山口県の海沿いの街に暮らす少年と、それを取り巻く環境の変化を描いた『第三紀層の魚』。
今回は、田中慎弥『第三紀層の魚』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!
Contents
『第三紀層の魚』の作品概要
著者 | 田中慎弥(たなか しんや) |
---|---|
発表年 | 2010年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 短編小説 |
テーマ | 子供から大人への過渡期 |
『第三紀層の魚』は、2010年に文芸雑誌『すばる』(12月号)で発表された田中慎弥の短編小説です。
『第三紀層の魚』のあらすじ
登場人物紹介
久賀山 信道(くがやま のぶみち)
小学4年生。幼い頃に父親と祖父を亡くしている。母の帰りが遅い時は、曾祖父と祖母の家で過ごしている。
久賀山 矢一郎(くがやま やいちろう)
96歳の父方の曾祖父。寝たきりで、戦争と戦後の仕事、釣りの話を繰り返す。
久賀山 祥子(くがやま さちこ)
信道の母。旧姓は重田。うどん店の店長として家計を支えている。
久賀山 敏子(くがやま としこ)
信道の父方の祖母。夫の進一郎(しんいちろう)と息子の紀和(のりかず)を亡くしてから、矢一郎の面倒を見ている。
『第三紀層の魚』の内容
この先、田中慎弥『第三紀層の魚』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。
一言で言うと
子供から大人への過渡期
釣れないチヌ
小学4年生の信道は、同じクラスの勝と関門海峡で釣りをしています。5時半から釣りを始めて、釣果はメゴチ4匹、小さなタイが1匹、メイタが1匹です。塾の宿題がある勝が帰るため、信道も帰ることにしました。
少し離れたところには、体の大きいボラ釣りの男が複数おり、そのうちの鼻が潰れた男と目が合いました。
勝と別れた信道は、祖母・敏子と父方の曾祖父・矢一郎が暮らす家に向かいます。警察官だった父方の祖父は、退職後突然首を吊って亡くなり、その2年後に父の紀和が病気でこの世を去りました。
信道は、うどん店で働く母・が帰宅するまで祖母の家で過ごしていますが、曾祖父の話を聞いて待つことになりそうです。その話は戦争のこと、戦後の仕事のこと、そして釣りの3つに限られています。
曾祖父は戦後いろいろなところで働き、そのうちの一つに炭坑があります。約6500万年前から180万年前の地層である第三紀層の底の方まで降りたのだと言います。
そして曾祖父は戦後働いている時以外はほぼチヌ釣りをしていました。信道は、まだ20センチ程度のチヌしか釣ったことがありません。
無くなった日の丸
寝たきりの曾祖父のもとに行くと、再来週の敬老の日に家に来て欲しいと頼まれました。曾祖父の魂胆が分かった信道は、「ばあちゃんに怒られるんやない?」と忠告しました。
敬老の日に祖母の家に行くと、祖母は町内会の人と温泉に出かけており家を空けていました。曾祖父は、信道に日の丸を出すよう言います。しかし、祖母が隠したようで日の丸は見つかりませんでした。
曾祖父は昔から休日に日の丸を家の前に掲げていましたが祖母は日の丸を立てかけたところ曾祖父に怒鳴られ、警官だった夫と市役所勤めだった息子を立て続けに亡くしたこともあり、日の丸を出すこと自体やめてしまったのです。
そして曾祖父のおむつを替えているとき、曾祖父は「日の丸も勲七等ものうなった」と言いました。
勲七等とは、戦争で曾祖父がもらった勲章のことです。戦争には負けてしまったため、曾祖父が勲章を息子におもちゃ代わりに与えたところ、息子は勲章を無くしてしまいました。
そしてそれに報いるため、息子は警官になりました。祖母は、勲章のことが無ければ警官にもならなかったし自殺もしなかったと言うのでした。
葛藤
