『タダイマトビラ』は、家族のあり方に疑問を投げかける物語です。
今回は、『タダイマトビラ』のあらすじと内容解説、感想をご紹介します!
Contents
『タダイマトビラ』の作品概要
著者 | 村田沙耶香(むらた さやか) |
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発表年 | 2011年 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
ジャンル | 中編小説 |
テーマ | 家族 |
『タダイマトビラ』は、2011年に文芸雑誌『新潮』(8月号)で発表された村田沙耶香の中編小説です。冷めた家庭で育った主人公が、家族の制度そのものに疑問を抱き、全く新しい境地にたどり着くまでが描かれています。
著者:村田沙耶香について
- 日本の小説家、エッセイスト
- 玉川大学文学部卒業
- 2003年に『授乳』で群像新人文学賞優秀賞受賞。
- 人生で一番読み返した本は、山田詠美『風葬の教室』
村田沙耶香は、1979年生まれの小説家、エッセイストです。玉川大学を卒業後、『授乳』でデビューしました。
山田詠美の『風葬の教室』から影響を受けています。ヴォーグな女性を賞する「VOGUE JAPAN Women of the year」に選ばれたこともあります。美しく年を重ねている印象がある女性です。
『タダイマトビラ』のあらすじ
家族からの愛を受けずに育った恵奈は、小学生のころから家族欲を発散するために「カゾクヨナニー」という行為を繰り返していました。そして、「本当の恋をして本当の家を見つけ、今の仮の家から早く出たい」と強く思うようになります。
高校生になって恋人ができた恵奈は、本当の家がもうすぐ手に入ると喜びます。ところが、恵奈は衝撃的な事実に気づいてしまうのでした。
登場人物紹介
恵奈(えな)
冷え切った家庭で育ち、満たされない家族欲を「カゾクヨナニー」という行為で処理している。今の仮の家から抜け出し、「本当の家」を見つけることを望んでいる。
啓太(けいた)
恵奈の弟。恵奈のように家庭の状況を割り切って考えておらず、今の家族がいつか普通の家族になることを夢見ている。
芳子(よしこ)
恵奈と啓太の母親。子供を愛することができず、「産んだ任務」として事務的に子育てをしている。
瑞希(みずき)
恵奈の友人。両親に甘やかされた反動で、自立することにこだわっている。
渚(なぎさ)さん
大人びたミステリアスな女性。蟻のアリスを飼っている。
『タダイマトビラ』の内容
この先、村田沙耶香『タダイマトビラ』の内容を冒頭から結末まで解説しています。ネタバレを含んでいるためご注意ください。
一言で言うと
家族のあり方をぶち壊す
カゾクヨナニー
小学4年生の恵奈の家庭は冷え切っていました。母親の芳子は、恵奈と啓太を産んでしまった責任を取ってしぶしぶ育児をしており、電機メーカーに勤める父親は家庭を顧みない人物です。そのため、恵奈と啓太は家族欲に飢えていました。
恵奈はそんな家族を「ルームメイト」として割り切って接していますが、弟の啓太は大人の気を引こうと家出をしたり仮病を使ったりします。恵奈は、そんな啓太をうっとうしく思うのでした。
家族欲に飢えている恵奈は、「カゾクヨナニー」という行為でその欲求を満たしています。それは、「二ナオ」と名付けたカーテンの中に入って、二ナオとたわむれる行為です。
恵奈は、二ナオに語りかけたり二ナオに抱きしめてもらうことで満たされるのでした。いつしか、恵奈は今の家は仮の家だと思うようになりました。そして、将来「本当の家」見つけ出して、仮の家から抜け出すことを考えます。
渚さんとアリス
5年生になった恵奈は、ある日4年生の時から仲良くしていた瑞希の家に行きます。すると、隣の家の女子高生が瑞希に声を掛けました。
その女子高生は渚と言い、2人を家に招待しました。恵奈は家の匂いが感じられない無機質な渚さんの家に驚きます。
渚さんは、アリスという蟻をガラス瓶の中で飼っていました。アリスが死んだら新しい蟻と取り換えることで、渚さんはアリスに永遠の命を与えています。
本当の家
恵奈が中学生になると、家族はますますお互いに干渉しなくなりました。恵奈は、瑞希と大学生になって1人暮らしをしている渚さんの家に向かいました。そこで、2人は渚さんに家の鍵を渡されます。
