個人的に、ラストの腑(ふ)抜け感が絶妙に笑いを誘う『吉野葛(よしのくず)』。
今回は、谷崎潤一郎『吉野葛』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!
Contents
『吉野葛』の作品概要
著者 | 谷崎潤一郎(たにざき じゅんいちろう) |
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発表年 | 1931年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 中編小説 |
テーマ | 日本回帰・母への思慕 |
『吉野葛』は、1931年に文芸雑誌『中央公論』(1月号~2月号)で発表された谷崎潤一郎の中編小説です。小説家の語り手が、執筆の手がかりを得ようと奈良県の吉野を訪れる様子が描かれています。Kindle版は無料¥0で読むことができます。
著者:谷崎潤一郎について
- 耽美派作家
- 奥さんを友人に譲るという事件を引き起こす
- 大の美食家
- 生涯で40回の引っ越しをした引っ越し魔
谷崎潤一郎は、反道徳的なことでも美のためなら表現するという「唯美主義」の立場を取る、耽美派の作家です。社会から外れた作品を書いたので、「悪魔」と評されたこともありました。
しかし、漢文や古文、関西弁を操ったり、技巧的な形式の作品を執筆したりして、今では日本を代表する作家として評価されています。
『吉野葛』のあらすじ
「私」は、後南朝を題材に小説を書こうとしています。その題材というのは、南北朝の争いが一旦収束した後、北朝にあらがった南朝の武士が、北朝から盗んだ神璽(しんじ)を持って吉野に60年潜んだという一連の出来事です。
「私」は旧友の津村に吉野を案内してもらい、小説の材料を集めることにしました。そこで、「私」は吉野という土地のことや、津村が今回吉野に行くにいたった経緯を聞くのでした。
登場人物紹介
私
後南朝時代をベースに歴史小説を書こうとしている小説家。旧友の津村に案内してもらいながら、小説の資料を集めに吉野へおもむく。
津村(つむら)
「私」の高校時代の友人。大阪に住んでいるが、親戚が吉野にいるため「私」を案内することになった。旅の途中、自身と母の話を「私」に聞かせる。
お和佐(わさ)
津村の叔母の孫。奥吉野の親戚の家で、紙すきを手伝っている。
『吉野葛』の内容
この先、谷崎潤一郎『吉野葛』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。
一言で言うと
秋の吉野での出来事
いざ吉野へ
今から20年前の明治末か大正初期、「私」は後南朝時代を題材に歴史小説を書こうとしていました。旧友の津村に案内してもらった私は、小説の材料を集めるために秋の吉野を訪れます。
吉野川をさかのぼって歩いている途中、津村はふいに自身の身の上話を始めました。
津村と母
津村は、幼い頃に亡くした母親のルーツを知るために吉野に来たのだと言います。津村は、会ったことのない母親に一種の憧れを抱いていたのでした。
少ない手がかりを頼りに調査をした津村は、2~3年前についに母の生家が吉野にあることを突き止めます。
津村の目的
そして初めて母の生家を訪れたとき、17~18歳くらいの娘が紙をすいていました。彼女は決して美しくない大柄な田舎娘でしたが、津村は不思議と彼女に惹かれました。
お和佐というその娘は、普段は実家の農業を手伝い、冬になると吉野の紙すきの手伝いをしているのだと言います。
「で、今度の旅行の目的というのは?」とたずねる「私」に、津村は「僕はその娘を嫁に貰いたいと思うんだが、」と告げました。
その後
津村の吉野旅行の目的は、お和佐への求婚だったのです。そして、津村はめでたくお和佐と結婚しました。
一方で「私」が書こうと思っていた小説は、材料負けで完成することはついにありませんでした。
『吉野葛』の解説
小説か?紀行文か?
『吉野葛』は、小説家の「私」が材料を探しに吉野に行き、そこで旧友・津村の物語を聞くという構造です。
地名が頻出することや、そののんびりとした雰囲気から「紀行文(旅行の行程をたどるように、体験した内容を書いた文章のこと)っぽいな」と思った人もいるのではないでしょうか?
