『1R(ラウンド)1分34秒』は、初戦以降なかなか勝てないプロボクサーが、新しいトレーナーと二人三脚で勝ちに行く物語です。
今回は、町屋良平『1R1分34秒』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!
Contents
『1R1分34秒』の作品概要
著者 | 町屋良平(まちや りょうへい) |
---|---|
発表年 | 2018年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 中編小説 |
テーマ | 勝利 |
『1R1分34秒』は、2018年に文芸雑誌『新潮』(1月号)で発表された町屋良平の中編小説です。スランプにおちいったプロボクサーが、モチベーションを取り戻して再スタートする様子が描かれています。第160回芥川賞受賞作です。
著者:町屋良平について
- 1983年東京都生まれ
- フリーターをしながら小説の執筆を開始
- 『青が破れる』でデビュー
- 『1R1分34秒』で芥川賞受賞
町屋良平は、1983年生まれ東京都出身の小説家です。高校卒業後、フリーターをしながら小説の執筆を始め、2016年に『青が破れる』で第53回文藝賞を受賞しました。2019年には『1R1分34秒』で第160回芥川賞を受賞し、注目を集めました。
『1R1分34秒』のあらすじ
ぼくは、デビュー戦を初回KOで飾ってから、2敗1分というぱっとしない成績を持つボクサーです。試合前に対戦相手のことを徹底的に分析したり、考えすぎてしまったりする性格があだとなり、なかなか結果を出せずにいました。
そんなとき、ぼくは5年の付き合いがあるトレーナーに見捨てられてしまいます。新しいトレーナーは先輩の現役ボクサーで、変わり者として定評のあるウメキチという人物でした。
ぼくは、初めはウメキチのことを信頼していませんでしたが、徐々に心を開くようになります。そして、ぼくはウメキチがトレーナーになってから初めての試合に向かって、全力で練習に励みます。
登場人物紹介
ぼく
スランプにおちいっている21歳のプロボクサー。パチンコ屋でバイトをしている。
友だち
「ぼく」の友だちの大学生。趣味で映画を撮っている。
ウメキチ
「ぼく」と同じジムに所属する先輩の現役ボクサー。ぼくより4歳くらい上の駆け出しトレーナーで、ぼくの指導をする。
トレーナー
「ぼく」のトレーナーを5年続けた人物。
女の子
「ぼく」が所属するジムに体験でやってきた女の子。ぼくと関係を持つようになる。
『1R1分34秒』の内容
この先、町屋良平『1R1分34秒』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。
一言で言うと
考えすぎるボクサーの物語
ぼくの癖
「ぼく」は、デビュー戦からうだつが上がらないプロボクサーです。ぼくの癖は、対戦相手のことをSNSやネットで調べ上げ、夢の中で親友になってしまうことでした。試合中にあれこれ考えてしまうのも、瞬発力が必要なボクサーにとって致命傷です。
ぼくは対戦相手の「青志くん」のことを調べ上げて試合に臨みましたが、また負けてしまいました。
次の日、ぼくは唯一の友だちと出かけます。映画制作が趣味の友だちは、常にiPhoneを構えています。ぼくは、iPhoneを向けられたら必ず何かをしゃべるように言われており、青志くんとの試合のことを取りとめもなく話すのでした。
ウメキチ
ある日、ジムに体験希望の女性が2人やって来ました。ぼくはもたもたしている方の女の子に惹かれ、彼女のフードに電話番号を書いた紙を入れました。その女の子には彼氏がいましたが、ぼくは彼女との関係をスタートさせます。
その後ジムへ行くと、トレーナーは「ちょっと、しばらくおれ忙しいからさ、ウメキチについてもらおうぜ」と言いました。ぼくは、トレーナーに見捨てられてしまったのです。
