純文学の書評

【川上未映子】『わたくし率 イン 歯ー、または世界』のあらすじと内容解説・感想

「自分とはなにか」。『わたくし率 イン 歯ー、または世界』では、それをアイデンティティなどの形の無いものではなく、もっと物質的なものに求める様子が描かれています。

今回は、川上未映子『わたくし率 イン 歯ー、または世界』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!

『わたくし率 イン 歯ー、または世界』の作品概要

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講談社
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著者川上未映子(かわかみ みえこ)
発表年2007年
発表形態雑誌掲載
ジャンル中編小説
テーマ「私」の本質とはなにか

『わたくし率 イン 歯ー、または世界』は、2007年5月に文芸雑誌『早稲田文学0』で発表された川上未映子の中編小説です。2007年上半期 第137回芥川賞の候補作となりました。

他者との比較を通して、自己の本質を模索する様子が描かれています。

著者:川上未映子について

  • 1976年大阪府生まれ
  • 『わたくし率イン歯ー、または世界』でデビュー
  • 『乳と卵』で芥川賞受賞
  • メディアを問わず活動中

川上未映子は、1976年生まれ大阪府出身の詩人・小説家です。2007年に『わたくし率イン歯ー、または世界』でデビューし、2008年には『乳と卵』で芥川賞を受賞しました。その後も『ヘヴン』『あこがれ』などの作品を発表し、数々の文学賞を獲得しました。

かつては歌手として活動していたこともあり、ラジオやテレビ、映画など幅広く活動しています。英訳されている作品もあり、海外からの注目も集めている作家です。

川上未映子 公式サイト

『わたくし率 イン 歯ー、または世界』のあらすじ

「わたし」は歯磨きをせずとも健康な歯をもっており、脳ではなく歯で思考し、歯こそが自身の本質だと考えています。歯科助手に転職したわたしは、恋人の青木のことを思いながら歯と自己のことを考えます。

登場人物紹介

わたし

歯を自身の根源を考える人物。歯医者でアルバイトを始めた。

青木(あおき)

「わたし」の中学時代に出会った恋人。多忙でなかなかわたしと会えない。

三年子(みねこ)

「わたし」が働く歯医者の見習い医師。31歳。わたしに敵意を抱いている。

『わたくし率 イン 歯ー、または世界』の内容

この先、川上未映子『わたくし率 イン 歯ー、または世界』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。

一言で言うと

「私」の本質とはなにか

歯でものを考える

わたし」は、歯を自身の根源と考えています。歯科助手としてとある歯医者に雇われたわたしは、日々の仕事をこなしながらまだ見ぬ我が子へ日記を書きます。

わたしには青木という恋人がいましたが、多忙の青木はなかなかわたしと会ってくれません。しかし、青木は留守番電話に「締め切りがたてこんでるから、これが終わったらおいしいものを食べに行こう」というメッセージを残すこともあるのでした。

わたしが働く歯医者の見習い医師・三年子は、わたしに敵意を向ける人物です。ある日三年子は、白いサンダルでわたしの足を踏みつけ、「そろそろあんたに言いたいことが溜まってきた」と告げ、わたしに手紙を渡します。

妄想

あるとき、青木が予約もなしに突然わたしが働く歯医者にやってきました。わたしは、青木の奥歯の穴を埋めるためのセメントを練り上げます。治療を終えた青木は、わたしのことを見てにっこり笑ってから病院から出て行きました。

わたしは、青木を追って病院を飛び出します。青木が住む二階建てのアパートにたどり着いたわたしは、ドアの前で「青木さん、青木くん、青木、青木くん、、」と呼びました。

すると、中からこわばった顔をした青木が「はい…」とか細い返事をします。青木の後ろには、怪訝(けげん)な表情をした女が立っていました。

 

わたしは、女に構わず青木に奥歯について語ります。女が青木にわたしのことをたずねると、青木は「中学が一緒だった、と思うんだけど…名前とかわかんねえし、」と言います。