実際当時の評価には、小説なのか紀行文なのかよく分からないこの作品を、否定的にとらえたものもありました。
結論から言うと、『吉野葛』は小説です。なぜなら、語り手「私」の経験と谷崎の経験がリンクしていないからです。
たとえば、「私」は幼少期や青年期に吉野を訪れたことがあるという設定になっていますが、谷崎自身が初めて吉野を訪問したのは成人してからです。『吉野葛』は紀行文のような雰囲気をまといながらも、完全な虚構なのです。
柴田 勝二「〈自然〉の牽引──『痴人の愛』『吉野葛』における魅惑の在り処」(「総合文化研究(22)」2019年2月)
『吉野葛』の位置づけ
谷崎は、前期と中期で作風をガラリと変えています。前期の谷崎は、『痴人の愛』に代表されるように西洋の絶対的な肯定・西洋崇拝の雰囲気が色濃く出た作品を執筆していました。
しかし、関東大震災をきっかけに関西(かつて都があった場所)へ移住したことにともない、徐々に日本的なものへの興味を深めていくのです。
『吉野葛』は谷崎の中期の作品であり、本作は「作者が急角度を以て古典的方向に傾いた記念的作品」(佐藤春夫)というように評価されています。
こうした古典的なものへ回帰する流れは、随筆『陰翳礼讃(いんえいらいさん)』につながっていきます。この作品は、西洋と日本を比較したときの日本的な美について書いた作品です。
また、実母に対して理想の女性としての憧憬(しょうけい)の念を抱いていた谷崎は、『母を恋うるの記』や『少将滋幹の母』など、母への思慕をテーマとした作品を執筆しています。
作中に母をめぐる津村の物語が挿入されていることを考えたとき、『吉野葛』もその流れを汲んでいると言えます。
①西野 厚志「再生する紙に〈理想(イデア)〉は宿る:谷崎潤一郎「吉野葛」と紙の来歴」(「京都精華大学紀要(54)」2021年2月)
②井上靖『吉野葛・盲目物語』解説(1994年5月 五一刷 新潮社)
吉野の地図
作品の舞台は、星印で示した通り奈良県の真ん中のあたりです。
こちらは上の地図を拡大したものです。「私」と津村は吉野川に沿って上り、最終的に国栖(くず)にたどり着きました。その途中で、妹背山(いもせやま)の話が挿入されました。
『吉野葛』の感想
脱線に脱線を重ねる
私の計画した歴史小説は、やや材料負けの形でとうとう書けずにしまったが、この時に見た橋の上のお和佐さんが今の津村夫人であることは云うまでもない。
これは『吉野葛』の最後の段落にある文です。この部分を読んだとき、思わず笑ってしまいました。
当初、「私」は「私はこれだけの材料(注:南北朝争いの一連の出来事のこと)が、なにゆえ今日まで稗史小説家の注意を惹かなかったかを不思議」だと感じていました。
「私」は、これまで誰も手を付けてこなかったテーマを見つけられたことを喜ばしく思っていたのです。そして「他のだれかがこの題材で小説を書く前に、自分が形にしてしまおう!」と意気込んでいました。
しかし、話はいつの間にか津村の母恋いへシフトし、最終的には「材料負けで書けませんでした」というオチがつきました。
また脱線の話でいくと、吉野の妹背山の話から歌舞伎の『妹背山女庭訓(いもせやまおんなていきん)』を思い出したり、そこから津村の言葉をきっかけに『義経千本桜』→義経の妻の静御前→静御前の初音の鼓……と「私」の思考が移り変わったりします。
このように『吉野葛』には、「○○だった。あ、○○といえば……」というように、話が本筋から離れてあちこちに飛ぶ部分が多いと言う印象を受けました。
こうした一見計画性がないと思われる脱線は、『吉野葛』に小説ではなく紀行文らしさを加えている要因だと感じました。
最後に
今回は、谷崎潤一郎『吉野葛』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。
青空文庫にあるので、ぜひ読んでみて下さい!
↑Kindle版は無料¥0で読むことができます。