芥川のポーズを真似するほど、芥川を熱狂的に愛していた太宰。太宰のみならず、芥川は同時代のさまざまな人物たちに影響を与えていました。
今回は、芥川龍之介の生い立ちや代表作をご紹介します。
Contents
芥川龍之介の生い立ち
母の姿
1892年、芥川は東京に生まれました。生後9か月頃から母親が精神を病んだため、芥川は母の実家に引き取られて養子になりました。
芥川は、「僕の母は狂人だった。(中略)いつも長煙管(きせる)ですぱすぱ煙草を吸っている」と母のことを書いています。このような実母の姿は、常に芥川の心に暗い影を落としていました。
作家デビュー
帝国大学(現在の東大)に入学した芥川は、小説を書き始めます。そして、夏目漱石に『鼻』を絶賛され、無名の学生作家から一躍文壇デビューを果たしました。
大学卒業後は大阪毎日新聞の社員として生活しつつ、作品を発表します。
数々の苦悩
大阪毎日新聞社の海外視察員として中国に渡った芥川は、帰国後に体調を崩してしまいます。それから、芥川は厭世(えんせい。世の中を嫌うこと)主義的な傾向を見せ始めます。
そして友人で作家の室生犀星(むろうさいせい)の紹介で堀辰雄と知り合い、彼を弟子として非常に可愛がりました。
この頃、芥川が仲人を務めた夫婦の慰謝料の問題など離婚にまつわる出来事の調停に疲弊し、また一部の作家との著作権の問題や義兄の自殺の後始末などに追われ、精神的に追い詰められます。
自殺
この頃から、周囲の人たちに自殺をほのめかすようになりました。
睡眠薬での自殺を考えていたようで、薬に身体を慣れさせるために薬を常用しており、起きたと思ったらすぐに倒れてしまうようなぼろぼろの状態だったと言われています。
そして、1927年の7月に田端の自宅で大量の睡眠薬を飲んで亡くなりました。死ぬ前に残した「ぼんやりとした不安」という言葉は、あまりにも有名です。ちなみに、この時に芥川に睡眠薬を処方したのは、医者であり歌人でもある斎藤茂吉です。
芥川の死は、文壇や知識人のみならず文学者を志望する若者にも大きな衝撃を与えました。芥川の親友・菊池寛は、彼の死を悼んで「芥川龍之介賞」を設けました。
芥川龍之介の周辺人物
夏目漱石
帝大入学後、同人誌(自分の作品を発表したい人が、お金を出し合って刊行する雑誌のこと。作品発表の場であるため、営利目的ではない。対義語は商業雑誌)を作って積極的に作品を発表していた芥川。
そして、彼は『鼻』を夏目漱石に絶賛されて文壇デビューを果たします。『鼻』の発表前から漱石の弟子だった芥川は、その後も漱石を慕っていました。
堀辰雄に宛てた手紙に、「そのままずんずんお進みなさい」と、漱石から言われた言葉をそっくりそのまま書くほどでした。
菊池寛(きくちかん)
一高(帝大に進学する学生が行く学校)時代に芥川と出会い、生涯芥川の親友だった人物です。
芥川は死ぬ間際に何度か菊池のもとを訪れたのですが、文藝春秋社の社長であった菊池は忙しくて会うことができませんでした。菊池は、後になってそのことを激しく後悔しています。
芥川の葬式では弔辞を読みました。菊池は芥川が自殺した後、その功績を称えて芥川龍之介賞(芥川賞のこと)を創設しました。現在でも最も権威のある文学賞として、直木賞と並んで開催されています。
谷崎潤一郎(たにざきじゅんいちろう)
芥川と谷崎は、「小説の筋論争」という論争を繰り広げました。これは「小説とは何か」に関する意見の対立で、芥川は「起承転結のない詩のような話こそが小説だ」と主張し、谷崎は「作りこんだ虚構こそが小説だ」と主張しました。
芥川の「詩のような小説」というものの定義があいまいだったため、この論争は谷崎が若干優位に立った状態で落ち着きました。
晩年の芥川の作品には、『大川(おおかわ)の水』(主人公が、その川がいかに好きかということについて延々と書かれている作品)や『蜃気楼(しんきろう)』(蜃気楼を見に行ったけど、結局見れなかった話)など、あったことをありのままに表現した小説が目立ちます。
しかし、『地獄変』『羅生門』などにはしっかりストーリー性がありますし、芥川の作品のすべてが詩っぽいわけではありません。
