『小僧の神様』は、読み終えたあと無性に鮨が食べたくなる小説です。
今回は、志賀直哉『小僧の神様』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!
Contents
『小僧の神様』の作品概要
著者 | 志賀直哉(しが なおや) |
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発表年 | 1920年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 短編小説 |
テーマ | 善意 |
『小僧の神様』は、1920年に文芸雑誌『白樺(しらかば)』(1月号)で発表された志賀直哉の短編小説です。神田の秤屋(はかりや)に奉公する小僧が、お金持ちに鮨をおごってもらい、彼を神様のように思う様子が描かれています。
新潮文庫の『小僧の神様/城の崎にて』には18篇の短編が収録されているのでおすすめです。
著者:志賀直哉について
- 1883年宮城県生まれ
- 白樺派の作家
- 父親とは長らく険悪な関係だった
- 「小説の神様」と呼ばれた
志賀直哉は、1883年に宮城県に生まれた小説家です。学習院大学を母体とし、「人間肯定・個人主義・生命・人道主義」が特徴の白樺派に属しています。
志賀は幼いころ祖父母を慕っていたことや、反対を振り切って結婚をしたことなどがきっかけで、父親と長年争います。『和解』という作品は、父親との不和が題材となっています。
志賀の簡潔で無駄のない文章は高く評価されており、代表作『小僧の神様』にちなんで「小説の神様」と呼ばれています。
『小僧の神様』のあらすじ
神田の秤屋に奉公(ほうこう。雇われて働くこと)する仙吉は、番頭(店を取り仕切る役職の人)たちの会話を聞いて、鮨が美味しいものだということを知ります。
そして、仙吉は「自分もはやく番頭のように、自由に好きなものを食べられるようになりたい」と思いました。しかし、奉公人(食事と寝る場所を提供してもらう代わりに、無賃で見習いの仕事をする人)である仙吉に自由に使えるお金はありません。
そこで仙吉は、お使いに行くときにもらった電車賃をとっておき、屋台の鮨を1つだけ食べようとします。しかしそれでもお金が足りず、仙吉は惨めな思いをしてしまいます。それを見ていた貴族院議員のAは、仙吉に鮨をおごってやるのでした。
登場人物紹介
仙吉(せんきち)
神田の秤屋で奉公をしている13~14歳の小僧。鮨を食べることにあこがれている。
A
若い貴族院議員。幼稚園に通う子供がいる。小僧に鮨をごちそうする。
『小僧の神様』の内容
この先、志賀直哉『小僧の神様』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。
一言で言うと
親切と施しの境界線
恥
秤屋に奉公する仙吉は、番頭たちの話を聞いて「鮨を食べてみたい」と思うようになりました。
そんなとき、仙吉は電車賃をもらってお使いに出ます。用事を済ませたあと、仙吉は番頭たちが言っていた鮨屋の前を通りました。帰りは歩いて帰ることにして、帰りの電車賃の4銭を持ってのれんをくぐります。
小僧は勇気を出して鮨をつかみかけましたが、店の主に「1つ6銭だよ」と言われて手を引っこめました。仙吉は、そのまま店を後にしました。
偶然の再会
貴族議員のAはその場に居合わせており、一部始終を見ていました。Aは、後日議員仲間のBと会ってその話をします。Bは「ごちそうしてやればいいのに」と言いましたが、Aは「そういう勇気はちょっと出せない」と言いました。
それから、Aは子どもの体重計を買いに神田の秤屋へ行きました。Aは、そこで奉公をしている小僧が、先日鮨屋に来た小僧だと気づきます。そして、Aは秤を小僧に運ばせることにし、途中で鮨をごちそうしようと思いました。
秤を買う時には住所の記入が必要でしたが、Aは名前を知られたあとでごちそうするのは妙な心地がすると思い、でたらめな住所を書きました。
淋(さび)しい変な気持ち
そして、Aは鮨屋に入って先に勘定を済ませ、「私は先へ帰るから、充分食べておくれ」と言って逃げるように去って行きました。
仙吉はそこで3人前の鮨を食べます。店の人は、「お代はまだもらっているから、また来てください」と言いました。
