『人魚の嘆き』は、ファンタジー色が強いながらもどこか暗い雰囲気があり、初期の谷崎の作品の中で異彩を放っています。
今回は、谷崎潤一郎『人魚の嘆き』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!
Contents
『人魚の嘆き』の作品概要
著者 | 谷崎潤一郎(たにざき じゅんいちろう) |
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発表年 | 1917年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 小説 |
テーマ | 異国 |
中国の皇帝が、商人から買った人魚と対話する物語です。谷崎のトレードマークである白人崇拝が、前面に押し出されています。中央公論の『人魚の嘆き・魔術師』には、異国が舞台の作品にぴったりな挿絵が付いています。
著者:谷崎潤一郎について
- 耽美派作家
- 奥さんを友人に譲るという事件を引き起こす
- 大の美食家
- 生涯で40回の引っ越しをした引っ越し魔
反道徳的なことでも、美のためなら表現するという「唯美主義」の立場を取る耽美派の作家です。社会から外れた作品を書いたので、「悪魔」と評されたこともありました。
しかし、漢文や古文、関西弁を操ったり、技巧的な形式の作品を執筆したりして、今では日本を代表する作家として評価されています。谷崎潤一郎については、以下の記事をご参照ください。
『人魚の嘆き』のあらすじ
巨万の富を持て余し、退屈している貴公子は、様々な遊びをしても面白さを感じられません。そんなとき、貴公子はオランダ人の商人が生け捕ったという人魚を買いました。貴公子はその美しさに見とれ、人魚と会話するようになりました。
登場人物紹介
貴公子
ある皇帝の息子。莫大な財産を使い、享楽にふける。
人魚
オランダ領のサンゴ島付近に住んでいる。西洋人の商人に捕らえられ、売り飛ばされた。
『人魚の嘆き』の内容
この先、谷崎潤一郎『人魚の嘆き』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。
一言で言うと
ハイスぺ皇帝の遊び
ぜいたくな悩み
中国・清王朝の南京で、ある皇帝に子供が生まれました。しかし、その子供が立派な貴公子になる頃には、両親は亡くなってしまいました。よって、その貴公子は莫大な財産を引き継ぎます。
彼は絶世の美男子であることに加え、優れた頭脳の持ち主でした。南京中の女性たちは、一度でいいから貴公子の恋人になりたいと思うのでした。
成人してからは、有り余るお金であらゆる遊びをします。そのせいか、だんだんと頭がぼんやりとしてきて、何に対しても面白さや目新しさを感じられず、屋敷に引きこもるようになりました。
そして、厳選した7人の美女を愛人としてさらに住まわせ、珍しい酒を集めます。そして、城に来た商人に「お金はいくらでも出すから、もっと珍しい酒、もっと美しい女を連れてきてくれ」と言いました。
生け捕り人魚
25歳になった貴公子は、あるとき1人の商人に目を止めます。なんと、その商人は人魚を生け捕って来たとのことなので、貴公子は急いで彼を通しました。
ヨーロッパから来たという商人は、カタコトの中国語で「人魚は、人間には計り知れない力を持ちながら、卑しい魚類に堕(おと)されました。そして、海の底を泳ぎながら、陸に憧れて嘆いているのです」と言います。
また、人魚はとても高価なので、なかなか買い手が現れませんでした。そして、人魚に恋をすると人間は命を全うできなくなるので、人々はそれを恐れて人魚を買おうとはしなかったのです。貴公子は、商人の言い値で人魚を買いました。
人魚の願い
人魚は、ガラスの水がめに入っています。彼女は、貴公子が今まで見たことないような美女で、純白の肌を持っていました。貴公子はひたすら人魚を眺めるようになったため、7人の愛人は、ほったからしにされています。
貴公子は、「せめて体の半分だけかめから出しておくれ」と言いましたが、人魚はかめの隅で縮こまってしまいます。あるとき、貴公子が紹興酒を飲んでいると、酒の香りに惹かれた人魚がかめから手を出しました。
貴公子が紹興酒を与えると、人魚はそれを飲み干します。そんな人魚に、貴公子は「君が本当に不思議な力を持っているのなら、せめて一晩で良いから、人間の姿に変わってくれ。そして、僕の恋を聞き入れてくれ」と言いました。
すると、人魚は「貴公子よ、どうか私をかわいそうに思って、私を海へ放してください」と言います。貴公子が、「故郷に恋人がいるのだろう」と言うと、「私は美しいあなたに恋をしていますが、人魚と人間が一緒にいてもお互いの不幸なのです」と告げました。
そして、「もしもう一度人魚を見たいと思うなら、ヨーロッパ行きの船に乗って、月が見える夜に海に離してください」と言って、うみへびに姿を変えてしまいました。
貴公子は、その年の春にヨーロッパ行きの船に乗ります。そして、月が見える夜に小さなガラスビンからうみへびを出して、海に離しました。
5分ほど経って、人魚はその美しい姿を一瞬だけ見せて去りました。貴公子が乗った船は、ヨーロッパに着実に近づいています。
『人魚の嘆き』の解説
なぜ舞台が南京なのか?