女はわたしの容姿を否定したあと、「10秒以内に散ったれや」と言い残してドアを閉めました。立ち上がる気力をなくしたわたしは、階段から滑り落ちるようにして青木の元から去りました。

奥歯との決別

その後、わたしは歯医者に行って「奥歯を抜きに来ました」と言いました。麻酔なしで奥歯を抜かれるわたしは、痛みを感じながら奥歯の穴から出た血を飲み込みます。

そして、主客が区別される前の世界を思うのでした。

『わたくし率 イン 歯ー、または世界』の解説

本質

「わたし」は、自身の本質は歯だとしています。心臓でも脳でもなく、歯なのです。

自分が何かゆうてみい、人間が、一人称が何でできてるかゆうてみい、(中略)わたしは歯って決めたんや(中略)歯はな、なめんな、一本ちゃんと調べまくったらその個体のしくみがまるまるわかってしまうんや、全部ばれてしまうんや、歯はこれこの生命にとってな、最も最も最も最も本質的な器官なんや。

作中で、「わたし」のこの考えと対立しているのが「顔」です。「わたし」は、青木の彼女を次のように罵倒(ばとう)します。

そんな女なんやねん、化粧ばっかりしやがって、人の目ばっかり気にしやがって、そんなんちゃうで

夢の中で蝶々になってもそれがいったいどないしたんや、蝶々になろうが何になろうがそれそこにある私はいっこもなんも変わらんままや!

ここからは、化粧をしたり年を重ねたりすることで、簡単に変わってしまう姿や容貌(かたち)に「わたし」が一切価値を見出していないことが分かります。

「わたし」の中で、唯一揺るがないものは歯なのです(わたくし率が歯の中にある=わたくし率イン歯)。

 

一方で、青木の彼女は次のように反発します。

なんでマフラー巻いてんねん。てゆうかそれがお洒落ですのんか?毛玉すごいで。(中略)あんたなんでそんなに太ってはるんですの?(中略)ってゆうか、なんでもええけどもさ、人前に出るときくらい化粧くらいやったれや、

見た目に価値を見出す青木の彼女は、ひたすらに「わたし」の外見を否定します。しかし、「わたし」はそのことに関してはショックを受けるそぶりは見せません。なぜかというと、「わたし」の価値基準はあくまで歯であって、外見ではないからです。

「わたし」は、自分の歯を侮辱されれば怒るでしょう。しかし、全く価値の範疇(はんちゅう)にない外見を否定されたところで、「わたし」は痛くもかゆくもないのです。

「わたし」と青木の彼女が対峙(たいじ)するこのシーンは、歯に価値を置く考えと、顔に価値を置く考えが戦う象徴的な場面です。

変わるもの、変わらないもの

では、なぜ「わたし」は歯を本質的なものとする価値観を持つようになったのか。ここでは、その流れを明らかにします。それにあたって、「わたし」の過去が語られている箇所を引用します。

それまでは百貨店一階のカウンターに待機をして、くる女性くる女性に化粧品を売る、ほどこす、という仕事に明けも暮れも従事していたわけでしたが、(中略)結局、皆ここではおなじような顔に包装されてしまうのやった。

ここから、「わたし」はかつて百貨店の美容部員として働いていたことが分かります。ということは、「わたし」も青木の彼女と同じように人並みに外見を気にしていたと言えます。

しかし、「結局、皆ここではおなじような顔に包装されてしまうのやった」という発言から分かるように、「わたし」は同じような化粧品を使って同じような流行りの顔が生み出されることに違和感を覚えています。

言いかえれば、均一化する顔(没個性)を否定しているのです。

 

また、以下では顔が本質的なものではなく周辺にあるもの・表面的なものであることが示されています。

顔っていうのは、毎日毎日、必ず露出しているところだし、すれ違うだけの人にも、誰にでもどこでも見せてるものだから、ほんとうに大事なところがおのずと薄れてくるのかもしれないなあと、思うのです。