ウメキチは、ぼくの心を読んでいるかのように、ぼくが思っていることを先読みして話しかけてきます。ぼくはウメキチと練習に励みますが、ウメキチの指示に納得できず、思わず反発してしまいます。
すると、ウメキチは「お前は勝ちたいのか?きれいなボクシングにしがみつきたいのか?」とぼくに問いました。
嫉妬の味
ぼくは友だちに誘われ、オペラを観に行きました。そこで、ぼくは友だちに「̪ショートフィルムのコンペで最優秀賞に選ばれた」と告げられます。
ぼくが「いまのはなし、ほんとう?」「おまえ、成功したの?」「おまえ、天才なの?」と聞くと、友だちは「うそにきまってんじゃん」と笑いました。ぼくは、口の中に苦い嫉妬が広がるのを感じました。
勝つ
次の試合が決まり、ぼくはウメキチに10キロ減量するように言われました。そして、試合前の不安定な情緒のせいで、女の子を傷つけたくないと思ったぼくは、女の子に別れを切り出します。女の子は怒り狂い、ぼくをめちゃくちゃに叩きました。
トレーニングと減量による飢餓感でぼくは極限状態でしたが、それでも「試合に勝つ」という目標に向かっているぼくは、人生に楽しさを見出すようになります。そして、3日後の試合に向けて、「勝つ」という決意をくりかえすのでした。
『1R1分34秒』の解説
意識の流れを書く
『1R1分34秒』を読んでいて面白いと思ったのは、ぼくの思考の流れが意識的に描かれている点です。地の文と、ぼくがiPhoneを向けられて語る場面がそれに該当します。
たとえば、ぼくは試合のことを考えたかと思ったら肉のことを考えます。試合後の空虚感に浸っていたかと思いきや世の女の子の可愛さに関心しており、ぼくの思考は散らかっています。
「相手……善良だった。夢のなかよりじっさい、気弱で、スリップしたときなんか、起き上がったときにぺこって頭下げたりしてるのを、あ、いまおもいだした。(中略)ぼくがストップされてセコンドに介抱されているときも、勝利に酔いながらも心配そうにみてたの、あ、それもおもいだした。おもいだすことばっかりだ……いや、ビデオかも。ビデオでみたのかな?いや、ビデオじゃそこまで確認できないか……。
これは、友だちにiPhoneを向けられて無理やりしゃべっているときのぼくのセリフですが、行ったり来たりしたり止まったりして、文章としては体裁をなしていません。
こういう整理されていない文章には、その人物の無意識を引き出す性質があります。日記体で書かれた文章もこれと同じです。
日記は筆の進むままにどんどん書きつづっていくものなので、研究論文やビジネス文書のような精巧性は求められません。結論が一つではなくても、発言に矛盾点が生じても、内容が整理されていなくても、文章として成り立ちます。
思ったことを推敲せずに生のまま表現することにより、その人物が本当に思っていることや、無意識がにじみ出やすくなるのです。
友だちは「思ったことをその場で言語化すること」をぼくに要求しました。その結果、ぼくは整頓されていない内容を語ることになり、めちゃくちゃに語るのです。
こうした文体は、自然な意識の動きを描くことに役立っています。
この小説では、初めはウメキチを警戒していたぼくが最終的に彼を信頼するようになったり、捨てていたウメキチの弁当を食べるようになったり、ぼくがウメキチにタメ語を使うようになったりと、さまざまな変化が描かれています。
このようなできごとの移り変わりは、ふつう劇的ではなく少しずつ、自然に起こります。
作者は、読者に違和感を覚えさせることなくその移行を完了させるために、思考が混濁するような地の文や、整理されないまま言語化される友だちの撮影シーンを入れたのだと思いました。
また、この小説はひらがなの使い方が独特です。「友だち」「ちいさい」ならまだしも、「つよくかんじられた」「女のこ」という風に、ひらがなにすると不自然に感じる字もひらがなで書かれています。
しかし、漢字を意図的に排除しているかと思いきや、「他人の心情に斟酌(しんしゃく)しない潔さを身につけたい」「ウメキチが宥(なだ)めすかして」などの硬い表現も用いられています。
