絶体絶命の状況で、妹を見殺しにしかけた兄の心理が描かれる『溺れかけた兄妹』。
今回は、有島武郎『溺れかけた兄妹』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!
Contents
『溺れかけた兄妹』の作品概要
著者 | 有島武郎(ありしま たけろう) |
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発表年 | 1921年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 短編小説 |
テーマ | エゴ |
『溺れかけた兄妹』は、1921年7月に雑誌『婦人公論』で発表された有島武郎の短編小説です。自分の命と妹の命をてんびんにかけ、自分の命を選んだ兄の心理が描かれています。
Kindle版は無料¥0で読むことができます。
著者:有島武郎について
- 1878年東京生まれ
- 札幌農学校卒業
- 「白樺」の同人に参加
- 女性記者と軽井沢の別荘で心中
有島武郎は、1878年生まれ東京都出身の作家です。父親が明治維新後の新体制で大蔵省(現在の財務省)に入ったおかげで、裕福な暮らしをしました。
札幌農学校を卒業後、志賀直哉(しが なおや)や武者小路実篤(むしゃのこうじ さねあつ)と雑誌「白樺」の同人に参加し、白樺派の作家として活動し始めます。
そのあと社会主義運動が盛んになると、自身が下層階級でなく資産階級であることに悩みます。その後、不倫関係にあった婦人公論の女性記者と、軽井沢の別荘で心中しました。
『溺れかけた兄妹』のあらすじ
9月のある日、「私」と友人のM、私の妹は海水浴に出かけます。その日は波が高く、お婆様にも引き留められましたが、子供たちはお婆様の言うことを聞かずに出かけてしまいます。
実際に海に入ってみると、想像以上の波の高さや引きの強さに私たちは驚きます。そして、恐れていたことが実現してしまいます。私たちはどんどん沖へ流され溺れかけてしまうのでした。
助かりたい私は、妹を置いて岸にたどり着きました。私は自責の念に駆られながら取り乱してしまいます。そんなとき、Mが1人の若者を連れて砂浜に戻って来たのでした。
登場人物紹介
私
13歳。少しだけ泳げる。
妹
「私」の妹。11歳。やっとビート版なしで泳げるようになった。
M
「私」の友人。14歳。人並みに泳げる。
お婆様
「私」と妹の両親から2人を預かっている老婆。
若者
寡黙(かもく)な男。溺れかけた「私」の妹を助ける。
『溺れかけた兄妹』の内容
この先、有島武郎『溺れかけた兄妹』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。
一言で言うと
窮地に立たされたとき、どこまで他人のことを考えられるか。
どっちを取るか?
9月のある日、「私」と友人のM、私の妹は波が高いにもかかわらず海水浴に出かけます。当初3人は楽しく遊んでいましたが、荒れる海に次第に恐怖を抱き始めます。
そして大きな波がやってきて、3人は沖へ流されてしまいました。泳ぎの上手いMと、泳ぎが下手な私とその妹の距離はどんどん離れていきます。
妹は、「兄さん来てよ……もう沈む……苦しい」と言いました。私は心苦しく思いながらも、「早く岸について漁師に助けてもらおう」と岸に向かって泳ぐのでした。
間一髪
岸に着いた私は、「助けてくれえ」と砂浜を駆け回ります。すると、Mが若者を連れてきました。その若者は、着物を脱いで海に入ります。私は指をくわえてその様子を見守ることしかできません。
若者が妹を連れて岸に着いたとき、Mがお婆様を連れてきました。
お婆様は若者にお礼を言い、「お父さんやお母さんからお前たちを預かっているのだから、お前たちが死にでもしたら私は生きてはいられない。一緒に死ぬつもりでMさんより早く砂山を駆け上った」と言いました。
その後
その後、お婆様は若者の家にお礼をしに行きました。しかし若者は、断固としてお礼を受け取りませんでした。
Mは、不幸なことに人に殺されてしまいました。お婆様も亡くなってしまい、もうこの世にはいません。
妹は当時のことを振り返ったとき、「あの時ばかりは兄さんを心から恨めしく思った」と言うのでした。
『溺れかけた兄妹』の解説
人物のその後について
