『こちらあみ子』は、芥川賞作家・今村夏子のデビュー作です。風変わりな少女の回想を中心に、幼少期~中学生時代までの過去が語られています。
今回は、今村夏子『こちらあみ子』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!
Contents
『こちらあみ子』の作品概要
著者 | 今村夏子(いまむら なつこ) |
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発表年 | 2010年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 中編小説 |
テーマ | ディスコミュニケーション |
『こちらあみ子』は、2010年に『太宰治賞2010』で発表された今村夏子の中編小説です。場の空気や他人の気持ちを理解できない少女が、母や兄など周囲の人を無意識のうちに変えてしまう様子が描かれています。第26回太宰治賞受賞作です。
2022年7月に映画が公開されました。
著者:今村夏子について
- 1980年大阪府生まれ
- 『こちらあみ子』でデビュー
- 『むらさきのスカートの女』で芥川賞受賞
- 小川洋子を敬愛している
今村夏子は、1980年生まれ大阪府出身の小説家です。風変わりな少女が主人公の『こちらあみ子』で第26回太宰治賞を受賞し、小説家デビューを果たしました。その後、『むらさきのスカートの女』で第161回芥川賞を受賞し、再び注目されています。
作家の小川洋子を尊敬していると発言しており、『星の子』の巻末には2018年に文芸雑誌『群像』に掲載された小川洋子と今村夏子の対談が収録されています。
『こちらあみ子』のあらすじ
あみ子は4人家族の長女です。自宅で習字を教える母や、面倒見のいい兄、優しい父に囲まれて育ちますが、皆どこかそっけない態度であみ子に接します。
感じたままに表現する正直なあみ子は、徐々に周囲の人からうとまれるようになっていきました。そして、母はやる気をなくしてよく寝込むようになり、兄は不良になってしまいます。その原因が分からないまま、あみ子は毎日を過ごすのでした。
登場人物紹介
あみ子
田中家の長女。風変わりで、周囲から距離を置かれている。
のり君
あみ子が思いを寄せる少年。あみ子の母が開いている書道教室に通っている。
兄
あみ子の2つ上の兄。幼い頃はあみ子の面倒をよく見ていたが、中学に上がってから不良になる。
母
あみ子の母。家で書道教室を開いている。あみ子やあみ子の兄に敬語で話す。
『こちらあみ子』の内容
この先、今村夏子『こちらあみ子』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。
一言で言うと
変わり者の見ている世界
あみ子とのり君
あみ子は、15歳のときに祖母の家に引っ越すまで、田中家の長女として育てられました。家では母が書道教室を開いていて、兄はそこに参加しています。しかし、あみ子は授業を受けることはできず、教室をのぞくことも許されませんでした。
あみ子は、教室に通う同い年ののり君という少年に惹かれていました。あみ子はのり君と仲良くなろうと話しかけますが、のり君は全く相手にしてくれません。
弟の墓
10歳の誕生日、あみ子は父からトランシーバーをもらいました。あみ子は、今度生まれてくる弟とスパイごっこをすると言って張り切ります。
12月になって、入院していた母が病院から帰って来ました。あみ子は「赤ちゃんは」と兄に聞きますが、兄は「……おらん」とだけ言います。あみ子の弟は死んでしまったのでした。
あみ子はそんな母を元気づけようと、弟の墓を作ることにしました。あみ子は、母の教室に通っていて字がうまいのり君に、立て札に字を書いてもらおうとします。しかし、あみ子が手さげから出した土だらけの立て札は、人の畑に立ててあったものでした。
のり君は「それ。横田さんちのやつじゃ」と怒りますが、あみ子は「弟のおはかって書いて」と言って聞きません。それから、あみ子はのり君に書いてもらった立て札を持って家に帰りました。
「立て札を見た母はきっと喜ぶだろう」とあみ子は思っていましたが、母は泣き崩れてしまいました。あみ子には、母が泣いている理由が分かりませんでした。
異変