一方で、「わたし」は歯について「歯はな、なめんな、一本ちゃんと調べまくったらその個体のしくみがまるまるわかってしまうんや」と語っています。

各個人と結びついているという点で、歯は顔とは一線を画す性質を持っていると「わたし」は考えているのです。

ころころ変わってしまう危うさを持つ「顔」に失望した「わたし」は、変わる余地のない確固たるなにかを求めた結果、自己とひもづいた「歯」に行きついたのだと私は考えます。

価値観が違えば見える世界が違う

歯に絶対的価値を置く「わたし」と、顔に絶対的価値を置く青木の彼女。2人の話は絶妙にかみ合っていません。

それもそのはず、何を大事にしているかが異なるため話になってないのです。よって話が食い違う理由は、見えている世界が違うからだと説明することができます。

 

以下に引用するのは、青木の彼女と口論をしたあと、「わたし」が階段を下りる場面です。客観的な視点と主観的な視点(「わたし」目線)での見え方の違いに注目してみてください。

わたしはずるずる這ってって、滑るように体を階段のひとつめのかどっこに顎をのせて、お腹で廊下を押してって、階段の錆びた金属の斜めを体が滑り出してゆく途中、(中略)どっでんどでんと音がします、(中略)誰の目にもわたしはここから落ちているように見えるやろうけれど、わたしはいま、舞い降りているのでありました、

客観的に見ると、「わたし」はスキー板のように階段を滑り落ちています。しかし、「わたし」は自分が舞い降りていると認識しています。

すでに見てきたように、「わたし」が他の人とは違う価値観を持っていることは明らかです(一般的な人は顔に価値を置くのに対し、「わたし」は歯に価値を置いているため)。

この場面は、「価値観が違うと見える世界が異なる」ということを表しているのではないかと思いました。

 

「見える世界が異なる」という主張は、以下の引用部からも読み取れます。

子供のころも、道で人とすれ違うようなときも、ああ、あの人が見ているものをあの人の視力を使ってお母さんはぜったいに見ることはできないのだなあ、

これは、他人の目を通して物を見ることはできない(自分が見ているものと他人が見ているものが完全に一致することはない)ということを表していると解釈しました。

たとえば、同じ黄色い花を見ていても、Aさんには目にしみるような黄色に見えるかもしれないし、Bさんにはオレンジ色っぽい黄色に見えるかもしれない。

また、Aさんは黄色い花を見て母親が亡くなったときのことを思い出して悲しくなるかもしれないし、逆にBさんは初めて恋人に花をプレゼントしてもらったときのこと思い出して嬉しくなるかもしれない。

同じものを眺めていても、そこから受け取る印象・見えているものは、人によって異なるのです。

 

誰もがこっちをわたしを笑ってんのに、誰にも私は見えへんかった、

この文章も、自己と他人の見える世界の違いを示したものだと考えられます。

このように、本作では他者と自己が異質のものであることがくり返し提示されています。「他者の存在があるからこそ自己を認識できる」と解釈できるため、こうした表現は「自己とはなにか」というテーマにつながると考えられないでしょうか。

『わたくし率 イン 歯ー、または世界』の感想

読者に忖度(そんたく)しない作品

『わたくし率 イン 歯ー、または世界』を読んで感じたのは、「読者に忖度しない作品だ」ということです。極めて主観的・読者が置いてけぼりになる、とも言い換えられます。

「極めて主観的」について補足します。先ほど、「階段の錆びた金属の斜めを体が滑り出してゆく途中、」という文章を引用しました。

「わたし」の目を通すと、階段は「金属の斜め」に見えるようです。単に「階段」とだけ言えば済むのに、わざわざ「金属の斜め」を語りに入れているところが本作の肝で、これが主観的なのです。

読者を無視する

なぜ「読者に忖度しない作品だ」と感じたかというと、前提となる情報が読者に提供されないからです。

本作は、いきなり「わたし」と歯科医との会話(面接)にはじまり、「わたし」の独白を軸にまだ見ぬ子供への手紙で構成されています。

人物の登場も含めて全てが唐突で、読者が「わたし」の生活にぽーんと放り込まれたような感覚におちいります(例えるなら、あらすじを全く知らないアニメを2期の3話から見ているような感じ)。

