ラストに主人公の衝撃的な行動が待ち受ける『悪魔』。
今回は、谷崎潤一郎『悪魔』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!
Contents
『悪魔』の作品概要
著者 | 谷崎潤一郎(たにざき じゅんいちろう) |
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発表年 | 1912年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 短編小説 |
テーマ | 強迫観念 |
『悪魔』は、1912年2月に雑誌『中央公論』で発表された谷崎潤一郎の短編小説です。強迫観念に支配された男の様子が描かれています。
また、この短編を原案にした映画「悪魔」が2018年に公開されました。「天使にも似た悪魔ほど人を惑わすものはない」というコピーで、現代風にアレンジされています。
著者:谷崎潤一郎について
- 耽美派作家
- 奥さんを友人に譲るという事件を引き起こす
- 大の美食家
- 生涯で40回の引っ越しをした引っ越し魔
反道徳的なことでも、美のためなら表現するという「唯美主義」の立場を取る耽美派の作家です。社会から外れた作品を書いたので、「悪魔」と評されたこともありました。
しかし、漢文や古文、関西弁を操ったり、技巧的な形式の作品を執筆したりして、今では日本を代表する作家として評価されています。
『悪魔』のあらすじ
大学入学のために上京した佐伯は、親戚の林家に下宿しています。そこには、豊満な肉体を持ついとこの照子も住んでいます。佐伯は、たびたび自身の部屋を訪れては媚態(びたい)を示す照子に辟易(へきえき)するのでした。
そんな佐伯を意識しているのは、林家に住み込んで働いている鈴木という男です。照子に気がある鈴木は、照子の魔性を引き合いに出して佐伯に忠告しますが、佐伯は鈴木の言葉を聞き入れません。そして、佐伯は照子の沼にはまっていくのでした。
登場人物紹介
佐伯(さえき)
帝大(現・東京大学)入学のために上京してきた男。神経衰弱に悩まされ、学校を休みがちになる。
照子(てるこ)
佐伯のいとこ。24歳になるが、縁談を嫌っていまだに結婚をしていない。
鈴木(すずき)
林家の書生(他人の家に住み込み、雑用等をする学生)。要領が悪く、叔母や照子からはバカにされている。
『悪魔』の内容
この先、谷崎潤一郎『悪魔』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。
一言で言うと
神経衰弱の男の物語
上京
佐伯は、帝大に入学するために汽車に乗って上京しています。汽車の中で、佐伯は衰弱した神経が波立つのを感じて、戦慄(せんりつ)に耐えきれず途中で降りてしまいました。
照子
そしてようやく東京に着いた佐伯は、叔母のいる林家の2階に住み始めます。そこで佐伯は、いとこの照子と再会しました。照子は肉付きの良い身体を着物で包んでいます。佐伯はそんな照子の目や鼻、唇や髪に魅力を感じるのでした。
大学をさぼりがちの佐伯は、家の2階でウイスキーを飲んだりタバコを吸ったりして過ごします。照子はそんな佐伯の部屋を訪れ、ともすると1~2時間話していくのでした。
鈴木の思惑
そして9月末、書生の鈴木が佐伯の部屋にやって来ます。鈴木は佐伯と照子の関係に探りを入れに来たのです。鈴木は、亡き照子の父に「照子を嫁にやる」と言われていたため、照子との結婚を意識していたのでした。
しかし、叔母も照子も要領が悪い鈴木のことを嫌っています。鈴木を追い出したことによって逆恨みされることを恐れて、仕方なく佐伯を家に置いているのです。
鈴木は、照子が処女でないことや、自身がかつて照子と関係を持ったことなどを告げて佐伯をけん制するのでした。
秘密の楽園
10月半ば、佐伯の部屋を訪れた照子は風邪をひいていました。照子は着物のたもとからハンカチを取り出し、鼻をかみます。そしてひとしきり話したあと、照子は佐伯の部屋を後にしました。
佐伯の手元には、照子が忘れて行ったハンカチがあります。ハンカチを開くと、そこには鼻かぜ特有の臭いを帯びた鼻水がくっついています。佐伯はそれを両手にはさんでみたり、頬に叩きつけたりしていましたが、しまいにそれを舐め始めました。
そして佐伯は、こうして照子に踏みにじられていくのだ、と思います。それからも、照子は佐伯の部屋を訪れては佐伯を刺激します。佐伯は、照子にハンカチの一件を見破られるかとひやひやしながら、照子にもてあそばれるのでした。
『悪魔』の解説
悪魔主義
『悪魔』は、谷崎が悪魔主義者であると評されるきっかけとなった作品です。悪魔主義とは、社会的規範から外れた行動や嗜好を示す倒錯的な考え方を指します。
醜いことや、汚いこと、異常なことを描き、その中に美と感動を見いだそうとする特徴があります。
道徳よりも美を上位とする思想で、芸術至上主義と似たところがあります。『悪魔』で言うと、照子の淫婦ぶりやそれを忌々しく思いつつも受容してしまう佐伯、背徳感を覚えながらも照子の鼻水を舐めてしまう佐伯の様子などが該当します。
こうした谷崎の悪魔主義は、平凡なサラリーマンが15歳の少女の下僕になるまでの道程が描かれる『痴人の愛』へつながっていきます。
中村 完「谷崎潤一郎の悪魔主義 ー思想と生活の問題ー」(「国文学研究(30)1964年10月)
『悪魔』の感想
昔と今、大学生の様相
『悪魔』に限らず、明治・大正期の小説を読んでいると、その時代の大学生と現在の大学生の勉学に対する姿勢は全く違うなと思います。具体的に言うと、当時の大学生の方が知識に貪欲なのです。
よく世間の学生達は、あんなに席を争って教室へ詰めかけ、無意義な講義を一生懸命筆記して居られるものだ。教師の云う事を一言半句も逃すまいと筆を走らせ、(中略)あの廣い教場の中が、水を打ったようにシンとして(以下略)
佐伯はそんな学生たちに違和感を覚えているため、彼の語りで学生たちは批判されています(佐伯は彼らを「気狂い」と表現して、そのあまりの必死さを小馬鹿にしています)。
それでも以上のような語りからは、当時の学生たちの学びに対する積極的な姿勢が読み取れます。出席を友人に頼んで自分は遊びに行ったり、楽に単位を取れる授業の情報を集める現在の大学生とは一線を画しています。
しかし、その時代にも佐伯のように大学をサボる学生は一定数いたようですし、かつての大学生が素晴らしくて今がダメだと言いたいわけではもちろんありません。
ただ、大学進学が至極当たり前になった今の大学生と、そうではない時代の学生の様相というのは明らかに違うわけで、単純に「こんなにも違うんだなぁ」と思った次第です。
『悪魔』の論文
『悪魔』の研究論文は、以下のリンクから確認できます。
表示されている論文の情報を開いた後、「機関リポジトリ」「DOI」「J-STAGE」と書かれているボタンをクリックすると論文にアクセスできます。
三好 昭子「谷崎潤一郎の否定的アイデンティティ選択についての分析」
最後に
今回は、谷崎潤一郎『悪魔』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。
青空文庫にはないため、ぜひ文庫本等で読んでみて下さい!