そのころから兄は家に帰らなくなり、家にはタバコの匂いが立ち込めるようになります。母は、やる気をなくして書道教室をやめてしまいました。
中学校に入学したあみ子は、兄が「田中先輩」と呼ばれて恐れられていることを知ります。しかし、「田中先輩」を見たことがないあみ子は、「田中先輩」と兄を結び付けられないでいました。
ある日曜日の午後、あみ子の担任の先生が三者面談のためにあみ子の家を訪ねて来ました。そこで、あみ子はもう何年も母の手料理を食べていないことに気づき、母と初めて会ったときのことを思い出しました。
あみ子の記憶の中の母は、はきはきしながらあみ子と兄の好きな食べ物を聞いていました。
三者面談が終わったあと、父はあみ子に「引っ越しするか」と言いました。あみ子が「わかった!離婚するんじゃろう」と言うと、父は「ん?」と答えました。
部屋の片づけを始めたあみ子は、10歳の誕生日にもらったトランシーバーを見つけます。2個セットのはずですが、1個しか見当たりません。
「弟とスパイごっこしようと思っとったんじゃけぇ」とあみ子が言うと、父は怒りに震えながら「妹じゃ。女の子じゃった」と言いました。
「田中先輩」
晴れた日の朝、あみ子はベランダで物音がしたのに気づきました。実は、あみ子はだいぶ前からベランダの音を気にしていて、それは幽霊のしわざだと思っていました。家の前でエンジンの音がし、それが収まってからあみ子はトランシーバーを手に取ります。
そして、「応答せよ。応答せよ。こちらあみ子」と言います。しかし、どこからも返答はありません。あみ子がトランシーバーに向かって1人でしゃべっていると、ふいに「は?」という応答がありました。
あみ子は「幽霊がね、おるんよ。こわいんじゃ助けてにいちゃん」とトランシーバーに話しかけます。すると、部屋のふすまが開いてライオンのような人が入って来ました。初めて「田中先輩」を見たあみ子はあぜんとしてその姿を目で追いました。
「田中先輩」がベランダの植木鉢を蹴ると、バサバサと黒い鳥が飛び立っていきました。割れた植木鉢のところには、鳥の巣がありました。「田中先輩」は、巣とその中の3つのたまごを外に捨ててしまいました。
その後
中学卒業と同時に、あみ子は祖母の家に引っ越しました。父は一緒に来ませんでした。母と離婚するとも言っていませんでした。
あみ子は、あみ子を慕ってよく遊びに来る小学生のさきちゃんが遠くにいるのを見つけます。さきちゃんは、いつも竹馬に乗ってゆっくりやって来るのでした。祖母に呼ばれたあみ子は、「はあい」と返事をして家の中に入りました。
『こちらあみ子』の解説
視野を狭める
『こちらあみ子』を読んで、情報を出し惜しみしているというか、情報をしぼりにしぼって小出しにしているという印象を受けました。
たとえば、読者は「なぜ、母はあみ子やあみ子の兄に敬語を使うのか」という疑問を浮かべながら読み進めます。その疑問は晴れないまま、終盤でやっと義理の母であることが分かります。
また、家の中の変なにおいが実は兄のタバコだったり、のり君の名前が「鷲尾佳範」だったり、ずっと幽霊しわざだと思っていた物音の正体が小鳥だったりと、後になって「そういうことだったのか」と思う仕掛けがなされています。
この小説は3人称ですが、3人称小説は物語のすべてを知っている語り手が、計画的に情報を出すことで円滑に進んでいきます。情報をしぼる場合、通常は主観的な語りができる1人称が使われますが、『こちらあみ子』では3人称が使われています。
ここでは、なぜ『こちらあみ子』で「情報を極端に減らす3人称」という特殊な語りが採用されたのかを考えます。私は、「あみ子の視点を読者に共有するため」にこのような語りが採用されたのだと思いました。
あみ子は人の気持ちを推し量ったり、場の空気を読んだりすることが苦手で、加えて世間知らずな女の子です。さらに学校にあまり行っていないため、単純に教養も身に付いていない無知な存在で、知らない・分からない=視野が狭い人物です。
作者は、あえて情報を後出しする(分からない状態が持続する)語りを導入することで、あみ子の見ている世界を再現し、あみ子の視点を読者に体験させようとしたのではないかと思いました。そのために、あの独特な語りが使われたということです。
一方通行のコミュニケーション
「ねずみ色のやつじゃ」
「ねえ見してあげようか」
「のびるんよ」
「あとカメラも」
「お母さん写した」