谷崎も、基本的には徹底的に作りこまれた小説を書くのですが、「現代版『源氏物語』」とも評される『細雪(ささめゆき)』では、上中下巻に渡って姉妹の優雅な生活が描かれています。
ここには起承転結はないので、「小説の筋論争」での主張は2人がそれぞれに思う理想の小説像の主張だったのかと思います。
堀辰雄(ほりたつお)
室生犀星(むろうさいせい)という人物を通して、堀は芥川を紹介されました。以後、堀は芥川に師事するようになります。両親を失った堀にとって、芥川は精神的な父親のような役割を果たしていました。
芥川が犀星に宛てた手紙の中で、堀は「タツチヤンコ(辰ちゃんこ)」とあだ名で呼ばれていて、彼らの中がどれほど深いものだったかがよくわかります。
芥川の死は、堀にとっては想像を絶するショックで、その死を乗り越えるために『聖家族』という作品を書きました。
その後も、堀は芥川を彷彿(ほうふつ)とさせるような人物が登場する小説を書きます。それほど、彼にとって芥川は存在感のある人物だったのです。
また、芥川は大阪新聞社の海外視察員として上海に行ったときに、煙管(きせる)を買ってきました。
芥川はそれを堀にあげて、堀はその煙管を生涯大切に使っていたようです。本当に良い師弟関係だったんだなとしみじみ思います。
太宰治
学生時代から、太宰は芥川の大ファンでした。近年、「芥川龍之介」と落書きされた太宰のノートが見つかったことも話題になりました。好きな人の名前をノートに書いてしまうような感覚でしょうか。
太宰が芥川と同じように自殺したのも、「芥川の真似をしたのでは?」とうわさされるほどです。実際に会うことはできなかったようですが、太宰にとって芥川はアイドル的な存在だったのです。
芥川龍之介の代表作
『蜘蛛の糸』
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ページ数 | 484ページ |
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出版年 | 1997年 |
出版社 | 文藝春秋 |
絵本や紙芝居で一度は読んだことがある人も多い『蜘蛛の糸』。主人公の犍陀多(かんだた)が、お釈迦様にチャンスをもらって地獄から極楽へ向かう過程が描かれています。
『羅生門』
ページ数 | 304ページ |
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出版年 | 2005年 |
出版社 | 新潮社 |
古典を題材にした小説で、平安時代末期の京都が舞台となっています。職を失った主人公が、盗みをするか否かのはざまで揺れ動く様子に注目です。
『地獄変』
ページ数 | 190ページ |
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出版年 | 1968年 |
出版社 | 新潮社 |
こちらも平安時代の物語で、良秀(りょうしゅう)という絵師が主人公です。自分の娘が焼き殺される場面を絵にするという、常識外れな感覚の持ち主です。
芸術のためならどんな犠牲でも払う、芥川の「芸術至上主義」の思想が色濃く出た作品です。
『蜜柑』
ページ数 | 240ページ |
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出版年 | 2017年 |
出版社 | 岩波書店 |
数年前のセンターで出題された小説なので、タイトルに見覚えがなくても読めば「あ~、これか」となる人が多いと思います。
梶井基次郎『檸檬(れもん)』と同様、みずみずしい果実が人物を爽やかな気持ちにさせる物語です。
最後に
今回は、芥川龍之介の生い立ちと周辺人物について解説しました。
芥川は手紙での物腰が柔らかく、子煩悩であることに加えて、独断と偏見で決めたイケメン文豪ランキングトップ3に入っているので、かなりお気に入りの作家のうちの1人です。
作家の事が分かると作品にも親しみやすくなると思うので、これを機に芥川作品を手に取ってみて下さい!