その後信道は何度か釣りに行きますが、やはりチヌは釣れません。信道は、チヌは曾祖父の記憶の中にしかいない、曾祖父が炭坑で働いていた頃の海にしかチヌは生きていないと思うのでした。
その日曾祖父が下血したという知らせを受けた信道は翌日病院に見舞いに行き、どんな話をすれば良いかというこれまで考えたことがないことを考え、帰路につきます。
その夜信道は、母が勤めるうどん屋が東京に店を出すことになり、社長が母に店を任せたいと言っていることを母から告げられました。信道は「ひいじいちゃん死ぬかもしれんのに」と言いつつ、東京行きを承諾するのでした。
その後、信道は曾祖父が亡くなったという知らせを受けましたが、悲しみは全くやって来ませんでした。
幻の魚
11月になって最後の釣りに行った信道の竿には、大きな当たりがありました。リールをいくら巻いても獲物は現れず、その力の強さから信道はチヌだと思いました。
はりすが持たないと思った矢先、横からタモ網が差し出されます。網を差し出した鼻の潰れた男は、「太いコチじゃあや」と言いました。そして、チヌではなかったこと、曾祖父の死のこと、東京行きのこと、さまざまな思いにより信道は涙を流します。
夜、祖母の家にやって来た母は、来週また東京に行くと言いました。地下鉄が話題にのぼり、信道は「地下鉄って深いん?」と聞きました。
「そりゃあ深いよ。階段とかエスカレーターでぐんぐん降りていかんといけん」。信道は、第三紀層くらいだろうかと思いました。
『第三紀層の魚』の解説
滞る時間
『第三紀層の魚』は『共喰い』(集英社 2013年1月)に収録されています。『共喰い』には、固まって動きが鈍い時間、それゆえ過去に取り残されてしまった主人公が暮らす川辺という街が描かれており、この時間の停滞は『第三紀層の魚』でも語られています。
以下は『第三紀層の魚』からの引用です。
赤間関にはしかし、現在ではなくいつも過去という時間が流れているかのようだ。壇ノ浦の合戦とか巌流島の決闘とか幕末に外国と戦争したとか、大人たちは自分の体験みたいに自慢する。数年前に地元から首相が誕生した時は街に現代がやってきたが、一年ほどで辞めてしまい、やっぱり過去の人になった。観光市場に関しても祖母のように、昔の魚はもっとおいしかったと文句を言う人がかなりいる。
しかし『第三紀層の魚』が『共喰い』と違うのは、そうした時間の停滞を感じている主人公が、閉塞感のある街から抜け出すことが明確になっている点です。
信道の父・紀和の死、信道の祖父・進一郎の自殺、進一郎が警官になったことと自殺したことを勲章の件と関連付けひそかに恨む祖母、嫁ぎ先の久賀山家では部外者で肩身の狭い母、曾祖父の死――
信道が暮らす街にはこうした負の要素が潜んでいます。しかし東京への引っ越しを機に故郷や過去の時間を生きる人々と距離を置くことで、改姓や勉強の不安はあるもののふさぎ込んでいない開放的な締めくくりとなっています。
『第三紀層の魚』の感想
遠い魚
曾祖父のおむつ換えで信道が自身の身体の成長を実感した日、「信道は自分が大きくなり曾祖父が小さくなったからだ」と不思議な感覚で満たされました。そして、曾祖父の体重が増えることはもうないと考えます。
本文には書かれていませんが、寝たきりで自分の身の回りのことを人に助けてもらわなければ生きられない96歳の曾祖父の状況と、上記の不思議な感覚を考えたとき、信道は曾祖父の死を意識したのではないかと思いました。
そして信道がチヌを見せることを実現する前に、曾祖父は亡くなってしまいました。東京では今までのように釣りができず、今後もし仮にチヌを釣れたとしても、チヌを一番見せたかった人はもうこの世にはいません。
信道の目標は永久に達成されることはなく、だからこそ手の届かない存在として、チヌが第三紀層の魚と名付けられたのではないかと思いました。
最後に
今回は、田中慎弥『第三紀層の魚』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。
ぜひ読んでみて下さい!