舞台が中国に設定されているのは、谷崎が中国の古典を参考に『人魚の嘆き』を執筆したからなのです。ではなぜ、中国の中でも特に南京が選ばれたのでしょうか?
その謎を解くためには、まず南京という場所について知る必要があります。南京は、かつて金陵(きんりょう)と呼ばれた大きな都市でした。
古典作品にも数多く登場し、「仙都(せんと。仙人が住むような素晴らしい場所)」「楽国」と例えられ、あらゆる享楽を体験できる極楽世界だとされています。
このように、南京には「日常からは離れた別世界」というようなイメージがあったため、常識が通じない不思議な空間として認識されていました。だからこそ、美しさと頭の良さを兼ね備えた美女が登場するロマンスが、次々と南京を舞台に生み出されました。
こうした「なんでもあり」な南京という空間は、非現実的な人魚の登場をごく自然に見せる働きをしています。
同時に、「神仙の世界から人間界に一時的にやってきた美女が、元の世界に帰ってしまうという」ような物語も、南京を舞台に作られました。
このことから、南京は数々の享楽があふれる魅力的な地である一方で、それは長続きしないことがほのめかされる場所だと言えます。残るのは、素晴らしい夢からさめたような虚無です。
だからこそ、物質的には満たされているのに、精神的には満たされていない貴公子が感じるむなしさと、南京の空虚さには親和性があるのです。
以上のことから、南京が舞台に選ばれたのは、
- 人魚と人間が出会う場としてふさわしいから
- 南京の持つ空虚なイメージと、貴公子の虚無が重なったから
- 南京を舞台にしたロマンスには悲劇が多く、その雰囲気が本作と合っているから
と言えます。
結末に関して
最終的に、人魚は海に帰ってしまい、貴公子と人魚の恋は実りませんでした。この結末には、谷崎の西洋への接近の失敗が反映されているという見方ができます。
谷崎は、西洋に異常なほど憧れていた人物です。憧れというより、畏怖(いふ)や信仰、崇拝に近いです。実際に、谷崎の作品には西洋をモチーフにしたものがたくさんあります。
しかし、自身が西洋人っぽくなることも、西洋で暮らすことも、西洋人の妻を迎えることもありませんでした。
西洋的な美をそのまま体現したような人魚は、谷崎が憧れていた西洋そのものです。その人魚が遥かかなたの海に消えてしまったことは、谷崎がとうとう西洋に近づけなかったことを暗示しています。
李 春草「谷崎潤一郎「人魚の嘆き」論 : 典拠をめぐって」(同支社国文学 2017年12月)
『人魚の嘆き』の感想
おとぎ話でも、人魚と人間は恋をすることが多いです。結末は、人魚が泡となって消えるパターンと、人魚が人間になって人間と結ばれるパターンがありますが、本作は前者に近いです。
私が意外に思ったのは、人魚と貴公子は相思相愛だったということです。貴公子が人魚に恋をするのはわかりますが、人魚が自分の自由を奪っている人に恋をするというのが不思議でした。
人魚は「あなたのように世にも珍しい貴やかな若人を、どうして忌み嫌うことができましょう」と言っているので、彼女は貴公子の顔が好きだという事が分かります。
貴公子は、南京中の女性がかっこいいと思う顔なので、「それだけ美しい顔なら、捕らえられた人魚も貴公子のことを好きになるのは仕方ないのかな」と納得しました。
また、それと関連させて、人魚の「嘆き」とは故郷に帰れないことではなく、人間に恋をできないことなのだと感じました。人魚は、自分が貴公子をどれだけ好きかということを強調して話しているからです。
しかし一方で、それはポーズなのでは?とも思いました。貴公子は、人魚が「故郷に帰りたい」と言ったときに「故郷に恋人がいるのだろう」と言いました。貴公子は人魚の恋人に嫉妬し、だから帰さないというのです。
そこで人魚は、「私はあなたのことが好きだけれど、一緒にいたらあなたのためによくないから、海に帰してください」と言います。自分の望みを叶えてもらうために、貴公子を思いやる言葉を並べたのではないかと思いました。
最後に
今回は、谷崎潤一郎『人魚の嘆き』のあらすじと感想をご紹介しました。
豪華絢爛(ごうかけんらん)な生活をする貴公子と、西洋の人魚が出会うという夢みたいな設定ですが、知らない世界をのぞいているようで、ページをめくる手が止まらなくなる作品です。青空文庫にはまだないので、ぜひ購入して読んでみて下さい!