従軍経験がある語り手が、日露戦争の活動写真を見に行く『旅順入城式』。
今回は、内田百閒『旅順入城式』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!
Contents
『旅順入城式』の作品概要
著者 | 内田百閒(うちだ ひゃっけん) |
---|---|
発表年 | 1925年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 短編小説 |
テーマ | 日露戦争へ批判 |
『旅順入城式』は、1925年7月に文芸雑誌『女性』で発表された内田百閒の短編小説です。
著者:内田百閒について
- 1889年岡山県生まれ
- 夏目漱石の弟子
- 法政大学教授
- 代表作は『阿房列車』
内田百閒は、1889年生まれ岡山県出身の小説家です。夏目漱石の弟子で、川上弘美に影響を与えた幻想的な世界観が特徴です。
31歳のときに法政大学の教授に就任しました。大阪旅行を題材にしたエッセイ『阿房列車』は、代表作となりました。
『旅順入城式』のあらすじ
登場人物紹介
私
従軍経験がある。銀婚式奉祝の日に活動写真を見に行く。
『旅順入城式』の内容
この先、内田百閒『旅順入城式』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。
一言で言うと
従軍した者だけが感じる死の恐怖
不思議な悲哀
銀婚式奉祝の日曜日、私は活動写真を見に行きました。旅順入城の写真が始まると、陸軍省から来た将校が説明をしました。
私は写真を見るうちに、20年前に歌い忘れた軍歌を思い出し、自分の昔の記憶を見ているような不思議な悲哀を感じます。
そして一隊の兵士が喘ぎながら大砲を山に引っ張っていく場面を見て、私が「苦しいだろうね」と隣の人に声をかけると、「はあ」と誰がが答えました。また「あれは何と云う山だろう」と問うと、そばにいた学生が「知りません」と言いました。
写真では、5〜6人の兵士がしきりに大砲を打っています。私は、「打たずにいたら恐ろしくてたまらない。この5〜6人の兵隊も、怖いから大砲を打っているのだろう」と思うのでした。
観客と私
ニ龍山の爆破が起き、私は味方のためとも敵のためとも知れない涙をにじませます。そして水師営が写り、悪戦二百有余日という字幕が消えました。鉄砲を持たずに背嚢も負わない兵士が、魂の抜けたような顔をして無意味に歩いています。
二百日の間に死んだ人が、今起き上がってこうして並んで通っているのではないかと思われる光景でした。
「旅順入城式であります」と先ほどの将校の声がして、見物人が激しい拍手をします。私の目からは涙が流れました。
私の目は涙で曇り、辺りが何も分からなくなって、1人で知らないところを迷っている気がしました。「泣くなよ」と隣を歩いている男が言います。拍手は止まず、私は兵隊の列を追ってどこまでもついて行きました。
『旅順入城式』の解説
『旅順入城式』の読まれ方
日露戦争後20年の大正14年に発表された『旅順入城式』は、日露戦争へ批判性が読み取られることが多い作品です。
『旅順入城式』の素材となった作品は、『旅順開城と乃木将軍』というフィルムであると考えられます(参考)。
『旅順開城と乃木将軍』には兵士の過酷な状況だけではなく、「白い歯を見せておどける兵隊」が映されており、兵士の日常を垣間見ることができます。
ところが、『旅順入城式』の「私」が観た活動写真にはそのような場面は描写されず兵士の苦しみがクローズアップされます。こうした部分に、日露戦争への批評を見ることができます。
井田氏(参考)の論文は、「大正十四年において、勝利の記憶だけが喚起されようとしている日露戦争後二十年のありように対する百間の違和感、すなわち戦争において無視される個というものを問う意識が、作品全体の構成の中ではっきりと語られているのを見て取ることが可能だと思われるのである」と結ばれています(下線筆者)。
井田望「内田百閒『旅順入城式』論 : フィルムを媒介として辿る『不思議な悲哀』」(「日本文藝研究 55 (1)」2003年6月)
『旅順入城式』の感想
没入感
『旅順入城式』は現実と活動写真の境界があいまいで、両方を行ったり来たりすることで活動写真により入り込める仕組みになっていると感じました。
活動写真は無声で活動弁士が説明を加える形式ですが、下記の引用では聞こえないはずの兵士の声が聞こえ、没入の手助けとなっています(下線筆者)。
暗い山道を輪郭のはっきりしない一隊の兵士が、喘ぎ喘ぎ大砲を引張つて上がった。年を取った下士が列外にいて、両手を同時に前うしろに振りながら掛け声をかけた。下士の声は、獣が泣いている様だった。
私は涙で目が曇って、自分の前に行く者の後姿も見えなくなった様な気がした。辺りが何もわからなくなって、たった一人で知らない所を迷っている様な気持がした。
「泣くなよ」と隣を歩いている男が云った。
また下記の引用からは、リアルな情景が目の前に浮かんできて、兵士の焦燥がじわじわ伝わってきます。
そこにいる五六人の兵隊も、怖いからああして大砲を打っているのだ。砲口の白い煙が消えてしまうと、私は心配になった。狙いなど、どうでもいいから、早く次ぎを打ってくれればいいと思って、いらいらした。
この没入により、活動写真の中の兵士が感じた不安や恐怖を追体験できます。
作中では、語り手が一緒に活動写真を見ている人に声をかけたり、字幕を見たり、活動弁士の声や拍手を聞いたりして、活動写真から現実に戻る場面がいくつかありました。
しかし、最後は死者のように見える兵隊の列の後を追って現実に戻って来ない状態で語りが終了しており、このままついて行ったらどうなるのか想像力がかき立てられました。
最後に
今回は、内田百閒『旅順入城式』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。
ぜひ読んでみて下さい!