「光ってから」
「トランシーバーしようね」
「みみず」
これは、すべてあみ子がのり君に向けて発した言葉です。あみ子は際限なく話し続けるのに、のり君はあみ子の相手をしません。あみ子のコミュニケーションは、完全に遮断されているのです。
見たまま、感じたままに脈絡もなくぽんぽん言葉を吐き出すあみ子は、周囲から面倒に思われており、まともに相手をされていません。
しかし、あみ子はそれに関して特に何も思わず、他人に言葉を投げ続けます。しかし、誰からも返答は返ってこないので、ずっと空回りしている状態です。
こうしたあみ子の「蚊帳の外感」は、あみ子の知らないところで話が進んでいるところからも読み取れます。母が病気で入退院を繰り返していることも、あみ子だけが祖母の家に引っ越すことも、あみ子はすべて後になってから知りました。
あみ子は、コミュニケーションの輪から外されている存在です。トランシーバーに応答がないことも、それを表しています。
そのため、一方的なコミュニケーションを象徴するものとして、「こちらあみ子」という言葉がタイトルになったのだと思いました。「こちらあみ子」への返答は、決して返ってこないのです。
『こちらあみ子』の感想
進まない小説
読み終えた後、「始めと終わりで、こんなに変わらない小説が存在するんだ」と驚きました。私は、小説は何かしらの「変化」を描くものだと思っています(弱虫な主人公が冒険をして強くなるなど)。
そこまで分かりやすくなくても、憂うつな気持ちが少し軽くなったり、人物同士が衝突をくりかえしたりして関係を進めるなど、なにかしらの進歩・進展があるのが小説だと思っています。しかし、『こちらあみ子』であみ子の成長は全く見られません。
あみ子は、「(他人の気持ちは)分からないけど、まあいっか」みたいな感じで自己完結してしまうからです。原因を突き止めてそれを克服しようとしないため、あみ子はまた同じ間違いをするという無限ループにおちいっています。
自分の行動で相手が傷ついているのを知ったあみ子は、一応「なぜ」という疑問を持ちます。しかし、コミュニケーションが絶たれているあみ子に、その答えを知るすべはありません。
教えてくれる人がおらず、自分で答えを見つける力もないため、あみ子はそれ以上先に進むことができないのです。
解説であみ子が空回りしていることに触れましたが、それはそのままあみ子が前に進めないことを意味していると思います。
また、竹馬に乗ったさきちゃんが、その場で足踏みをしているようになかなか近づいて来ないという描写は、あみ子の時間が止まっていることを暗示しているのではないかと思いました。
『こちらあみ子』を読んで、変わらない/進まないことが恐ろしいことなんだと思い知りました。あみ子が気にしないならそれでいいけれど、自分が止まっている間に世界が進んでいると思うと、私なら焦って苦しくなってしまうと思いました。
もう1つの物語
さきほど「あみ子の成長が描かれていないから、この小説は進んでいない」と言いましたが、それはあみ子にフォーカスしたときの話です。あみ子の両親に目を向けてみると、『こちらあみ子』はもう少し違った読み方ができます。
両親は、引っ越したりあみ子を捨てることで新たな生活を始めました。それを象徴しているのは、あみ子の兄がベランダの巣と3つのたまごを捨てたシーンです。
これは、「家(巣)」と「兄・あみ子・死んだ妹(3つのたまご)」がなくなったことを示していると考えられます。兄が巣とたまごを捨てたとき、親鳥はすでに飛び立ってしまっていました。
つまり、両親とそれまで過ごした家/子供は、離れ離れになったということです。このことから、両親は家と子供を手放して新しい生活を始めたと言えます。
両親に視点を合わせると、『こちらあみ子』は「1組の夫婦が生活をリセットする物語」とも読めると思います。
最後に
今回は、今村夏子『こちらあみ子』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。
いわゆる「変わり者」が見ている世界を追体験できる物語です。共感できる部分がある人もいると思います。語りが面白い小説なので、ぜひ読んでみて下さい!
竹馬のさきちゃんは想像の中の妹かと思いました。
コメントありがとうございます。
確かに、彼女は現実味がなく陽炎のような存在ですね。新しい視点でした!