は平田と対立し、平田は今日のうちに寮を出るのだと言います。それを聞いた私は、「あの男は僕を疑っているかもしれないが、僕は未だにあの男を尊敬している。あの男が寮を出るくらいなら、僕が出ることにしようじゃないか」と言いました。
結局その日平田は寮を出て行かず、私もいま寮を出たらますます疑われてしまうため、少し機会を待とうと考えました。しかしそんなとき、ついに樋口と中村の金銭と洋書が盗まれてしまうのでした。
真犯人
夜、樋口と中村は図書館に勉強に行くのが習慣であったため、部屋に平田と二人でいるのがつらい私は図書館に行くか散歩に行くかして部屋にいないようにしていました。
ある晩21時半頃に戻ってくると部屋に平田の姿がありません。私は自習室に引き返して平田の机の引き出しから小為替を1枚抜き取り懐に収めて廊下に出ます。すると「ぬすッと!」と平田が私を張り倒しました。
平田は部屋に戻って来た樋口と中村に私を突き出します。騒ぎを聞きつけた寮生がぞくぞくと集まって来ました。「平田君の言う通りだよ、ぬすッとは僕だったんだよ」私は彼らに言い放ちます。
そして、ぬすッとを友達とした樋口と中村の浅はかさを指摘し、逆にごまかされず私を疑った平田を称賛するのでした。
孤独な犯罪者
それから数年が経ち、私は本職のぬすッとになりました。
そして「樋口や中村に対すると同じく、読者諸君に対しても『私のようなぬすッとの心の中にも此れだけデリケートな気持がある』ということを、酌んでもらいたいと思うのである」と締めくくりました。
『私』の解説
語り手の隠蔽工作
『私』では、犯罪者自身が一人称でしらを切って語り、最後には自分が犯人であることを明らかにしています。
そして、最後には「読者諸君よ、以上は私のうそ偽りのない記録である。私は茲に一つとして不正直な事を書いては居ない。」という語りかけが挿入されていますが、真犯人は主人公であるため矛盾してた発言です。
この点について名木橋氏(参考)は、主人公が犯人とも犯人でないとも取れる文章を抜粋しています。1つ目は下記の文章です。
私が若し賢明にして巧妙なぬすツとであるなら、―――いや、そう云ってはいけない、―――若し少しでも思いやりのあり良心のあるぬすツとであるなら、
ここで「私が若しぬすツとであるなら」と語れば嘘を言っていることになりますが、「賢明にして巧妙なぬすツと」「少しでも思いやりのあり良心のあるぬすツと」と言ってるのがポイントです。
つまり、主人公は確かにぬすツとですが、「賢明にして巧妙なぬすツと」でも「少しでも思いやりのあり良心のあるぬすツと」でもないと言い逃れできるのです。
また、2つ目は下記の文章です。
兎に角そんな風に考へ始めると、私の頭は一歩々々とぬすツとの方へ傾いて行つて、ます々々友人との隔たりを意識せずには居られなかった。私はいつの間にか立派な泥坊になって居る気がした。
上記の文章であれば、1つ目と同じように主人公が確かに泥坊であっても「立派な泥坊」ではないと言うことができます。
また前半の「私の頭は一歩々々とぬすツとの方へ傾いて行って」については、「私自身は確かにぬすツとであるが、友人との交わりの中で自身が泥坊であることを忘れてしまっていた。しかしこの時、一歩一歩泥坊の気持ちへ戻っていった」と説明できると名木橋氏は述べています。
これらの例を見ると、主人公の「読者諸君よ、以上は私のうそ偽りのない記録である。私は茲に一つとして不正直な事を書いては居ない。」という語りに矛盾がないことが分かります。
名木橋氏は一方で、上記以外の文章では「私は茲に一つとして不正直な事を書いては居ない」という語りとつじつまが合わず破綻している箇所があることを指摘しています。
しかし、このほころびにより『私』の価値が下がるわけではなく、この詐術の失敗により語り手が4つに分裂し、それは読者の想像を超えるものであるため「悪人の異常心理」を体現したと評価しています。
名木橋 忠大「谷崎潤一郎『私』論」(「文学部紀要」2016年3月)
『私』の感想
嘘つく語り手
探偵小説と言うと、奇妙キテレツで巧妙なトリックや凄惨な殺人事件など視覚的にインパクトがあったりどれだけ読者の創造を超えられるか、常軌を逸した事件を構築することができるか、というところに焦点が当てられがちな印象がありました。
しかし、『私』で取りあげられているのは何の変哲もない盗難事件です。実は犯人は主人公だったと明かされるまで、私自身は主人公が犯罪の濡れ衣を着せられてると信じていましたし、その語りに圧倒されました。
文庫本の解説(参考)で「一人称による語りとは、つねに語り手を〈語る自己〉と〈語られる自己〉との二極に分裂させてしまうものだが、これはその両者の距離を巧妙に操ることで一篇の探偵小説に仕立て上げられた作品である」と解説されていますが、本作の主眼はその語りなのだと思いました。
千葉俊二「解説 犯罪とミステリー」
谷崎潤一郎『潤一郎ラビリンスⅧ 犯罪小説集』(編者:千葉俊二 中央公論社 1998年12月発行)
語り手が信用できないという点で、今村夏子の『むらさきのスカートの女』『ピクニック』を思い出しました。いずれも、語り手が物語る時点で何かしらの情報は必ず抜け落ちるという叙述の特色を活かして書かれた小説です。
最後に
今回は、谷崎潤一郎『私』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。
ぜひ読んでみて下さい!