作者が簡単なひらがなと難しい漢字を混ぜたのは、整理されていないぐちゃぐちゃの思考を演出するためだったのかもしれないと考えます。
発信すること/語ること
この小説には、トレーナーや友だち、バイト先のパチンコ屋の人やウメキチが登場します。彼らは、「トレーナー/パチンコ屋の店長・従業員」「ウメキチ/友だち」という風に分けられると思います。
私は、彼らを「ぼくのコミュニケーションが円滑かどうか」「ぼくが自分の言葉で話しているかどうか」という基準で分けました。
まず、「ぼくのコミュニケーションが円滑かどうか」についてです。ぼくは、トレーナーが言うことに「はい」とだけ言っていました。また、5年の付き合いにもかかわらず、トレーナーはぼくが「無類のラーメン好き」だと勘違いしています。
これらは、ぼくがトレーナーからの言葉をすべて受容していて、適切なコミュニケーションが取れていないこと、トレーナーから一方的にアクションがあって、ぼくは何も返せていないことを表していると思います。
一方で、ウメキチはぼくが考えていることを見透かしている節があり、2人はなんとなく波長が合っていることが示されています。ぼくも気張ることなく自然にウメキチと付き合えており、思ったことを素直に口にしています。
トレーナーとウメキチを比較してみると、ぼくのことをしっかり理解していて、ぼくが会話のキャッチボールを行えているのはウメキチで、トレーナーにはそれができていなかったことが分かります。
次に、「ぼくが自分の言葉で話しているかどうか」についてです。ぼくは、バイト先のパチンコ屋の人に試合についてあれこれ言われても、何も言わずにただ受け止めていました。
しかし、映画を撮る友だちは、iPhoneを向けて強制的にぼくに語らせます。「どうなの、いまの心境は?」「相手はどうだった?」「なんでおまえはボクシングやってんの?」と質問を投げかけ、無理やりぼくに言葉をつむがせるのです。
パチンコ屋の人と友だちを比較してみると、パチンコ屋の人にたいしてぼくは圧倒的に言葉足らずで、友だちにたいしてはかなり饒舌(じょうぜつ)であることがわかります。
友だちのiPhoneのくだりは、一見なんで挿入されているのかわかりませんが、「語る」という行為がぼくに自分と向き合わせたことを表しているのではないかと思います。
思いついたままに言葉を吐き出すと、自分も知らなかった一面が顔を出したりします。友だちは、ぼくが自分を見つめる機会を与えていたのです。この小説は、性質の異なる対照的な人たちがぼくに関わることによって、進行していると言えます。
『1R1分34秒』の感想
弱いボクサー
一人称がひらがなで「ぼく」だったり、対戦相手の名前に「くん」をつけて呼んだり、ぼくは一般的なボクサー像から離れた人物として描かれています。大人しくて、「教室の隅で静かに本を読んでいる男の子」みたいな繊細な青年という印象を受けました。
こうした「繊細なぼく像」には、ぼくが家族と縁を切ってボクサーになることを選んだり、強烈なスランプから抜け出す精神の強さを持ち合わせていたりするギャップを演出する機能があったのだと思います。
屈強なボクサーのイメージを全面に出すのではなく、試合前の心細さに耐えきれず、思わず「おかあさん」とつぶやいてしまう場面を挿入するなど、読者が親近感を覚えるポイントをおさえていると感じました。
そんな繊細で、内省をくりかえすぼくが出した結論は、「1ラウンド1分34秒にTKOであっさり勝つ」でした。
いろいろ考えるけど、どんなスポーツも結局「勝つこと」にたどり着くんだなと思いました。久しぶりにスポーツ系の小説を読みましたが、そのあまりのシンプルさに拍子抜けしたと同時に、潔さとかっこよさを感じました。
最後に
今回は、町屋良平『1R1分34秒』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。
ボクシングが好きな人はもちろん、ボクシングに詳しくない人でも楽しめる小説です。ぜひ読んでみて下さい!