大きな家に1人で住んでいる渚さんは、1階をオープンスペースとして開放していたのでした。恵奈は、すでに「自分のドア(本当の家)」を手にした渚さんをうらやましく思うのでした。
帰宅した恵奈は、部屋の壁を殴る啓太に嫌気がさし、文句を言いに行きます。啓太は、まだ一家が「普通の家族」になるという幻想を抱いているのでした。
恵奈は「こんなとこ、どうせそのうち出ていく場所じゃん。それから『本当の家』をつくるわけでしょ。そこからが本番じゃん?」と啓太に言います。啓太は、それを現実逃避だと非難しました。
それを聞いた恵奈は、「私は欲しいものを、必ず手に入れるよ。欲しいものは、あるんじゃなくて作るんだ。あんたよりずっと早く『本当の家』を手に入れてやる」と言い放ちました。
間違っていた家族観
高校生になった恵奈は、大学生の浩平と付き合っていました。夏休みの間だけ浩平の家で暮らすことになった恵奈は、浩平に二ナオのような温かさを感じ、やっと帰るためのドアを見つけたのだと思いました。
しかし、恵奈は浩平の愛に次第に小さな違和感や不快感を感じるようになります。また、恵奈には「花嫁さんみたいだよ」「名前を呼び合うって、いいなあ」「ずっと一緒だよ」と繰り返す浩平の姿と、カゾクヨナニーをしている自分自身が重なったように見えました。
「この人、私でカゾクヨナニーしている!」と思った恵奈は、「結婚したらさ、すぐ子供をつくろう。俺達にそっくりな子」とささやく浩平を蹴飛ばし、家を飛び出してしまいました。
走りながら、恵奈は啓太の「俺たちはこれから、どこに行ったって、「家族」に失敗するんだ」という言葉を思い出します。そして、ふらふらになりながらオープンスペースに向かいました。
「人間が嫌いだから誰かと暮らしたくない」と言う渚さんに、恵奈は「家族というシステムが生まれる前の世界に帰りませんか?人間が人間になる前の、生命体だったころに」と言いました。
家族というシステムが当たり前になっている世界が異常だと気づいた恵奈は、自身が何かのトビラを開いていたことに気が付きます。恵奈は、「おかえり、恵奈」という声が響くそのドアの向こうに足を踏み出しました。
家族以前の世界へ
恵奈は、「家族の制度が生まれる前に帰ればいい」と母親の芳子や啓太に話します。父親も家に帰ってきて、家族会議が行われますが、誰も恵奈の言うことを真面目に聞いてくれませんでした。
「4人でやり直そう」という父親の言葉で、翌日から家族の修復作業が始まります。4人で食卓を囲み、そこではたわいのない会話が繰り広げられました。
オープンスペースに向かった恵奈は、人間の区別ができなくなっていました。ただ、「人間は同じ地球に繁殖する、微生物ということで繋がっている家族だ」ということだけが分かるのでした。
4本の触手を生やした生き物を見た恵奈は、「人類がニンゲンになる前の世界に帰ってきたのだ」と喜びます。
自分が育った巣に戻った恵奈は、メスのホモ・サピエンス・サピエンス(芳子のこと)に導かれて家の中に入ります。そのとき、玄関のチャイムが鳴りました。
外からは、「た、だ、だ、だ、い、い、い、い、ま、ま、ま、ま、ま、」という言語ではなくなった鳴き声が聞こえます。
ドアの向こうに行ったオス(父親のこと)の声は途切れてしまいました。後を追った若いオス(啓太のこと)の足音も聞こえなくなりました。
恵奈は、「カゾクというシステムの外に帰ろう」とメスに語りかけ、メスをドアに導きます。そして、恵奈は「おかえりなさい」とほほ笑んで言いました。
『タダイマトビラ』の解説
忌み嫌うべき血縁
この小説では、人間が家族を形成する様子への違和感が描かれています。「なぜ、自分の子供というだけで愛さなければならないのか」「血が繋がっているだけで干渉し合わなければならないのか」という問題意識があちらこちらに示されています。
特に、血縁への違和感が強調されていると感じました。以下は、恵奈の伯父が恵奈の家を訪れた場面です。
「目が、芳子さんに似ている。鼻は洋一そっくりだ。遺伝はすごいな。二人の血を受け継いでいるなぁ、恵奈ちゃんは」
私は何も答えず、黙ったまま突っ立って伯父の視線を浴びていた。
「本当に似ている。二人の血が流れているんだな」
