医者として軍に出仕するかたわら執筆活動を行い、医学、文学の両分野で活躍した森鷗外。
今回は、森鷗外のプロフィールと代表作を紹介します!
森鷗外の基本データ
本名 | 森林太郎(もり りんたろう) |
出身地 | 石見国(島根県石見地方) |
生きた時代 | 1862(文久2)年~1922(大正11)年 |
主な著書 | 『阿部一族』『山椒大夫』『高瀬舟』『ヰタ・セクスアリス』 |
同時代作家 | 坪内逍遥、夏目漱石、石川啄木 など |
森鷗外(森林太郎)は、1862年に生まれて1922年に61歳で亡くなりました。石見国(島根県石見地方)出身で代々典医の家柄で父親も典医兼町医者であり、長男として厳しく大切に育てられました。
森鷗外のプロフィール
学生時代~陸軍出仕
13歳で医学校の予科(本科に進学する前段階の予備教育を行う機関)に入学しました。年齢が不足していたため、年齢をサバ読みし15歳といつわって入学したというエピソードがあります。
同じ年の12月に寄宿舎に入り、その後本科生となった鷗外は終生の親友となった賀古鶴所(かこ つるど)、小池正直、緒方収二郎らと親交を深めます。
そして東京大学医学部を卒業後、陸軍に入り陸軍軍医副(中尉担当)となりました。
ドイツ留学
23歳のとき、鷗外は衛生制度の調査と衛生学研究のためドイツへの官費留学を命じられます。
4年に及ぶ留学を終えて鷗外は帰国しますが、鷗外を追ってドイツ人女性が来日しました。『舞姫』のエリスのモデルになった女性です。しかし、彼女は周囲の説得により鷗外に会わず1か月後に帰国しました。
その後鷗外は、同人組織・新声社を作り評論雑誌「しがらみ草子」を創刊。翻訳、小説、演劇と活動の幅を広げます。また衛生学関連の書物の翻訳や啓蒙誌「衛生新誌」を創刊するなど、ドイツから帰国した鷗外は文学、医学分野で活躍しました。
旺盛な文学活動
38歳になった鷗外は、医学上、文学上の名声等の理由により国の中央の軍医部長から小倉の軍医監となります。この明らかな左遷を受けて辞職を決心しましたが、周囲の忠告を聞き入れ小倉に着任します。
48歳から以後約10年間、鷗外は創作のほとんどを書き尽くすほど旺盛な文学活動を展開しました。
夏目漱石の活躍に触発されながら『ヰタセクスアリス』『青年』発表したのち、明治天皇崩御の後の大将の殉死に衝撃を受けた鷗外は、『興津弥五右衛門の遺書』を執筆します。
これは『阿部一族』『大塩平八郎』『山椒大夫』『高瀬舟』などに続く一連の歴史小説の第一作目となりました。
晩年
1921年に腎臓病の兆候が顕著となり翌年に症状が悪化し、遺言を親友・賀古鶴所に口述し、1922年に61歳で亡くなりました。鷗外の言葉を克明に記録した遺言書は有名で、評伝や文学碑に刻まれています。
鷗外は旭日大綬章を授けられたり、高等官一等に就いたり、帝国美術館初代院長となったり、死の前日に従二位に叙せられたりと、輝かしい晩年を過ごしました。
森鷗外の代表作
『阿部一族』
著者 | 森鷗外(もり おうがい) |
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発表年 | 1913年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 中編小説 |
テーマ | 殉死 |
『阿部一族』は、1913年1月に文芸雑誌『中央公論』で発表された森鷗外の中編小説です。17世紀中ごろに、大名である細川忠利が病死した際に行われた数々の殉死が描かれています。Kindle版は無料¥0で読むことができます。
岩波文庫の『阿部一族』です。鷗外の初期歴史小説の代表作である『興津弥五右衛門の遺書』『佐橋甚五郎』も収録されています。斎藤茂吉の解説も必見です。
『山椒大夫』
著者 | 森鷗外(もり おうがい) |
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発表年 | 1915年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 短編小説 |
テーマ | 因果応報 |
行方知れずになった父親を捜すために、母と子どもが旅に出る様子が描かれます。中世芸能・説経節の有名な演目である「さんせう太夫」に、鷗外が脚色を加えて執筆した作品です。1954年には映画化されました。
新潮文庫の『山椒大夫・高瀬舟』には、この2作品を含む12篇の小説が収録されています。解説付きです。
『高瀬舟』
著者 | 森鷗外(もり おうがい) |
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発表年 | 1916年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 短編小説 |
テーマ | 安楽死 |
罪人を護送する庄兵衛が、罪人らしからぬ表情をしている男と出会い、男の話を聞くという構成で物語が展開されます。1930年から4回に渡って映画化されています。
『山椒大夫・高瀬舟』には、鷗外が『高瀬舟』を書くに至った経緯等が記されている『高瀬舟縁起(たけせぶねえんぎ)』が収録されています。『高瀬舟』をより深く知りたい人は、ぜひ読んでみて下さい。
『ヰタ・セクスアリス』
著者 | 森鷗外(もり おうがい) |
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発表年 | 1909年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 長編小説 |
テーマ | 性 |
主人公の哲学者が、長男への性教育のために記録を取るという形式で進んでいきます。主人公の、6歳~21歳までの経験が語られます。大胆な描写が問題となり、発表された月に発禁(発売頒布禁止)になってしまった作品です。
『舞姫』
著者 | 森鷗外(もり おうがい) |
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発表年 | 1890年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 短編小説 |
テーマ | 恋愛 |
『舞姫』は、1890年に文芸雑誌『国民之友』で発表された森鷗外の短編小説です。ドイツに留学した主人公が、現地で踊り子と恋をする様子が描かれます。鷗外初期の代表作です。
最後に
今回は、森鷗外のプロフィールと代表作をご紹介しました。
青空文庫に掲載されている作品もあるので、ぜひ読んでみて下さい!
『現代日本文学アルバム第1巻 森鷗外』(学習研究社 1974年8月初版)