主人公が、自分の置かれた環境への不満を爆発させる『異端者の悲しみ』。
今回は、谷崎潤一郎『異端者の悲しみ』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!
Contents
『異端者の悲しみ』の作品概要
著者 | 谷崎潤一郎(たにざき じゅんいちろう) |
---|---|
発表年 | 1917年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 短編小説 |
テーマ | 鬱憤(うっぷん) |
『異端者の悲しみ』は、1917年に雑誌『中央公論』(7月号)で発表された谷崎潤一郎の短編小説です。谷崎自身が「自伝的小説」としている小説で、東京の下町でくすぶっている青年が描かれています。
著者:谷崎潤一郎について
- 耽美派作家
- 奥さんを友人に譲るという事件を引き起こす
- 大の美食家
- 生涯で40回以上の引っ越しをした引っ越し魔
谷崎潤一郎は、反道徳的なことでも美のためなら表現するという「唯美主義」の立場を取る、耽美派の作家です。社会から外れた作品を書いたので、「悪魔」と評されたこともありました。
最初の妻・千代子の妹に惹かれていた谷崎は、千代子を友人で作家の佐藤春夫に譲るという「細君(さいくん)譲渡事件」を引き起こしました。また大の美食家で、食には大変なこだわりを持っていた人物です。
さらに、書いている作品のイメージに近い家に移り住み、生涯で40回以上の引っ越しをしました。谷崎は漢文や古文、関西弁を操ったり、技巧的な形式の作品を執筆したりして、日本を代表する作家とされています。
『異端者の悲しみ』のあらすじ
大学生の章三郎は、家の人が章三郎のことを理解してくれないことや、貧乏な実家に不満を持っています。また、病弱でわがままな妹を持て余していました。
そんな時、章三郎は借金をしていた友人が亡くなったという知らせを受けます。章三郎はそれを知っている別の友人たちから非難されますが、口のうまい章三郎は得意の話術で場の雰囲気を和ませます。章三郎は、そんな薄い付き合いに嫌気がさすのでした。
登場人物紹介
章三郎(しょうさぶろう)
貧乏大学生。家族とは折り合いが悪い。
お富(おとみ)
章三郎の妹。15歳で、重い病気にかかっている。
『異端者の悲しみ』の内容
この先、谷崎潤一郎『異端者の悲しみ』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。
一言で言うと
誰にも理解されない辛さ
変な口癖
章三郎は、日本橋・八丁堀にあるぼろぼろの家に住んでいます。窓からは薄汚れた景色が見えます。自分は大学で文学を学んでいる優秀な人間なのに、なぜこんなみじめな暮らしをしなければならないのだろうと悔しく思います。
そして、章三郎には近ごろ変な独り言を言う癖がついていました。それは、「楠木正成(くすのきまさしげ)を討ち、源の義経を平らげ……」「お浜ちゃん、お浜ちゃん、お浜ちゃん」「村井を殺し、原田を殺し……」というものでした。
章三郎には、お富という治る見込みのない肺病の妹がいます。余命は1~2か月ですが、彼女は病人とは思えないほどふてぶてしい態度で章三郎に接します。章三郎は、この生意気なお富が嫌いでした。
章三郎は、トイレの中で考え事をするのが好きです。トイレでベルクソンの哲学について考えていると、お富は「兄さんが便所に行くと、日が暮れてしまうじゃないの。もう少し早くできないもんかねえ。……ねえかあちゃん!」と母親に告げ口するのです。
友人の死
ある日、章三郎は友人の鈴木が死んだという電報を受け取ります。実は章三郎は鈴木に5円(2万円くらい)の借金をしていました。しかし、章三郎は返済のめどが立たなかったため、遂にお金を返しませんでした。
返済を催促する手紙が何度か届きましたが、章三郎はすべて無視します。章三郎が友人のNの家に遊びに行ったとき、Nは鈴木に金を返すよう忠告しましたが、章三郎は聞く耳を持ちません。
章三郎の友人たちはあきれ返ります。そして章三郎は、鈴木の葬式で友人らに再会しました。はじめは、彼らは章三郎と真面目に話をしようとしませんでしたが、口がうまい章三郎は瞬く間に友人を笑わせ、自分のマイナスイメージを取り払うことに成功しました。
章三郎は、このうわべだけの薄っぺらい付き合いを見て、なんとも言えない気持ちになるのでした。
お富の死
そのころ、お富の病状は一気に悪くなりました。女のもとに通っていて、お昼ごろに目を覚ました章三郎は、「今夜あたり、お富が死ぬのでは?」と思いました。それから映画を見たりして、章三郎は夜の9時に家に帰りました。
すると、親戚が狭い家に集まっています。危篤のお富は、帰ってきた章三郎をじっと見つめました。章三郎は、「なんでお前は己(おれ)をそんなににらむのだ」と心の中で問いかけます。
お富は「15や16で死んでしまうなんて……だけど、あたいは苦しくも何ともない」と言って亡くなりました。
それから2か月後、章三郎はある短編小説を発表しました。それは、当時流行していた自然主義とは全く違う、妖しい悪夢を材料にしたものでした。
『異端者の悲しみ』の解説
ラスト3行について
それから二た月程過ぎて、章三郎は或る短編の小説を文壇に発表した。彼の書くものは、当時世間に流行して居る自然主義の小説とは、全く傾向を異にして居た。それは彼の頭に醗酵する怪しい悪夢を材料にした、甘美にして芳烈なる芸術であった。
「或る短編」とは、明治43年に発表された谷崎潤一郎の『刺青』のことです。最後の3行は、それまでの場面とは全く違う内容で、唐突に挿入されています。逆に、作者は全くこのようなラストを想像していないため、意外性のある非常に興味深い終わり方です。
この3行にあまりにもインパクトがあるため、「谷崎はこの3行を書くために、『異端者の悲しみ』を書いたのではないか」という意見もあります。
藤原智子「谷崎潤一郎『刺青』に込められた「兄」の思い–『異端者の悲しみ』削除箇所及び「妹」と「娘」(刺青)の造型について」(『日本文芸研究』2005年6月)
『異端者の悲しみ』の感想
谷崎と章三郎
最初の独り言は何かの伏線なのかと思いきや、全然そんなことはありませんでした。私は独り言を言う癖がないので、あまり章三郎の心理が理解できなかったです。
章三郎のモデルは谷崎自身です。谷崎はもともと裕福な家庭の生まれだったのですが、父親が事業に失敗してしまったため、一家は貧乏になってしまいました。谷崎は、才能を認めてくれる人たちから援助されて、ギリギリ学校に通えていたのです。
そのころ、高等教育を受けられるのはお金持ちだけでした。そのため、訳ありの谷崎は周りの裕福な学生と自分を比べて苦しんだろうと思います。
「なぜ自分のような優秀な人間が、こんな下町で生活しなければならないんだ」と嘆く章三郎と、谷崎がリンクしているように感じました。
また、谷崎はそのスキャンダラスな作風から、批判を受けることもあった作家です。そのため、「自分は周りとは少し違う」ということを意識していたのではないかと思います。それが「異端者」という言葉に表れていると感じました。
最後に
今回は、谷崎潤一郎『異端者の悲しみ』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。
すぐに読める短編なので、ぜひ読んでみて下さい!