伯父の言葉はいつも呪いのようだった。(中略)「女は血を繋いでいかないとな」
また、以下は恵奈が生理に抱く印象が語られる場面です。
オープンスペースに居た時から下腹に痛みを感じていたが、家に帰ってトイレに行くと、やはり生理が来ていた。
(中略)長い時間座っていたせいで、便器の中は血だらけになっていた。レバーのような血の塊も沈んでいる。それがいつか自分を食い破る寄生虫の破片のような気がして、私は吐き気と腹痛を堪えながら便器の水を流した。
これらの場面から、恵奈が血を忌避(きひ)している事が分かります。同時に、血のつながりを根拠として家族が形成されることに、恵奈が激しい抵抗を感じていることが読み取れました。
恵奈がたどり着いた境地
恵奈の覚醒後の展開が早すぎて、頭が追い付かなかった読者も多いのではないかと思うので、終盤に恵奈が向かった世界について考えたいと思います。
浩平の家に「本当の家」らしさを見出した恵奈でしたが、その家の中で浩平は恵奈を使ってカゾクヨナニーをしていました(浩平が結婚生活への理想を語る場面を指す)。
恵奈はカゾクヨナニーに対して良い感情を抱いていないため、探し求めた家の中でそれが行われていたことにショックを受けます。
そして、恵奈は「家族という概念は後天的なもの」ということに気づきました。だからこそ、恵奈は渚さんに「家族というシステムが生まれる前の世界に帰りませんか」と言ったのでした。
図にしてみると、上のようになります。人類は、もともと赤い方の世界(図右)に生きていました。しかし、時代が進むにつれて家族という概念が生まれ、人間はいやおうなく青色の世界(図左)に産み落とされるようになります。
青色の世界の中で過ごしている普通の人間は、青の中にいるのが当たり前なので、赤の世界のことを考えようとしません。しかし、恵奈は家族という集団に対して違和感を持っていたので、赤い世界の存在に気づくことができました。
赤の世界の存在に気づいた恵奈が、青から赤に移動するときに通ったのが、真ん中のトビラです。これが、恵奈が探していたトビラでした。
渚さんに赤の世界のことを語る場面に、「その時、私は確かに何かのトビラを開いていた。(中略)『おかえり、恵奈』私はその声に導かれるように、微笑みながらそのトビラへと足を踏み出した。」という文章があります。
非常に抽象的ですが、この場面は「恵奈が青の世界からトビラを通って赤の世界に足を踏み入れたこと」を表しています。
また、「お迎え」「帰る」「戻る」「おかえり」「ただいま」という言葉が終盤で繰り返されているのは、人類がもともといた赤の世界に、恵奈が向かっている(帰っている)からです。
さらに赤の世界(家族というシステムが生まれる前=原始の世界)にいる恵奈には、人間が人ではなく1つの生命体に見えます。そのため、道ゆく人をホモ・サピエンス・サピエンスと表現しました。
誰も思いつかないような、独自の理論が繰り広げられていて最初は驚きますが、理解できると興味深いです。既存の家族観を壊した小説だと思いました。
『タダイマトビラ』の感想
当たり前がくつがえる
序盤で、恵奈が「帰るためのトビラ」を探していたり、母性のない母親の存在が語られていたりしていたため、最初は恵奈が自分探しをする物語なのかと思いながら読み進めました。
しかし恵奈が覚醒してからは、怒涛(どとう)の勢いで読者を独特の次元の世界に連れて行く語りが繰り広げられていて、ページをめくる手が止まりませんでした。
これまで家族の多様性について考えることはありましたが、家族の制度そのものを疑ったことがなかったため興味深かったです。
また、「幸せな家族の中にいる喜びに浸ること」をカゾクヨナニーと名付けて自慰に見立てるのが秀逸で、これ以上にない気持ち悪さを感じました。
優しいお父さんがいて、料理上手なお母さんがいて、子供たちは両親から無償の愛を注がれることが当たり前になっている「普通」の家庭で育った子供なら、その光景へ疑問を抱かないでしょう。これは冷めた家庭で育った恵奈だからこその発想だと思いました。
最後に
今回は、村田沙耶香『タダイマトビラ』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。
後半の独特の世界観にぐっと引き込まれる作品です。ぜひ読んでみて下さい!