近現代の文学を読むには、文学史の理解が必要不可欠です。作家の流派によって、作品の書きぶりが変わってくるからです。
今回は、プロレタリア文学と並んで2大潮流となった、新感覚派の特徴や代表作家について分かりやすく解説します。
Contents
新感覚派を一言で言うと
現実至上主義からの脱却
新感覚派の位置を確認
文学史は、ロシア革命の前後で大きな流れが変わっています。今回は、大正後期から昭和にかけて影響力のあった新感覚派を扱います。
新感覚派の代表作家
横光利一『蠅』
ページ数 | 300ページ |
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出版年 | 1981年 |
出版社 | 岩波書店 |
川端康成『雪国』
ページ数 | 208ページ |
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出版年 | 1947年 |
出版社 | 新潮社 |
新感覚派の誕生の流れ
自然科学の時代
近代化した日本は、西洋の自然科学を受容して、便利でよりよい世の中に変わっていきました。科学によって、今日より明日、明日より明後日、確実に豊かになると人々は信じていました。
その根本にあるのは、科学の「真実を追求する」というルールです。人々はそれに従って、「真実(現実)を見る事こそが、幸せに繋がる」と考えました。
その思想が、日本の文学史にリアリズム至上主義というジャンルを創り出した要因の一つとなっています。
「リアル信仰」の崩壊
しかし、徐々に科学の悪い部分が露呈していきます。科学の発達により、都市は発達して多くの工場ができました。そこで働く人は、人間の尊厳をはく奪されるような過酷な環境での労働を強いられます。
また、農村での生活に慣れていた人は、いきなり隣に知らない人が引っ越してきたりする都市での生活を、必ずしも良いものだとは思えませんでした。
さらに世界恐慌によって、世界中が大不況に陥ることもありました。このようなことから、人々は「人間を確実に幸せに導いてくれる科学」に疑問を持ち始めます。
そして、現実は絶対に信頼できるものではないと気づいた人たちは、それまでの文学ジャンルの主流であったリアリズムを見直さなければならないと思い始めました。
新感覚派誕生
その最初の動きが、新感覚派です。彼らは「リアル(リアリズム)な比喩(作り物)」という全く新しい手法を用いて創作活動を始めました。
同時に勃興したのがプロレタリア文学です。これらは、大正後期から昭和にかけての大きな文学の二大潮流となりました。
代表作家
新感覚派をけん引した2大作家は、横光利一と川端康成です。横光利一の代表作は『蠅』『日輪』『上海』、川端康成の代表作は『伊豆の踊子』『雪国』などです。以下に『蠅』の記事があるので、併せてご覧ください。
新感覚派の特徴
擬人法
擬人法は、「人間以外のものに人間の表現を用いる」という点で、相対的に人間の地位を引き下げる技法です。人間の用いた科学に疑問を持った新感覚派の作家たちは、あえて人間をも疑うことを選びました。
特別急行列車は満員のまま全速力で馳けてゐた。沿線の小駅は石のやうに黙殺された。
引用したのは、新感覚派の例としてしばしば挙げられる、横光利一『頭ならびに腹』の冒頭部です。「列車が駆ける」「(列車が駅を)黙殺する」というのが擬人法で、駅を「石のやうに」と例えるのが比喩です。
従来の自然主義の作家たちなら、この文を「列車は時速○○キロで通り過ぎた」と書くでしょう。現実に忠実な彼らは、具体的な数字を用い、非現実的な表現はしないはずです。
一方で、横光利一は実際に存在する列車や駅を描写する際に、少し創作の要素を加えて描きました。これが、新感覚派の特徴です。
映画の影響
1893年にエジソンによって発明された映写機は進化して、1899年には活動写真(ナレーションをつけた日本独自の無声映画)として日本でも親しまれました。当時は、映画が次々に開拓された時代です。
新感覚派の作家たちは、この新しい芸術を様々な形で小説に取り込もうとしました。今では当たり前になったズーム・ズームアウトの視点の変化も、映画をヒントにこの頃から導入され始めた技法です。
最後に
今回は、新感覚派を解説しました。この流派の特徴である擬人法や比喩は、現代の小説に大きな影響を与えています。
総じて新感覚派は、比喩や擬人法、擬声語、擬態語に、映画の技法を応用して小説に取り込んだ、今までにない「新感覚」のジャンルと言えます。