文学史上最も社会的地位の高い小説家と言われる森鷗外。彼が書いた『山椒大夫(さんしょうだゆう)』は、中世に生まれた説話『さんせう大夫』のリメイク版として知られます。
今回は、森鷗外『山椒大夫』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!
Contents
『山椒大夫』の作品概要
著者 | 森鷗外(もり おうがい) |
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発表年 | 1915年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 短編小説 |
テーマ | 因果応報 |
行方知れずになった父親を捜すために、母と子どもが旅に出る様子が描かれます。中世芸能・説経節の有名な演目である「さんせう太夫」に、鷗外が脚色を加えて執筆した作品です。1954年には映画化されました。
新潮文庫の『山椒大夫・高瀬舟』には、この2作品を含む12篇の小説が収録されています。解説付きです。
著者:森鷗外について
- 夏目漱石のライバル
- 樋口一葉の評価を高めた
- 文豪の中で、社会的地位が最も高い人物(陸軍軍医総監)
医者の家に生まれ、東大を首席で卒業した鷗外は、軍医として働きます。スーパーエリートの鷗外は、国から認められてドイツに留学しました。このときの経験は、ドイツ三部作(『舞姫』『うたかたの記』『文づかひ』)の題材になっています。
『山椒大夫』のあらすじ
行方不明の父親を捜すために、母・安寿・厨子王は旅に出ましたが、人買いにつかまってしまいます。母と子供たちは離れ離れになり、安寿と厨子王は山椒大夫のもとで奴隷として働くことになりました。厳しい労働に耐えかねた2人は、脱出を試みます。
登場人物紹介
安寿(あんじゅ)
厨子王の姉。賢くて勇敢な性格。
厨子王(ずしおう)
安寿の弟。数々の困難を1人で乗り越えていく。
山椒大夫(さんしょうだゆう)
丹後の悪徳領主。奴隷を買い集め、強制労働をさせている。
次郎
山椒大夫の息子。比較的穏やかな性格で、安寿の願いを聞いてやる柔軟さがある。
三郎
山椒大夫の息子。強欲で残忍な性格で、山椒大夫のように容赦なく奴隷をこき使う。
『山椒大夫』の内容
この先、森鷗外『山椒大夫』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。
一言で言うと
母をたずねて170里
人買い
平安時代末期。母、安寿、厨子王、女中(お付きの女性)は旅をしています。それは、音信不通になってしまった父を探すための旅でした。
福島で地位の高い役人だった父は、上司の罪をかぶって九州に行かされてしまいました。そしてその後連絡が取れなくなってしまったのです。
彼らは歩きに歩き、新潟までたどり着きました。彼らは、そこで泊めてもらおうと村の人に声を掛けました。しかし、どこを訪ねても「最近は人買いがうろついているから、見知らぬ旅人を泊めないよう言われている」の一点張りです。
困り果てた一家に、1人の男が「うちに泊まりませんか?」と声を掛けます。そして一晩明かした後、男は今後の行き先を聞いて案内すると言い出しました。
あまりの親切さに多少の不安を覚える一家でしたが、男に従って小舟に乗って移動することにしました。すると向こうから2艘(そう)の船がやってきて、母と女中、安寿と厨子王は別々の船に乗らされました。
見る見るうちに、2つの船は離れていきます。なんと行き先は別々だったのです。ここまできてようやく、母と女中は「自分たちは人買いに売られたのだ」と気づきました。女中は海に飛び込んで逃げましたが、母は逃げ遅れました。
離れていく安寿と厨子王に向かって、母は「お守りを肌身離さず持つように」と言いました。安寿は小さな金の仏像を、厨子王は父から受け継いだ小刀をお守りとして持っていたのです。
山椒大夫
安寿と厨子王は、京都の北部の丹後にたどり着きました。丹後には、悪名高い大金持ちが住んでいます。この金持ちは、有り余る金で奴隷を買いあさっていました。その金持ちこそが山椒大夫だったのです。
2人は奴隷として働くことになり、安寿は海水を運び、厨子王は芝刈りを命じられました。そして毎日強制される重労働に耐えきれず、いつしか逃げることを計画し始めます。
それを気性の荒い三郎に聞かれてしまい、2人は山椒大夫のもとに連れて行かれてしまいました。
山椒大夫は、焼いた鉄を彼らの額に押し付けるよう命じました。額に鉄が当てられたところで、安寿と厨子王は目を覚まします。実は、彼らは同じ夢を見ていたのでした。安寿がお守りの仏像を取り出すと、仏像の額には焼き印が入っていました。
逃亡計画
逃げる計画をすると恐ろしい目に遭うことを思い知った安寿は、もう逃げることにこだわらなくなりました。そして、日に日にふさぎ込んでいきます。
ある日、安寿は次郎に「芝刈りをさせてほしい」と頼みました。許可は下りましたが、「男の仕事をするなら髪を切れ」と言われ、安寿は髪の毛を切り落とされてしまいました。
安寿と厨子王は芝刈りに出かけます。安寿はどんどん上っていき、ついに山の頂上にたどり着きました。そして丹後が京都の都に近いことを厨子王に伝え、「私が時間を稼ぐから、厨子王はまずその手前の寺に行きなさい」と言いました。
三郎は、戻ってこない2人を探しに行きました。三郎が見つけたのは、沼のそばに落ちていた安寿の靴だけです。安寿は沼に飛び込んで自殺していたのです。三郎は、厨子王が逃げた先を寺だと推測し、厨子王が逃げ込んだ寺に乗り込みました。
