/乱歩が得意とする暗号トリックが、推理ではなく恋文として機能する『算盤が恋を語る話』。
今回は、江戸川乱歩『算盤が恋を語る話』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!
Contents
『算盤が恋を語る話』の作品概要
著者 | 江戸川乱歩(えどがわ らんぽ) |
---|---|
発表年 | 1925年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 短編小説 |
テーマ | 一方的なコミュニケーション |
『算盤が恋を語る話』は、1925年3月に雑誌『写真報知』で発表された江戸川乱歩の短編小説です。
著者:江戸川乱歩について
- 推理小説を得意とした作家
- 実際に、探偵をしていたことがある
- 単怪奇性や幻想性を盛り込んだ、独自の探偵小説を確立した
江戸川乱歩は、1923年に「新青年」という探偵小説を掲載する雑誌に『二銭銅貨』を発表し、デビューしました。
その後、乱歩は西洋の推理小説とは違うスタイルを確立します。「新青年」からは、夢野久作や久生十蘭(ひさお じゅうらん)がデビューしました。
『算盤が恋を語る話』のあらすじ
登場人物紹介
T
主人公。○○造船株式会社会計係。臆病な性格で容姿に自信がなく、30歳近いが一度も恋をしたことがなく、若い女とろくに口を利いたことこともない。S子に好意を寄せている。
S子
Tの助手を勤める若い女性事務員。
『算盤が恋を語る話』の内容
この先、江戸川乱歩『算盤が恋を語る話』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。
一言で言うと
受信されないラブコール
不審な行動
○○造船株式会社で会計係をしているTは、隣の席に座るS子にひそかに想いを寄せています。
ある朝一番乗りで出社したTは、自席へは座らずS子の席に腰かけ、本立ての中に立ててあった算盤を取り出して「十二億四千五百三十二万二千二百二十二円七十二銭」と玉をはじきました。
そして、その算盤をなるべく目につきやすい場所へおいて自席に座ると、なにげなくその日の仕事に取かかるのでした。やがて事務員が次々出社してくると、Tは「彼女は机の上の算盤に気がつくだろうか」と気が気でありません。
結局S子は算盤が出ていることを怪しまずに、脇に寄せて自分の仕事を始めました。Tは「一度くらい失敗したって失望することはない。S子が気づくまで何度だって繰返せばいいのだ」と思いました。
通じた想い
Tのこの不思議な行為は、彼の内気な性格に起因します。TはS子に好意を寄せていますが、女性経験が少なく容姿に自信がありません。
そして自尊心が高いTは、真正面から告白をして断られたときの気まずさや恥ずかしさが恐ろしく、拒絶されても恥ずかしくない方法で思いを伝えられないか考えました。
そこで、算盤を使った暗号を思いついたのです。Tの会社では数千人の職工に支払う賃金を計算するために50音に数字を割り振っており、Tはそれを利用してS子にメッセージを送ろうと考えました。
「十二億四千五百三十二万二千二百二十二円七十二銭」は「いとしききみ(愛しき君)」と読むことができます。
数日間同じことを繰り返したことが報われ、あるときS子がいつもより長い間算盤を見つめ、しばらくすると突然、何かハッとした様子でS子が彼の方をふり向きました。Tは、その瞬間彼女が何もかも悟ったに相違ないと感じました。
それから次のステップに進むため、Tははじく数字を「六十二万五千五百八十一円七十一銭(ヒノヤマ)」に変えました。樋の山とは、会社からあまり遠くない小山の上にある遊園地のことです。Tは、そこでS子と密会するつもりなのでした。
そしてTの一連の行いがTによるものであることにS子が気づいていることが分かり、Tは思い切って「二十四億六千三百二十一万六千四百九十二円五十二銭(ケフカヘリニ)」と置きました。「今日帰りに樋の山で」という意味です。
その日は仕事が手につかずTはS子の様子を伺っていましたが、S子は退社時間になるといつもと同じように挨拶をして事務室を出ていってしまいました。失望したTがS子の机の上を見ると、数字が置かれたままの算盤が出しっぱなしになっていました。
