『乳と卵』は、川上未映子の芥川賞受賞作です。
今回は、川上未映子『乳と卵』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!
Contents
『乳と卵』の作品概要
著者 | 川上未映子(かわかみ みえこ) |
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発表年 | 2007年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 中編小説 |
テーマ | 女性の生きにくさ |
『乳と卵』は、2007年に文芸雑誌『文學界』(12月号)で発表された川上未映子の中編小説です。豊胸手術のために上京してきた巻子とその娘、巻子の妹である夏子が過ごす数日間を軸に、女性として生きることの大変さが描かれています。
著者:川上未映子について
- 1976年大阪府生まれ
- 『わたくし率イン歯ー、または世界』でデビュー
- 『乳と卵』で芥川賞受賞
- メディアを問わず活動中
川上未映子は、1976年生まれ大阪府出身の詩人・小説家です。2007年に『わたくし率イン歯ー、または世界』でデビューし、2008年には『乳と卵』で芥川賞を受賞しました。その後も『ヘヴン』『あこがれ』などの作品を発表し、数々の文学賞を獲得しました。
かつては歌手として活動していたこともあり、ラジオやテレビ、映画など幅広く活動しています。英訳されている作品もあり、海外からの注目も集めている作家です。
『乳と卵』のあらすじ
東京に住む夏子のもとに、豊胸手術のために上京してきた姉の巻子がやって来ました。巻子は豊胸について熱く語りますが、巻子の娘の緑子は冷めた目で見ていました。
半年前から言葉を話さなくなった緑子は、ノートに文字を書いてコミュニケーションを取っています。こうして、夏子と巻子、緑子の3日間の共同生活が始まります。
登場人物紹介
夏子(なつこ)
主人公。巻子の妹。東京都台東区三ノ輪にあるアパートで暮らしており、巻子と緑子を数日間家に泊める。
巻子(まきこ)
夏子の39歳の姉。大阪のホステスとして働き、女手一つで娘を育てている。豊胸手術のために大阪から夏子のいるアパートにやって来た。
緑子(みどりこ)
巻子の娘。半年前から言葉を話さなくなり、ノートに文字を書いてコミュニケーションを取っている。
『乳と卵』の内容
この先、川上未映子『乳と卵』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。
一言で言うと
世知(せち)辛い世の中
上京
巻子と緑子は、夏の暑い日に大阪から東京にやって来ました。言葉を発しない緑子は夏子のアパートへ着くと、筆談用のノートに「歩いてくる」と書き、散歩に行ってしまいます。そのタイミングで、巻子は「あの子な、なんやろうなあ」と言いました。
それから、巻子はたくさんのパンフレットをカバンから出して、豊胸手術の紹介を意気揚々と始めました。夏子は、巻子が自分では気づかないうちに早口になり、声がうわずっているのを聞き逃しませんでした。
銭湯
夕方になると、緑子が帰って来ました。緑子と巻子は無言でテレビを見ていますが、その気まずさを断ち切ろうと、夏子は銭湯に行くことを提案し、巻子と家を出ます。
手術の一件があり、夏子は巻子の胸の様子が気になりました。しかし、巻子は湯につかるときも体を洗う時も、タオルで隠しています。巻子は、湯船につかりながら出入りする女性を一心不乱に見続けていました。
帰り道、夏子は「豊胸ってゆっても、ほんまにそれが、一番、っていうか、大事かねえ、例えば肌とかさ、その、もうちょっと太ってみるとか、若さを取り戻す的な方向でっていうんやったらば」と言いました。
巻子は、ぽつりと「若い、とかじゃないねん」とだけ言いました。
ほんまのこと
巻子と緑子が上京してから2日が経ち、巻子は手術のカウンセリングをしに朝から出かけていました。夕方の5時ごろには帰るとのことでしたが、6時になっても7時になっても巻子は帰って来ません。