三郎は、厨子王が逃げた寺の住職に詰め寄ります。すると住職は、「ここは天皇が管理している寺だ。手荒なことをすれば、国から罰せられる」と告げました。
そんな三郎に、寺の見張りの老人が声を掛けます。老人は「厨子王は南の方へ行った」と三郎に教えました。それを聞いた三郎は、意気揚々と南の方に駆けていきました。それは、住職に命じられて見張りが言った嘘でした。
不思議な仏像
次の日、厨子王は住職に連れられて寺から出ました。そして山を越え、とうとう京都にたどり着きます。坊主になっていた厨子王は、清水寺でかくまってもらうことにしました。
ある日、清水寺で烏帽子(えぼし。貴人の帽子)をかぶった貴族らしき人が厨子王の目の前に現れます。
彼は、「病気の親戚のために祈祷(きとう。仏にお願いすること)していたところ、清水寺で特別な仏を持っている僧に出会えという不思議な夢を見た」と言いました。
実は、厨子王は安寿と別れる際に安寿のお守りである仏像を受け取っていたので、彼にそれを見せました。すると貴族は驚き、「これは有名な貴族しか持てない仏像だ」と言いました。
その仏像を置いて祈祷したところ、貴族の親戚の病気はみるみるうちに治っていきました。貴族は、仏像を見て厨子王が平正氏(たいらのまさうじ。厨子王の父)の息子だと気が付きます。そして彼を養育して、立派な官僚に育ててくれました。
成長した厨子王に、貴族は「丹後の国を統治せよ」と命じます。丹後は、山椒大夫が権力を握っている土地です。厨子王は、丹後での奴隷売買を禁止し、奴隷の解放させました。
母との再会
大きな仕事を終えた厨子王は、散り散りになった家族のことを調べます。父は、九州ですでに亡くなっていました。安寿も自殺したことを知りましたが、母の行方が分かりません。佐渡島に母がいるという情報を聞いた厨子王は、母を探しに佐渡島に向かいます。
佐渡島に着いて探し回っても、一向に母親は見つかりません。そんな時、厨子王は粗末な家の前に目の見えない老婆がいるのを見かけます。老婆は歌を歌い出しました。
なんと、その歌には「安寿」「厨子王」という単語が入っていました。厨子王が駆け寄って老婆の額に仏像を当てると、老婆は見えなかったはずの目を開き、「厨子王」と叫びました。2人はぴったりと抱き合いました。
『山椒大夫』の解説
作品が生まれた経緯
上で見たように、負け知らずで挫折をしてこなかった鷗外は、たくさんの敵を作ります。忘れてはいけないのが、鷗外は軍医であるということです。
「従軍する人は国のために尽くさなければならないので、堂々と副業(小説のこと)をすることはよくない」という意見があり、鷗外は福岡の小倉(こくら)に左遷されてしまいます。
この左遷を通して、鷗外の性格は穏やかになったと言われています。今までは、立身出世のことしか頭にない野心むき出しのエリートでした。しかし、左遷先で現地の人とふれあって、鷗外は丸くなりました。
東京に戻ってからは陸軍軍医総監(陸軍の医局部のトップ)の役職に就き、結婚して家庭を持つという順風満帆なキャリアを歩みます。その後、友人の死を受けて初めて歴史小説を書いたことがきっかけで、後年は歴史小説を書くようになります。
その流れで書かれたものが『山椒大夫』です。挫折をし、家庭を築き、友人の死を経験した鷗外は、その集大成として『山椒大夫』を制作したのでした。
原作との違い
原作となっている『さんせう大夫』と『山椒大夫』は、大枠は同じですが細かいところが少しずつ違います。
例えば山椒大夫から烙印を押される場面は、『さんせう大夫』では本当に烙印を押されるのですが、『山椒大夫』では夢オチになっています。厨子王を逃がした安寿は、原作では捕まって拷問死します。しかし本作では入水自殺をしました。
さらに原作では、丹後の国を任された厨子王は、三郎に山椒大夫の首を切り落とさせました。一方で『山椒大夫』は丹後の国の奴隷を開放するのみにとどまります。
鷗外は典拠との違いについて、彼の随筆で語っています。それによると、辻褄が合わなかったり(古典作品にはよくあることです)、鷗外の好みに合わない部分に脚色を加えたようです。その結果、残酷なシーンは大幅にカットされることになりました。
『山椒大夫』の感想
近代風にアレンジ
典型的な仏教説話と、特殊な出自の話型が組み合わさっているという印象を受けました。説話は仏教の布教のために用いられた話なので、困難に陥った人物が寺のおかげで助けられるというのが話型としてあります。今回は、国分寺がそれにあたります。
また、虐(しいた)げられた人物が、実は由緒正しい家柄の出身だったという話も昔話にはよく見られます。
序盤で安寿らは散々な目に遭わされますが、最終的には大成功を収めることも特徴です。普段、領主に搾取されている庶民が読んだときに、人物と一緒にスカッとするように、ストレス発散の道具として物語が使われることがあったからです。
どれも昔話にはよくあるパターンですが、内容に脚色が加えられていたり、割愛されている部分があります。原作を加工することで、近代人にも読みやすくなっているのではないかと思います。
最後に
今回は、森鷗外『山椒大夫』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。
厨子王が丹後の国を統治するよう命じられた時、「どんな復讐がされるのだろう」とひそかに心を躍らせていました。ところが厨子王は奴隷を解放するだけで、山椒大夫には直接制裁は加えられません。
鷗外は、昔話によくある残酷なモチーフを好まなかったようです。『山椒大夫』に物足りなさを感じた人は、『さんせう大夫』を読んでみることをおすすめします!
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