置かれた数字を見たTの頭の中には、スーッと熱いものが拡がります。「八十三万二千二百七十一円三十三銭(ゆきます)」というメッセージが置かれていたのです。Tは机を片付けることさえ忘れて事務室を飛び出しました。
最悪な「奇跡」
Tは樋の山遊園地に辿り着きましたが、そこにS子の姿はありません。着替えるために一度家に帰ったのだと解釈したTは、煙草をふかしながら生まれて初めての待つ身の辛さを甘い気持ちで味わうのでした。
ところが、街灯が灯って夜が来てもS子はやってきません。やがて一つの可能性を思いついたTは、会社に戻って事務室に向かい、S子の本立てにあった原価計算簿を取り出します。
そこには、Tが「ゆきます」と読んだ「八十三万二千二百七十一円三十三銭」の数字が記入してありました。S子は暗号を理解していたわけではなく、今日の締高を計算したまま算盤を片付けることを忘れて帰ったに過ぎなかったのです。
すべての思考力を失ったTの頭の中には、彼の苦労を知らずに暖かい家庭で談笑しているS子の姿が浮かんでくるのでした。
『算盤が恋を語る話』の解説
独りよがりなT
Tは算盤を使った信頼性の低い方法を採用したことでS子とのコミュニケーションを図ることができませんでした。しかし私は、失敗の要因はこの算盤を使った方法だけでなく、Tの性格にもあると考えます。
本作で、Tは言葉によるコミュニケーションが下手な人物として描かれています。Tの職場において、他の事務員たちは「てんでに冗談をいいあったり、不平をこぼしあったり、一日ざわざわ騒いでいるのに」、Tだけはそこに加わらずに黙々と仕事をしました。
また、TはS子と事務室で2人きりになったときに仕事の話しかせず、距離を詰める絶好の機会を無駄にしてしまいました。
そして、Tには思い込みが激しく、独りよがりなところがあります。下記は、Tが「とうとう計画が成功した(とTが思い込んだとき)」の引用です。
突然、何かハッとした様子で、S子が彼の方をふり向きました。そして、二人の目がパッタリ出逢って終ったのです。
Tは、その瞬間彼女が何もかも悟ったに相違ないと感じました。というのは、彼女はTの意味あり気な凝視に気づくと、いきなり真赤になってあちらを向いて終ったからです。
Tは、S子と目が合ったこと、S子が赤面したことを根拠に「彼女が何もかも悟ったに相違ない」と確信に近い思いを抱きました。
彼らは実際に言葉を交わしておらず、S子の真意を「赤面する」行動だけで決めつけてしまうことは危ういですが、Tは自身の都合の良いように解釈してしまいました。
その他にも、「あのS子のそぶりでは、先ず十中八九は失望を見ないで済むだろう」「もう十分暗黙の了解が成立っていると確信していた」とTは言葉によるコミュニケーションを無視した一方的な思い込みにより、1人で勝手に舞い上がっていきます。
Tのこうした相手と自分の認識をすり合わせる能力の欠如も、告白失敗の一因になっていると考えます。
『算盤が恋を語る話』の感想
こじらせ男子
Tは自身の容姿や女性経験にコンプレックスがありますが、そんな自らを肯定するためにプライドが高い人物です。
このプライドの高さは、「臆病でいながら人一倍自尊心の強い彼は、そうして恋を拒絶せられた場合の、気まずさはずかしさが、何よりも恐ろしく感じられたのです」という一文で示されています。
さらにやっかいなことに、Tはうぬぼれ屋です。
Tが算盤を机の上に出していたことをS子が気づいてTに確かめた時、「たとえすっかり感づいていても、彼女もやっぱり恥かしいのだ」とTはS子が自分からのメッセージを読み解いたうえで恥ずかしがっていると誤解しています。
そして卑怯なTは、手紙と違って証拠に残らず、万が一周囲に知られても偶然であると言って逃げられる方法、かつ相手に拒絶されることも変に噂される心配もなく、安全なところからメッセージを発信する方法として算盤を選びました。
こうした正当でまっすぐなやり方を選べないところが、現代で言う「こじらせ」と共通すると思いました。
最後に
今回は、江戸川乱歩『算盤が恋を語る話』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。
ぜひ読んでみて下さい!