夜になってから、巻子はようやく帰って来ました。ひどく酔っていて、「緑子のおとんに会ってきた」と言いました。
それから緑子に「喋れんのやったら、あのいつものノートで、なんか云いたいことあったら得意のあれで書きや、あたしが死ぬまで」と話しかけます。そのとき、緑子は「お母さん」と言いました。
緑子は、玉子を自分の頭にたたきつけながら「ほんまのことを、ほんまのことをゆうてや」と言って泣き続けます。巻子は、緑子の頭についた玉子をふいてやり、黙って背中をさするのでした。
何のための体か
次の朝、巻子と緑子は大阪に帰っていきました。巻子は、手術について結局何も言いませんでした。2人を見送ってから帰宅した夏子は、シャワーを浴びます。そこで、夏子は顔から下を鏡に映してみました。
鏡の中の体は、ぼんやりといつまでも浮かんでいるようでした。
『乳と卵』の解説
現代版雅文
『乳と卵』の最大の特徴は、句読点やカギかっこ等の記号の使用がおさえられているところです。
駅からまっすぐ、小学校を越え、大きな信号をふたつ越えて、十分ほど歩く距離をわたしら無言で歩いたらば、わかりやすい場所にわたしの住むアパートが見え、そこは二階建ての古い建物、ここここ、とわたしは顎で示しながら、狭いとこやけどもまあゆっくりしてってと笑ってみせると巻子は嬉しそうに笑って、へえ、あんたここに住んでるんねえ、へえ、と誰に聞かせるつもりかさらに大きな声でそう云ってへええを連呼、……
この文章を読みにくいと感じるのは、私たちが現代人だからです。本来、日本語の文章には句読点やカギかっこなどの記号はありませんし、主語を書くという習慣もありません。
教科書に載っている古文には、現代人が読みやすいように句読点が付けられていますが、原文にはそのような記号は使われていません。文章記号は、明治時代に日本語の文章を西洋の文章に近づけるために考案されたものだからです。
現在私たちが使っている文章は、「主語を必ず書く」「文章をぶつ切りにする」という西洋の文章のルールにのっとり、西洋風に変えられた文章なのです。
『乳と卵』の文章は、その意味で非常に懐古趣味な文章だと思います。文に区切れがなくて、文章がさらさらと頭の中を流れるのが新鮮でした。
記号で整理された西洋的な文章に慣れている現代人にとって、このように昔から使われていた日本的な文章は、一周まわって新しく感じられると思います。
また、面白いと思ったのは関西弁が登場することです。リズムが良くて読んでいて楽しいというのももちろんですが、私は関西弁(話し言葉)が使われていることに興味を持ちました。
近世(江戸時代)以前は、話し言葉でものを書くという習慣がなかったため、書物は正式で堅苦しい書き言葉で書かれました。古文の本場である関西でもそれは同じです。
ところが、『乳と卵』では関西の方言が古文のような文体で書かれています。つまり、『乳と卵』の文章は、区切れのない古文的な文体と、現代の話し言葉がかけ合わさって生まれたものと言えます。
そのため、もし『乳と卵』の文体に名前を付けるなら、「現代版雅文(がぶん。平安時代のかな文のこと)」としたいと思いました。
『たけくらべ』との関連
『乳と卵』は、明治時代の女流作家・樋口一葉の『たけくらべ』のオマージュだという見方がされています。
そう言われる理由の1つ目は、登場人物の名前です。語り手は夏子と言い、美登利からは「夏ちゃん」と呼ばれていました。樋口一葉の戸籍上の名前は「奈津(なつ)」といい、2人の名前には共通点があります。
また、巻子の娘は「緑子」という名前で、『たけくらべ』に登場する主人公は「美登利(みどり)」です。ここにも名前に関連があります。
2つ目の理由は、物語がくり広げられる場所です。『乳と卵』は、台東区三ノ輪にある夏子のアパートが舞台となっています。一方で『たけくらべ』は、かつて台東区にあった吉原(よしわら。政府公認の遊郭)周辺が舞台です。