 

読者の存在を意識している作品では、「現在語り手がどんな状況にあるのか」「この人物と語り手はどんな関係であるのか」が説明されます。

本作では、「わたし」と歯科助手の三年子は手紙を介して言い争いをしますが、「なぜ手紙をやりとりするようになったのか」「なぜ三年子は『わたし』に嫌がらせをするのか」「なぜ『わたし』は三年子にマイナスの感情を抱くのか」などが明らかにされません。

 

本作は「わたし」の独白体であるため、「わたし」の知っていることはわざわざ書かないというスタンスなのです。

逆に、作中にご丁寧に状況整理などが行われる場合は、読み手を意識していることになります。その意味で、本作は読者を無視した作品と言えるのではないでしょうか。

では、なぜこの書き方が面白いのか。その理由を以下で考えます。

人の頭の中をのぞいてるみたい

読者を無視した書き方の面白さは、語り手の思考を生のまま知ることができる点だと思います。たとえば、以下の文章は「わたし」という人間の頭の中をそのまま表出させたようなものです

大きな口の中のうえにもうひとつ口が現れます。そしてその口の中にもう一枚の小さな舌。それならばあの治療室をのせているさらに大きな舌があるのかもしれないですねえ。

大きいものの上に小さいものがあって、2層の構造になっている。ということは、その下にも層があるかもしれない…という文章です。

この文章に意味はないと思います。ただ、2層になっているなら3層4層になってるのかもしれないな~という、単なる思い付きです。

こういう、文字に起こそうとも思わないようなとりとめのない思考・自分でもそう考えていたことを忘れてしまいそうな、無意識の範囲内で考えていたんじゃないかと思われるようなほんのささいな思考が、落とすことなく書かれているのです。

これによって、「わたし」が何を考えているのかが見えるのが非常に面白いと感じました。極めて主観的だからこそ、彼女の思考が手に取るように分かるのです。

 

これと似たような手法が取られていると感じたのは、芥川賞受賞作・町屋良平『1R1分34秒』です。

この作品の語りは、「○○かもしれないし、××かもしれない。あ、やっぱり△△かも…」というように、整理されずにわざとぐちゃぐちゃに行われます。これにより、語り手の思考の流れが可視化されるのです。

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独りよがり

なあ奥歯、奥歯ちょうだい、青木くんの、奥歯ちょうだい、それが青木くんやねん、青木くんの私が入ってるんやもん、わたしそうやって決めたねん、わたしな、抜くやつもってきてん、奥歯抜くやつもってきてんてわたしに青木くんちょうだいやあ、青木くんの私、奥歯、奥歯ちょうだい

「本作でもっとも印象的な文章を挙げるとすればどれか」と聞かれたとき、私は真っ先にこの部分を挙げます。これは、「わたし」が青木のアパートに押しかけて放った言葉です。

欲望をそのまま文字にしたような、何の加工もされていないむき出しの感情が乗ったこの文章が、暴れ回って脳内を駆けめぐる印象を受けました。

相手の気持ちを一切考慮せず、自分の言いたいことだけを言う独りよがりな感じ、一方通行な感じがなんとも空虚で悲しい気持ちにさせます。一気にまくしたてる話し方や放埒(ほうらつ)な語り口が狂気を増させていると感じました。

川上未映子『あなたたちの恋愛は瀕死』にも思い込みの激しい女性が登場しますが、川上作品にはこうした視野の狭い人物が登場することで、狂気がアクセントとして盛り込まれているなと思いました。

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最後に

今回は、川上未映子『わたくし率 イン 歯ー、または世界』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。

作中に登場する日記の時系列がめちゃくちゃだったり、発話ではなく日記や手紙にこだわる理由を探ったりと、今後の課題がたくさん見つかった作品でした。

ぜひ読んでみて下さい!

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yuka
「純文学を身近なものに」がモットーの社会人。谷崎潤一郎と出会ってから食への興味が倍増し、江戸川乱歩と出会ってから推理小説嫌いを克服。将来の夢は本棚に住むこと!
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