一方で、Aは変に淋しい気持ちでいました。人を喜ばせるのは悪いことではないのに、Aは悪事を働いたあとのような後味の悪さを感じました。
神様
鮨を食べ終えて帰路についていた小僧は、先日鮨屋で恥をかいたとき、Aが居合わせていたのだと悟ります。
Aが連れて行ってくれた鮨屋は、番頭たちがウワサしていたあの鮨屋でした。
仙吉は、自分が鮨屋で恥をかいたことや、番頭の話の内容をAが知っていたこと、Aが自分の気持ちを見透かしていたことを不思議に思い、次第に「Aは神様かもしれない」と思うようになりました。
そして、小僧は悲しい時や苦しい時にAのことを考えました。小僧は、いつかまたAが思わぬ恵みを与えてくれると信じていました。
作者は、ここで筆をおくことにしました。実は、作者は「小僧がAの書いた住所をたずねたとき、そこには家ではなくて小さな稲荷の祠(ほこら)があった」と書こうとしました。しかし、それでは小僧がかわいそうなので、ここで書くのをやめたのです。
『小僧の神様』の解説
突然現れる作者
『小僧の神様』の10章の最後には、創作の過程を説明する「作者」が登場します。
彼は悲しい時、苦しい時に必ず「あの客」を想った。それは想うだけで或慰めになった。彼は何時かは又「あの客」が思わぬ恵みを持って自分の前に現れて来る事を信じていた。
作者は此処で筆を擱く事にする。実は小僧が「あの客」の本体を確めたい要求から、番頭に番地と名前を教えて貰って其処を尋ねて行く事を書こうと思った。小僧は其処へ行って見た。所が、其番地には人の住いがなくて、小さな稲荷の祠があつた。小僧は吃驚した。ーとか云う風に書こうと思った。然しそう書く事は小僧に対し少し残酷な気がして来た。それ故作者は前の所で擱筆する事にした。
変わった構成で、この部分の意義や機能は議論の対象となるところです。
小僧にとってAは、あこがれの鮨をご馳走してくれ、「早く自分も番頭たちのようになりたい」という気持ちを見通し、それを叶えてくれた神秘的な存在です。
ここで終われば単純にハッピーエンドですが、もし作者が言うように「稲荷の祠があった」という風に書いてしまえば、「小僧はただ狐につままれただけだった」という話になってしまいます。
それでは小僧が可哀そうなので、「その後のことはあえて書かない」のが作者の立場ということです。
あのチェーン店
鮨チェーン店「小僧寿し」の社名は、『小僧の神様』から取ったものです。今でこそ、鮨は庶民にとっても身近な存在ですが、以前は鮨は高価だったため、誰でも食べられるものではありませんでした。
そこで、小僧のように惨めな思いをしないように、「庶民でも気軽に食べられる安価な鮨を提供したい」という思いから、「小僧」を社名に使ったそうです。
・坂井健「小僧はどんな鮨を喰ったかー『小僧の神様』をめぐって」(『京都語文』2010年11月)
『小僧の神様』の感想
お金持ちの苦悩
仙吉とAの気持ちのあり方に、大きな溝があるのがおかしかったです。仙吉は、Aを神様という神秘的な存在に感じ、ひたすらに感謝しているのに対し、Aは自分の行いに対して後ろめたさや「淋しい気持ち」を抱いています。
Aがこのように思うのには、仙吉とAの身分の差が関係しているのではないかと思いました。Aは貴族院議員という身分で高給取りであるため、仙吉とは圧倒的な経済的格差があります。
そのため、完全な善意から仙吉にごちそうしていたとしても、どうしても「施してやった」という感覚がぬぐえなかったのではないでしょうか。そのせいで、Aは妙なくすぐったさを感じてしまったのだと思います。
これは、志賀が属する白樺派の性質に当てはまると思いました。白樺派は、学習院大学出身のお金持ちで構成されています。
彼らは自分たちが恵まれた貴族でありながらも、そのことに後ろめたさを感じており、貴族と平民の格差が大きかった当時の日本で、平等な社会を築くことを望みました。Aの人格には、白樺派のこの性質が投影されていると読めると思いました。
最後に
今回は、志賀直哉『小僧の神様』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。
まだ著作権が切れていないため青空文庫にはありませんが、この機会にぜひ読んでみて下さい!