3つ目の理由は、緑子と美登利の発言が似ていることです。『乳と卵』の緑子は、自身の日記に「厭、厭、おおきなるんは厭なことや」と書きました。
『たけくらべ』の美登利も、「ゑゑ、厭や厭や大人に成るは厭やな事」と言っています。このように、両者は設定だけではなく内容も似ている事が分かります。
比較していて面白いと思ったのは、成長の描き方の違いです。『乳と卵』では、「卵子」「卵細胞」「生理」という言葉が用いられて、成長が直接的に書かれています。
一方『たけくらべ』では、美登利が大人になったことが髪型の描写を通して間接的に読者に知らされます。
明治時代の女性は、既婚なら丸髷(まるまげ)、少女なら銀杏返し(いちょうがえし)という風に、ステータスや職業、年齢によって結う髪型が決まっていました。
美登利が物語の途中で結い始めた島田髷(しまだまげ)は、大人の女性の象徴です。ここに、美登利が初潮を迎えたことがほのめかされているのです。
描き方は違えど、「あたしはいつのまにか知らんまにあたしの体の中にあって、その体があたしの知らんところでどんどん変わっていく」という緑子の言葉に表れているように、この2つの物語では大人になることへの不安が表現されています。
『乳と卵』と『たけくらべ』を読み比べてみると、もっと面白い発見ができるかもしれません。
岩下祥子「川上未映子『乳と卵』の教材としての可能性 : 解釈をめぐる演習の授業実践報告」(『九大日文』2019年3月 九州大学日本語文学会)
『乳と卵』の感想
母娘
『乳と卵』の大きなテーマが「女性の生きにくさ」だとすれば、小さなテーマは「母と娘」だと思います。緑子は、反抗期というのもあるかもしれませんが、母親の巻子のことを毛嫌いしています。
理由として、手術をしてまで胸を大きくしたいと考えている巻子を理解しかねていることや、水商売をしてなんとかお金を稼いでいる巻子へのいたたまれなさなどが挙げられます。しかし、緑子は心の底では巻子のことを大切に思っています。
あたしは、お母さんが、心配やけど、わからへん、し、ゆわれへん、し、あたしはお母さんが大事、でもお母さんみたいになりたくない、そうじゃない、早く、お金とか、と息を飲んで、あたしかって、あげたい、そやかって、あたしはこわい、色んなことがわからへん
緑子は、ホステスとして身を粉にして働く巻子を心配しています。同時に、その原因は自分にあり、「自分が生まれなかったら、母は苦しむことなかったのに」という思いさえ抱いています。
実は、緑子は母に対してではなく、こうした母を苦しめている状況にいらだっているのだと思いました。しかし、形のないものには怒りをぶつけられません。それで、仕方なく怒りのほこ先が巻子の方を向いてしまってる、という印象を受けました。
緑子が大人になりたくないのは、巻子が体を道具にして苦しみながら働いている姿を見ているからです。しかし、最後に声を上げて大げんかしたことで、緑子はくすぶっていた自分の気持ちを素直に吐き出すことができ、声も出せるようになりました。
同性の親は、敵にもなるし味方にもなる存在だと思っています。母と娘が良好な関係を築くのは難しいですが、言い合いを経て巻子と緑子の関係は大きく前進しました。
こうした変化は、緑子が夏子と別れるときに笑ったり、何度も振り返って手を振る無邪気さを取り戻したりしたところに表れていると思います。
これまで誰にも甘えられなくてふさいでいた心が、巻子に甘えることを思い出して解放されたから、緑子の心は変化したのだと思います。そうしたところに、巻子と緑子の関係が修復するきざしが見られます。
最後に
今回は、川上未映子『乳と卵』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。
主要な登場人物はすべて女性で、女性の生きにくさにクローズアップした作品だと感じました。女性は共感することが多いですが、これを読んだ男性読者の意見をぜひ聞いてみたいと思った小説でした。