『溺れかけた兄妹』では、人物が行方をくらませたり物語世界から排除されたりしています。Mは何者かに殺され、お婆様は亡くなり、若者の行方は分からなくなりました。
このことに関して、外尾氏は「強い人々はこの作品世界から消えていき、弱い人間的な人物が残る」としています。ここで言う強い人物とはM・お婆様・若者のことで、弱い人物とは「私」・妹のことです。以下で解説します。
M
Mは、「私」の妹が溺れても常に冷静で、それだけではなく大人に助けを求めるなど、毅然(きぜん)として的確な行動を取ります。しかし、冷静でいられるということは第三者的な視点でいるからと考えられ、その点でMの態度は「冷たい」とも言えます。
そして、「人間にとって大切なのは、冷たさより温かさだと作者は訴えている」という主張のもと、冷たさを持ったMは物語から消え去ったと外尾氏は考察しています。
お婆様
お婆様は、「お婆様は気丈な方で」という語りの通り強い人物です。
「もうもう気をつけておくれでないとほんに困りますよ」
お婆様はやがてきっとなって私を前にすえてこう仰有おっしゃいました。日頃はやさしいお婆様でしたが、その時の言葉には私は身も心もすくんでしまいました。
また、普段は優しいものの、いざというときは「きっと」なり、「私」の身も心もすくむくらいすごんだりします。こうしたところからも、お婆様の芯の強さがかいまみえます。
若者
海に飛び込んで妹を助けた若者も、また強い人物です。またそれだけではなく、少々頑固なところもあります。
後日、お婆様は若者の家にお礼の品を持っていきましたが、若者は断固としてそれを受け取りませんでした。わざわざ若者の家にまで出向いたお婆様の気持ちを考えて、受け取ってあげるのがベストだと思われますが、若者は決して応じませんでした。
若者には、こうした強情なところもあるのです。
そして、物語には弱者としての「私」と妹が残りました。「私」は妹が溺れたということに動揺して手も足も出なかったという点で、妹もまた、その時々にいろいろな思いに打ち負かされているという点で弱者です。
弱者が残った理由には、「弱さが人間らしさとも言えるから」というものがあります。
「その時の話を妹にするたんびに、あの時ばかりは兄さんを心から恨めしく思ったと妹はいつでもいいます」という語りがあります。ここからは、「いろいろあったけれど、今はそれをすべて受け入れている」というニュアンスが伝わります。
つまり、そうした弱さを人間らしさとしてすべてひっくるめて肯定しているのです。『溺れかけた兄妹』は、表面的には「自分だけが助かりたい」という人間のエゴを否定しつつも、そうした人間の弱点を否定しない姿勢を貫く物語と言えます。
外尾 登志美「「溺れかけた兄妹」 : 脅かされる子供の世界」(「日本文学41(8)1992年)
『溺れかけた兄妹』の感想
人間のリアル
「私」は妹を見捨てたことにい引け目を感じていますが、私はそれは賢明な判断だったのでは…と思います。
なぜなら、「私」の水泳スキルはそれほど高くないため、「私」が妹を助けに行ったところで2人ともおぼれ死んでしまう可能性があるからです。見捨てたことを後悔すべきなのは、むしろ水泳スキルが高いMです。
「Mは毎年学校の水泳部に行っていたので、とにかくあたり前に泳ぐことを知っていました」とあり、Mはそれなりに泳げることが示されているからです。
しかし、妹を助けてくれた男を連れてきたのはMで、その後お婆様を連れてきたのもMです。年上ということもあり、行動力があって冷静な判断をしています。そういう面では、Mを評価できます。
ただ、Mがここまで動揺せずにいられるのは、溺れているのが友人の妹だからかもしれません。Mの肉親がおぼれていたら、Mは「私」のように取り乱していた可能性があるということです。
ある程度距離がある人のことだからこそ冷静に対応できるというのが、人間のリアルだと思います。
また、妹が「私」を避けたという感覚や、妹が向かう先にお婆様がいることに安心したものの、自分が卑怯者という感じがぬぐえない感じなど、生々しい人間の気持ちが描かれている小説だと思いました。
最後に
今回は、有島武郎『溺れかけた兄妹』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。
ぜひ読んでみて下さい!
↑Kindle版は無料¥0で読むことができます。